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2025.07.01

CAの学校を辞め、バイト生活の日々
刺激的だったタイでの1ヶ月間

花田亜弥さん [ベビーシッター・家事代行業代表]

今回のママ:
花田亜弥さん [ベビーシッター・家事代行業代表]
46歳・日出町出身・別府市在住
(18歳社会人・17歳高校3年生の一男の一女の母)

ベビーシッターと家事代行業「株式会社 Bambitz(バンビッツ)」。子育て中のパパやママを、365日24時間支える事業を展開する代表取締役の花田亜弥さんは、シングルマザーになり様々な苦労を経験し、同じように困っている人たちの力になりたいと会社を立ち上げました。まるで長編映画を見ているような波乱万丈の人生。でも、今こうして笑顔でいられるのは全ての経験に意味があったから…と、花田さんは話してくれました。

CAの学校を辞め、バイト生活の日々
刺激的だったタイでの1ヶ月間

実は、花田さんとは一度取材でお会いしたことがあった。会社を立ち上げたきっかけや事業内容など、主には仕事の話が中心だったので、今回はさらに花田さんの人生を深掘りできることを楽しみにしていた。花田さん行きつけのカフェで待ち合わせ。「お久しぶりですね!」とコーヒーを待っている間、久々の再会を喜んだ。


日出町出身。地元の小中学校を経て、大分県立別府鶴見丘高等学校へ。卒業後はキャビンアテンダントを目指し、福岡の「西日本アカデミー専門学校」へ特待生で入学した。「物心ついた時から、母の勧めでCAになることが当たり前になっていました。周りは、CAを夢見るキラキラした人たちばかりで、その空気に馴染めずにずっと違和感を感じていたんです」。ある日、違う大学を受験し直したいと両親に相談するも反対され、耐えきれなくなった花田さんは1年生の終わりに学校を中退した。その後、勘当され、4年間近く家族とは縁を断ち生活した。19歳の時だった。

「勘当されるのは想定外だったけど、生活をしていかないといけないので福岡でバイトを始めました。ホテルのラウンジやパチンコ屋さんなどで販売されているコーヒーや軽食を提供する会社でした。そこでアルバイトを管理する社員として働きました。時にはフリフリのエプロンとミニスカートで売り子さんになることもありましたね。それまではどちらかというと箱入りで育てられ、世間知らずだったけど、アルバイトで揉まれて強くなったなと思います。人として幅が広がった時期でしたね」。

広島転勤が提案されたタイミングで24歳の時に退職。当時お付き合いしていたご主人も同時期に仕事を辞め、タイへバックパッカー旅行へ…。「こんな機会はなかなかないと、1ヶ月ぐらいタイに滞在しました。それまでの仕事が忙しすぎて体調を崩したのもあり、大丈夫?と彼はいつも心配してくれましたけど、体調もすこぶる良くて、現地人のように馴染めたから自分には合ってたようです。文化の違いや多くの刺激を受けて、のびのびと暮らせた充実した時間でしたね」。

花田亜弥さん [ベビーシッター・家事代行業代表]

結婚、別居、離婚…
シングルマザー働く大変さを痛感

その後、25歳で大手自動車メーカーの関連会社に再就職し、26歳の時に結婚した。産休・育休を取得し27歳で第一子、29歳で第二子を出産。待望の家も建てることになった。「でも実は、家を建てた翌月には別居することになったんです。喧嘩もしたことなかったし、決定的な理由はなかったんですけどね…。私たち夫婦は2人で1セットで、どこに行くのもいつも一緒だったんです。でも子どもが生まれ、そういう時間もなかなか持てなくなり、だんだんとすれ違いが多くなってきたんです」。

育休中真っ只中の別居生活。手取りが少なくなる中、保育園代や、2拠点分の住居費や生活費などが必要となり、なんとか二人の給料でやりくりした。「子どものミルクとオムツ代、保育園代を払ったら何も残らないという感じ。離婚していないから行政の支援も受けられず家計はかなり厳しい状態で、一人親になって手当をもらい保育園を無料にしてもらう方が楽になるかも…と、離婚せざるを得ない状況にまで追い込まれました。私は離婚するつもりはなかったので我慢していたんですが、実家の父が我慢しないでいい!と言ってくれて、それで離婚を決意しました」。しかし、シングルマザーになることに対して、難しくは考えなかったと花田さん。「父親の役割を放棄してしまった存在の人が側にいる環境より、普通の感覚の母がいて、その繋がりの大人たちが一緒に見守ってくれればきっと大丈夫と思えました。子どもたちがここまで成長してくれたのは、周りの人たちのおかげだと今でも感謝しています」。

離婚後も会社員として働き続けたが、生活が困窮し本当に大変な1年間だったと振り返る。「復帰後、祝日が出勤扱いになる部署へ異動になったんです。祝日は保育園はお休みだから、休みを取ると有給がどんどん減り、病欠など急な休みは有給が足りないため欠勤扱いになり、なんのために働いているのかわからなくなりました。大手の企業だったし、いい環境で長年仕事させてもらっていたはずなのに、現実は生活が成り立たたず辞めざるを得ないという不思議な状況でした。内緒で製本会社や牛乳配達の副業もしたけど、子どもの病気などでなかなか思うように仕事もできず続きませんでした。電気が止まるのは日常茶飯事。生活に危機感を感じることも多くなり『シングルで子どもを育てながら会社員として働くのは無理、もう自分で仕事をするしかない…』と限界を感じ、会社を辞めました」。

花田亜弥さん [ベビーシッター・家事代行業代表]

大分に戻りゼロからの再スタート
今大事なのはスピード感

その後、博多でサロンを経営。一方で、自分と同じ境遇に苦しむ人の力になりたいと、シングルマザーの資格取得や就労支援のお手伝をするNPO法人『Bambitz』を立ち上げた。しかし活動はほぼボランティアだった。「困ってる人からお金をもらうことができず、経費は自分持ちで、自営で稼いだお金がすべて『Bambitz』に横流しされる感じでした。それでも頑張って5年間続けたんですけど、下の娘が小学校に上がるタイミングで、親の願いもあって実家に戻ることにしました」。

大分に戻ってゼロからの再スタート。ご両親が子育ての手助けをしてくれることもあり心にも余裕が生まれた。次はちゃんと就職しようと、デザイン会社に応募。営業ノルマをこなすのに必死で、土日も休みなく働き続けた。3ヶ月目に目標を達成し就職が叶う状況になったが、精神的に追い込まれ疲弊していたため辞退した。
 
「その後の1ヶ月間は誰とも関わりたくないと、家に閉じこもり、外の世界とはシャットアウトしてました。でもそんなことも言ってられず、人とできるだけ関わらないでいい早朝の清掃業や夜間保育の見守りのバイトなどを掛け持ちして、朝の6時から夜中3時くらいまで働いてましたね」。1ヶ月半くらいが経ち、そろそろ就職を…と、食品事業に加え保育関連事業を行っている企業に就職し、保育園の運営に関わることに。「保育の現場に入り様々な家庭を見る中で思ったんです。昔も今も、問題は何も解決してないんだって。行政のサービスは休日は稼働しないので、サービスの枠が限られてしまいます。だけどそこに一番の問題があると、私自身も実感していました」。困っている子育て世代の人たちをサポートしたい!と、奮起。会社を辞め「子育てサポート バンビッツ」として個人での運営を開始。半年後に法人化し「株式会社 Bambitz」としての活動をスタートした。


現在は、365日24時間体制で受け入れるベビーシッターと家事代行サービス業を展開し、利用者も増えてきた。しかし、花田さんが理想とする形に近づくまでには長く続く道のりがある。「子どもはどこの世界でもいると考えたら、この事業に終わりはないんです。サービスを受けられない手の届かないエリアもある。どこにいても同じようにサービスが受けられるようにするには、行政や企業の関わりが不可欠です。民間としての私の立ち位置は『やってみましょうよ!』と声を上げること。同じ志を持って個人でベビーシッター業をやっている人たちとの横のつながりを広げ、いかに協力しあえるかが大事だと思っているんです。いかにスピード感を持って、幅広く展開していくかが今一番の課題だと考えています」。

花田亜弥さん [ベビーシッター・家事代行業代表]

子どもたちに伝えてきたのは
「人の悪口は言わない」ということ

ここまで、ひたすら子どもたちのため、同じ境遇の子育て世代の人たちのために走り続けてきた花田さん。その母の背中を見てきたお子さん2人はもう社会人と高校3年生になった。「私が理想としていた子育てはできなかったかもしれないけれど、唯一、願っていた通りの優しくて愛される子どもに育ってくれたなと思います。私が絶対にしないと決めていたことは、人の悪口を言わないこと。自分の見たこと、聞いたこと、感じたことを信用して、人の言うことに流されてはいけないよとずっと言い続けてきました。おかげで、コミュニケーションも上手に取れる、人から愛される人間に成長してくれたなと感謝しています」。

様々な仕事や離婚などの経験を経て、今の自分があると花田さん。「あの時は必死だったけど、大変だったことや苦労話も笑いのネタで吹き飛ばせるくらい強くなりました」。ジェットコースターのような波乱な道のりを乗り越えてきた花田さんの人生は、まさに七転び八起き。ただでは起き上がらないぞ!という気迫さえ感じる生き様は、清々しく思えた。


花田さんの携帯にはベビーシッターの仕事で出会う多くの子どもたちの写真の方が残されている。「自分の子どもより、よその子たちの写真の方が多いんですよね」と笑顔の花田さんが、それを物語っているようだった。

シングルで子どもたちを育てているパパやママはたくさんいると思う。私たちには見えづらかった落とし穴にはまり、もがいている人もいるかもしれない。頼れる人はそこにいるから、一人で抱え込まず勇気を持って手をあげてほしい。花田さんのような心強い味方がいるのだから…。

花田亜弥さん [ベビーシッター・家事代行業代表]

この記事のライター:安達博子

花田さんとは、初めてお会いした時の取材と合わせ約4時間くらいお話させてもらいました。いくら話しても話し足りないぐらい様々な出来事があって、私には想像もつかない苦労を越えて、今があるんだと思います。働くことの尊さや、母として必要な強さを教えてもらった気がします。ベビーシッターや家事代行サービスは、切羽詰まっているママやパパたちを助けてくれます。これからは、家庭円満のために、誰もが気軽にべビーシッターを利用できる時代になってほしいと花田さん。行政や、そこに賛同してくれる企業が増えていけば、シングルで働くママたちや多くの子育て世代の強力なサポート体制ができるはずです。早くそんな日が来るようにと、願っています。

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