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お客様の笑顔も、家族の温もりも<br>どちらも大切にしていきたいです

2025.08.19

お客様の笑顔も、家族の温もりも
どちらも大切にしていきたいです

今回のパパ: 姫野孝さん [飲食店経営]
43歳・別府市出身・別府市在住(5歳・1歳の一男一女の父)

ママのままプロジェクトの人気コンテンツ「ママスタイル」のパパバージョン「パパスタイル」第二弾。これまでも企業で働きながら育休を取得したパパや、イクメンパパなどを取材してきましたが、今回は飲食店を営む自営業のパパに、仕事や育児についてのお話を聞いてきました。別府市にある「別府ホルモンひめの」の姫野孝さん。長年相撲に打ち込み、大学卒業後は飲食店で勤務。相撲を教えたいと教員の道へ進み、その後自分のお店をオープンさせました。紆余曲折あった人生でしたが、今は「大切な子どもたちのために、自分が今できることを」と、家族との時間も大事にしながら、美味しいホルモンでお客様を笑顔にするため、お店に立っています。

輝かしい相撲人生を離れ
飲食店へ就職

別府市の竹瓦温泉そばにある、今も昔の面影を残す竹瓦小路。この通りに、立ち飲みスタイルでホルモン焼きを出すお店「別府ホルモンひめの」がある。インスタで拝見しずっと気になっていたので、プライベートでお店を訪れた。カウンターの前には大きな鉄板があり、その前でホルモンや地元で採れた野菜などを焼いて提供しているのが、店主の姫野孝さん。海外からの旅行客や地元の人たちで賑わう人気店だ。平日の営業時間は二部制になっており、19時半で一部営業は一旦終了し、二部営業は22時からとなっている。一番稼ぎ時のゴールデンタイムに休憩を入れる営業形態も気になっていたので尋ねてみると「その時間は家に帰って、子どもたちをお風呂に入れてるんですよ」と笑顔で教えてくれた。自営業だからこそできる新しい働き方に、これは話を聞く価値あり!と、その場で早速取材を申し込んだ。


別府市生まれの別府市育ち。別府市で開催された相撲の小学生大会に出場したことをきっかけに、社会人になるまで長年相撲に打ち込んだ姫野さん。大学は名門の駒澤大学へ進学した。「自分の中でずっと目標にしていたのは、2008年に行われる大分国体での優勝でした。大学の相撲部は本当にドラマのサンクチュアリーの世界で、歴代の相撲部員が入寮する古い部屋で暮らし、2階が寝る場所、一階は食堂と土俵があるので、朝起きたらすぐ稽古という感じで相撲漬けの毎日でしたね」。



大学卒業後は一旦相撲から離れ、東京渋谷の人気店だった飲食店に就職。朝7時から出勤し、終電で帰るという休む間もない毎日だった。「小さい頃から料理するのが好きだったんです。大学の時はちゃんこ番があったので常に料理はしていましたからね」。しかし、かなりのハードワークで体重は50キロ落ち、体調を崩してしまった。

コーチとして再び相撲の世界へ
濃い13年間だった教員時代

半年後、仕事を辞め、大分に戻ってきた。「次は何をしようかと考えた時、大学在学中に教員免許を取得していたので相撲の指導者になりたいと思い、相撲の名門校でもある宇佐産業科学高校の臨時職員として24歳の時に就職しました」。その後、相撲部のコーチを13年間勤めた。「やんちゃな生徒たちも多かったけど、悪いものは悪いと言えるタイプだったんで生徒指導も任されていました。相撲部は九州大会に出場したこともありました。濃い13年間でしたね」。

教員生活をしながら、自身も相撲の稽古を続け、2007年に行われた第56回全日本選手権大会ではアマチュアで初優勝を飾り、翌2008年には、第16回世界相撲選手権大会で優勝と、輝かしい成績を収めた。ずっと目標にしてきた大分国体では旗手をつとめたが、相撲では思うような成績は残せなかった。


教員時代の32歳の時に結婚。結婚後は、看護師の奥様との生活時間がなかなか合わずすれ違いの毎日だったが、なんとかやりくりをした。やりがいを感じていた教員の仕事だったが、ある日お母様が倒れ、体が不自由になってしまった。「宇佐まで毎日通勤し、遅い時間まで部活の指導をしていていたので母の面倒を見ることができないと思ったんです。少しでも側にいてあげたいと、仕事を辞めることを決意しました」。

教員の仕事を辞め、知人が経営する別府の飲食店で働くことになった。飲食店の多店舗経営を目指している会社で、新規オープンする店舗のオープニングスタッフとして関わることに。同時期の38歳の時に第一子、41歳の時に第二子が生まれた。教員を辞め、先がまだ見えていない状況の飲食店に勤務することに対して奥さんは反対しなかったのだろうか。

「僕が常に〝なんとかなるさ〟精神なんですよね。定職に就かないといけないとか、男だから稼がないといけないとか、そういうプライドとかこだわりが全くないんです。奥さんが看護師というちゃんとした仕事をしてくれているというのもあると思うんですけど。僕がクタクタになって帰ってくる姿や大変だった時期も見てくれているんで、『好きなことをしたら?』と言ってくれました」。

限られた子どもとの時間を大切にしたい
その思いが出店する起動力に

その後、居酒屋の店長を4年間務め、5店舗の店舗管理も任されるまでになった。しかし、東京時代と同じく働きづめの毎日で、子どもの顔を見ない日も多々あった。飲食店にとってはかき入れどきの年末シーズンを終えた12月末に、奥さんに仕事を辞めることを告げた。

「3日ぐらいでホルモン屋の構想を練りました。昔、働きすぎて体調もメンタルも壊れそうになっている時に、寝る前に必ず見ていた動画があって。大阪のとあるホルモン屋さんの動画なんですけど、そのお店が好きで、ずっとこんなお店をやってみたいと思ってたんです。だからお店の構想は早く固まりましたね。そんな時に、今のお店の物件情報がSNSで上がってきて、それをたまたま見たんです。これは運命かもしれん!と、すぐに連絡入れて契約したんですよ」。


翌年の3月に会社を退社することになったが、辞表を出してから退社するまでの約3ヶ月間は、昼間はお店の工事、夜は引き続きお店に出るという日々を過ごした。そして、3月26日の姫野さん42歳の誕生日に「別府ホルモンひめの」をオープンした。

「僕、長男をお風呂に入れた記憶がないんです。仕事を辞めるきっかけになったのも『いつまで子どもたちと一緒にお風呂に入ることができるのかなぁ』って思ったことがきっかけでもあるんです。だから、自分のお店を経営しながら、子どもたちとの時間が取れている今がとても幸せなんですよ。一旦お店を閉めて、家に戻って、家族みんなでご飯を食べてお風呂に入って、そしてまたお店に戻る。それが今の僕の、家族との大事なルーティンになってます。子どもたちに愛情を注ぐこともでき、そして子どもたちの愛情を感じることもできる。本当にノンストレスな毎日を過ごすことができて、自分でお店をやってよかったなと実感しています」。


お客様に楽しんでもらえるよう
いろんなことにチャレンジしていきたい

これからやってみたいこともたくさんあると姫野さん。お料理がもともと好きなこともあり、お客さんをワクワクさせる仕掛けをしていきたいと話してくれた。

「家族はもちろん大事ですが、お客さんももちろん大事。なので、土曜は通し営業でやってます。金曜日は僕のわがままというか、挑戦してみたこともあって、完全予約制のコース料理を出しています。例えば、お寿司に見立てたカルパッチョや、一見コロッケに見える暖かいポテトサラダとか。自分の勉強も兼ねて、驚きのある料理を楽しんでもらおうとチャレンジしています。今の夢は、相撲をしてた時に毎日作っていたちゃんこ料理のお店を出すこと。ホルモンの方もフランチャイズ化していけたらいいなと思ってるんですよね。やりたいことが山積みなんです!」。


相撲に出会い、世界選手権で優勝するまでの実力を持ちながら「興味がなかったから」とプロの道へは進まなかった。そこからは飲食店での多忙な日々を過ごし、教職員となり相撲部のコーチに。どの道を選んでも大変な道のりだったと思うが、全ての経験が今に繋がっていると姫野さん。「普通は」とか「みんなは」とか、そんな固定概念にはとらわれずに、家族との時間も確保しながら今を自由に謳歌している姿は、育児中のパパたちに勇気を与えてくれるに違いない。ちゃんこのお店、楽しみに待ってます!

お客様の笑顔も、家族の温もりも<br>どちらも大切にしていきたいです

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