MAMA STYLE様々なママの様々なスタイルを
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2018.04.17

整理することは人生を見直すこと
心に余裕を作って、これからの人生も楽しみたい

板井善江さん

今回のママ:
板井善江さん・47歳・大分市出身・大分市在住
(小学校5年生・5歳の2児の母)

地元の大手広告代理店に就職し、営業デスク12年、営業職8年、足掛け20年間のキャリアを積み上げてきた板井さん。長男を出産後、職場初の育児休業を取得し1年後に復職を果たすが、次男の出産を機に広告代理店を退職。その後、美容など他分野の勉強をし、整理収納アドバイザー1級、ルームスタイリスト2級、ライフオーガナイザー2級、アロマテラピー検定1級も取得。現在は整理収納アドバイザーのオフィスを立ち上げ、個人や企業向けのコンサルティングやセミナーなどを行なっている。

大分で自分らしく生きるママたちのこれまでを綴るインタビューシリーズ。
整理収納アドバイザーオフィス「ウィル」の代表を務める板井善江さんのストーリー。

職場初の産休・育休を取得
愛おしい時間を知ったからこそ、無駄にしたくない!と思った

おじゃまさせてもらったご自宅は、主婦にとって理想的な空間だった。シンプルですっきりとしていて、心地よく過ごせそうなリビング。台所、棚などごちゃごちゃしそうな場所もきちんと整頓されていて、見ていて気持ちがいい。センスのいい食器が美しく並ぶ食器棚に、丁寧な暮らしぶりが伺える。整理下手の当方、自分がここに住んでいる場面を空想して「いいなぁ」と勝手ににやけていた。  

今回取材させていただいたのは、整理収納アドバイザー1級の資格を持ち、コンサルティングやセミナーを開催している板井善江さん。前職は、広告代理店で働くキャリアウーマンだった。大学卒業後に入社し営業デスクに配属されたが、「現場に出る営業の仕事がしたい!」と熱望。念願だった営業部の配属が決まる。「やっとの思いで営業になれたので、新規開

拓のために1日に何件も回って営業してました。大きなお客様も任せてもらえていたので、既存の売り上げに私が何かをプラスして、今まで以上の業績をあげないと意味がない!って、常にエンジン全開でした。だから、結婚して、子供が産まれても“仕事を辞める”という選択肢は微塵もありませんでした」。その後結婚し、営業部配属3年目に妊娠が判明。仕事を辞める選択肢はなく、迷うことなく産後の復職を選んだ。

社内では初の産休・育休を経験することになった板井さん。上司も男性ばかりで戸惑っていたが「お前の好きなようにしていいぞ」と背中を押してくれた。妊娠10ヶ月で産休に入り、約一年間の育休を経た後、職場復帰しても困らないようにと会社も全力でバックアップしてくれた。担当のクライアントは他の社員で振り分け、復帰するまで売上の数字を守ってくれたのだ。「会社にとってもチャレンジだったと思います。でも、初の育休取得を受け入れてくれ、本当に恵まれた環境でしたね」と当時を振り返る。

復職の時期が決まっているからこそ、1年間という時間はとても貴重に思えてくる。「とにかく育児を楽しみたい!」と、ママ友と出かけたり、散歩したり、写真をたくさん撮ったりとエンジョイした。特に大きなトラブルもなく、子供も元気にすくすく育ち、板井さんにとって理想的な出産、育児の時間だった。「我が子が可愛すぎて、友達に『彼氏を見てるようにうっとりしてるよー!』と笑われたくらい。あの1年は本当に幸せな時間でした」。

1年間の育休はあっという間に過ぎ、1月の仕事始めと同時に職場復帰を果たす。「それまでは子供の時間に合わせて暮らした毎日。復職したら、回っている仕事のスピードについていくのに必死で、そのギャップの大きさに日々葛藤でした。復帰1ヶ月前から子供を慣らし保育に通わせていたんですが、とにかく泣きっぱなし。熱も度々出すし…かかる病気は1年間でほぼ済ませたくらい。穏やかだった1年間が嘘だったかのように、復職後は怒涛の日々でした。それに加え、母が悪くなり、その後に子どもの川崎病が判明し入院。母の時に有給休暇を使い果たしていたので仕事を休むこともできなくて、仕事が終わったら病院に行って、病院に泊まって朝一度家に帰り、その後出勤するという日々が続きました。医師の説明を聞きに行く時間もなかったので、結局先生とも会わずじまいでしたね」。

復帰後は出産前と同じフルタイムで働いていたため、子どもの保育園への送迎は、ご主人か祖父母が行ってくれていた。「営業車で回っていると、時々、保育園の園児たちの散歩を見かけることがあって。それを見て『私、一体何やってんだろう…』って泣いたことも何度もありますね」。

子どもとの愛おしい時間を知ってしまった自分、その時間を使って仕事をしている自分…。だからこそ、時間を無駄にせず仕事で成果をあげたいと、それまで以上に仕事に打ち込むことに。結果、売上も順調、広告賞などを受賞し、成果は上がっていった。一方で、仕事がさらに忙しくなり帰宅時間が遅くなる日々。そんな中、どんなに忙しくても、週末は子どもと目一杯遊ぶ時間に費やした。子どもとの時間は板井さんにとって心を切り替えるスイッチだった。「ライフワークバランスについては常に悩んでいました。著名人の講演を聞きに行ったりしたけれど、ヒントをもらっても考える余裕もなくて自分の中で明確な答えは生み出せなかった。でも子供、家族がいるから踏ん張れる!その存在は私の大きなモチベーションになっているし、それはずっと同じです」。日々、できることをやっていこう。それがその時導き出した答えだった。

板井善江さん

ダウン症の我が子の誕生が人生を見つめ直す機会を与えてくれた

長男が4歳になった時、第二子の妊娠がわかった。二度目の産休を取るため、職場に迷惑をかけぬよう、大きなお腹を抱えながら取引先をまわり、出産予定日の約2ヶ月前から産休に入った。ところが、産休に入って1週間後、急に陣痛が起こり産婦人科を訪れるとすでに子宮口が開いていることがわかり、急遽アルメイダ病院に運ばれる緊急事態に。

「救急車に院長先生と看護士さんの二人が同乗していたので、ただならぬ空気は感じでいました。すぐに分娩室に運ばれ出産。赤ちゃんを取り上げた先生とは別に、もう一人の先生が私の隣にいて(後で集中治療室の先生だと判明)、その先生が『赤ちゃんですよ』と見せてくれた途端、すぐに別の場所に赤ちゃんが連れて行かれたんです。低体重で産まれたからかな…とその時は思っていました。小さかったのでお産も軽くて、『3人目も産めそうだよ!』って旦那と笑ってたら、その後お医者さんにダウン症の疑いがあるという話をされて…。人間って不思議なもので、ショックが大きいと耳から入った情報が理解できないんですよね。しばらくしてとめどなく涙があふれてきて、現実を受け入れるのにはかなりの時間が必要でした」。

赤ちゃんは翔聖(しょうせい)くんと名付けられ無事に退院し帰宅。それからはオムツ交換、授乳、沐浴と新生児を育てる忙しい毎日が過ぎた。仕事をしていた時には叶わなかった、長男の保育園にもお迎えに行け、忘れていた子どもとの楽しい時間を久々に満喫した。しかしそれから約2年間は、友達にダウン症であることを伝えられずにいた。成長が緩やかな翔聖くんのこと、仕事を辞めた場合、保育園から幼稚園に移らなければならない長男のこと、何より二人の子育てをしながら働くイメージが全く頭に浮かばず、退職することを決意する。

「まさか私の中で仕事を辞める選択があるなんて思いもよらなかったけど、生活してみて、この状態で仕事をするのは難しいとじわじわと現実が分かってきたんです。翔聖が産まれたことで、これからの生き方を見つめ直すことができ、子育てを選んだ方がいいという私の素直な気持ちに従いました。長男の時にやってあげられなかったこともたくさんあるから、帳尻合わせじゃないけれど、子育てに関してもやっておきたいこともたくさんあって。母親として、これから子どもたちとどう向き合っていきたいのかを真剣に考えるきっかけになりました」と板井さん。180度方向転換した、人生の大きな転機を迎える。

板井善江さん

子ども達はもちろん、何より私たちが楽しいことを!
同志のママたちは、特別な存在

ある日、家族ぐるみで仲良しのお友達が家に遊びにきてくれた。その友達にも、あえてダウン症であることは伝えていなかったし、友達も何も聞かなかった。「翔聖くん、保育園とか幼稚園とか、これからどうするん?」と聞かれ、初めてダウン症だということを明かした。すると、友達は知人にダウン症の子どもがいるママ友がいることを教えてくれ、紹介してくれた。そのお母さんが、就学前のダウン症の子どもたちとママたちが集う『つぼみの会』に一緒に行こう!と誘ってくれた。


「その会にいたママたちが、とにかく明るく楽しく子育てしていることに驚きました。私は自分の世界の中にこもって壁を作ってしまっていたんだということにも気づきました。何度も壁を乗り越えてきたママたちだから、いろんな思いを共有してくれて嬉しかった。これからも続く子育ての中で必要な情報も教えてもらって本当に心強かったですね」。

その後、翔聖くんが通うようになったデイサービスで、板井さんは「読み聞かせをしたい!」と先生に提案。「いいですね!」と先生も快諾してくれ、活動の輪は広がり、次々にお母さんたちが参加してくれるようになった。「ダンスをしたり、音楽を聴いたり、あの子たちの豊かな感性を伸ばしてあげられたら…と思って始めた活動は、今では10人を超え、去年のクリスマス会ではママたちでダンスを披露して大盛況!何より、ママたちが大いに盛り上がり、楽しい時間が過ごせたと板井さん。

「子どもたちも楽しんでくれたけど、ママたちは子どもたち以上に楽しんでましたね(笑)。デイサービスにはダウン症以外にもいろんな障がいを持つお子さんが通い、そこで出会ったママたちとは特別な絆で結ばれた“同志”なんです。ピアノ、絵、工作、芸達者で個性豊かなママたちが集まって、それぞれの特技を生かして、子どもたちが楽しんでくれる活動をこれからも続けていきたいですね。ちなみに私はダンスが得意なんです(笑)」。子どもたちにとって、ママが楽しんでいる姿が何よりのクリスマスプレゼントだったかもしれない。

板井善江さん

これからどうなりたいのか?
自分への気づきが見えてくる「整理する」ということ

広告代理店で働いていたときから、幅広い分野に興味を持っていた板井さん。美容、インテリア…そして社会保険労務士の資格など。気持ちを整理した時、やっぱり仕事をしたい!という思いが残っていたことに気づき、それらの勉強を始めることに。みんながまだ寝静まっている早朝から床にモップがけをするのが日課というくらい、昔から空間を綺麗にするのが好きだった板井さん。だからこそ整理収納アドバイザーというライセンスにも興味を持っていた。

「整理とは、必要なモノを選んでいくこと。一つひとつのモノには、家で一緒に生活するようになった物語や歴史があって、それに向き合って整理すると自分の中に気づきが生まれるんです。もちろん空間を綺麗にするのは好きだったし、それが形にできる快適さはあるけど、そのもっと奥に見えてくるものがあるんです。かつ、今の自分に合わせて整えていくことで、無駄がなくなる。自分の生活を混乱させるものがそぎ落とされて、よりシンプルにクリアに生きていけると思うんです」。

リビングには、子どもが学校から帰ってきた際にランドセルを置くラックが設置されている。配布されたプリント類、帽子・名札・ハンカチ…と忘れ物をしないよう、引き出しには丁寧に名称が書かれたラベルが貼られている。片付けを教えたい、忘れ物をなくしたい、という思いよりも、この場所を作ったのは無駄に叱りたくなかったから。確かに、大切なプリントを提出していなかったり、ランドセルの中がぐちゃぐちゃになっているのを見ると、子どもを叱ってしまう経験が多々ある。「整理することで、これからどうなっていきたいのか?それを形にしていくのが整理収納アドバイザーの仕事だと思います」。

これからのテーマは「上手に余裕を作ること」

20代の頃から板井さんがずっと大事にしてきたのは「今」という時間。これまで積み重ねてきた「今」が線で結ばれて、色々な場面で活かされる年齢になってきたかな…と板井さん。セミナーではよくこんな話をするそう。「今の暮らしと、これからの暮らしを大事にすることを考えてモノを選んでくださいと伝えています。モノだけではなく、いろんな事柄もそう。今、何が大事かを選択していけば、未来にも繋がっていくのかなと思うんです。そのためにも“いかに上手に余裕を作っていくか”が、これからの私の課題かな」。

板井善江さん

整理収納アドバイザーオフィス ウィル
090-4586-8553
http://www.oitawill.com/

この記事のライター:安達博子

「『同志』と思える仲間に出会えたのは、奇跡ではなくて、板井さんが引き合わせた縁だと思います。どんなことにも前向きに、幅広い分野に挑戦し続ける板井さんはかっこいいです。翔聖くんのおかげで大切な仲間と出会い、新しい人生が始まったと言っていました。そして、心に余白を作っておくことがいかに大事かも教えてもらいました。無駄なものを省き、整理整頓することで空間に余裕を持たせる…。心も空間も余裕が大事。全てが整理収納アドバイザーという仕事に結びついて、だから板井さんはこの仕事を選んだのだと、納得しました」。

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