MAMA STYLE様々なママの様々なスタイルを
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2018.05.01

子どもたちにはたくさん失敗してほしい
私も失敗からいろんなことを学んだから

萩尾明日香さん

今回のママ:
萩尾明日香さん・37歳・臼杵市出身・大分市在住
(中学校1年生・小学校5年生・小学校2年生・
幼稚園年長・1歳の五児の母)

大分商業高校を卒業後、大手鉄鋼商社に入社し、6年間勤務。同じ職場で働くご主人と23歳で結婚し退職。24歳で第一子を出産。現在は5人の子宝に恵まれ、専業ママとして家庭を守る。文字や文章を書くのが大好きで、日々の出来事を大分合同新聞のミニ事件簿に投稿し、月間大賞、さらには年間大賞も受賞暦がある。

大分で自分らしく生きるママたちのこれまでを綴るインタビューシリーズ。
今回は5人の子育てをしながら日々の思いをSNSで発信し、「ママのまま」のコラムの執筆も開始する萩尾明日香さんのストーリー。

両親との辛い別れ
兄姉の存在が私の心の支えだった

インタビューの参考にと、彼女が発信するSNSを覗いてみた。オムライスにケチャップで文字を書いた「ケチャップ文字」、左手で書いた「鏡文字」、とにかくどれも達筆すぎて驚いた。ある日のSNSにはこんな言葉が綴られている。「子に疲れ、子に癒されて生きる日々」。「言い得て妙! めちゃくちゃ分かる(涙)」と叫ばずにはいられなかった。日々の育児の中で感じた気持ちをまっすぐに表した文章に、思わず読み入った。ケチャップ文字や鏡文字、やってることは個性的で、それでいて5人のお母さん…。私の頭の中には、絵に描いたような肝っ玉母さん像しか浮かんでこなかった。ところがお会いしてびっくり。5人も子どもを産んでいるなんて想像もつかない、スレンダーな美人ママだった。

4人兄姉の末っ子として産まれた萩尾さん。早くに父親との別れを経験し、病気がちだった母親を安心させたいと高校卒業後に就職。6年後、同じ職場だった旦那様と結婚。当時は“女性の結婚=退職”が当たり前の時代だったので、後ろ髪を引かれながらもその流れに乗り退職。その後5人の子宝に恵まれた。

「私が小学校2年生の時に父がいなくなり、母も病気がちで家にいなかったことが多かったので、祖父母に育ててもらったんです。だから兄姉の存在は大きかった。私が嫁ぐまでの23年間はずっと姉と一緒に過ごしました。私が27歳の時、母が乳がんで亡くなりました。私は小さな子どもがいたのですが、姉たちはまだ結婚していなかったので、ホスピスに入った母を最期までつきっきりで看護してくれました。私自身が兄姉に助けられたので、子どもたちにもたくさん兄妹を…という思いもありました」。

子どもが小さい時は、両親、特に母親のサポートは欠かせない。どんなに心細かっただろう…。でも、そんな時は祖父母や兄姉はもちろん、親戚、近所の方々が助けてくれ親の役目をしてくれたと萩尾さんは言う。「私にはいたる場所にたくさんの育ての親がいます。今まで力になってくれた人はみんな、血は繋がっていなくても私の親だと思ってるし、感謝してもし足りないくらいです」。

萩尾明日香さん

5人を母乳で育て、得たものは子どもと向き合う時間と忍耐力

5人のお子さんを母乳で育てた萩尾さん。筆者は、母乳不足でミルクと母乳の混合育児だったが、今考えると授乳の時間は、娘とじっくり向き合った貴重な瞬間だったなぁと、とても懐かしく思う。

「ある産婦人科とのいい出会いがきっかけです。その産婦人科には子育てのヒントもたくさんもらい、たくさん子どもを産めたのも、そのおかげだと感謝しています。母乳知識がしっかりある産婦人科で、丁寧な指導のおかげで私は完全母乳で5人を育てることが実現しました。赤ちゃんっておっぱいを1時間、2時間、ずーっと吸ってる時もあるじゃないですか。その授乳の間は、なにもできない。それにずっと付き合ってきた結果、子どもと向き合う姿勢を教えてもらった気がします。デジタル化が進み、今の時代、100人分の仕事を1人でまかなえるようになったかもしれないけど、子ども100人を1人が育てることはできない。子ども1人に大人1人がつきっきりで教えてあげないといけないことが、山ほどありました。そこにとことん付き合えるようになりましたね…忍耐力がついたかな。とはいえ、一番最初の長男の時は『こうあるべき』みたいな子育ての理想を求めて、そこに追いつけない自分に苛立って子どもに八つ当たりした時もあります。本末転倒ですよね…。何人も育てて、長い時間子どもと向き合ってきて、やっと肩の力を抜いていいんだと思えるようになりました。今日の夜ご飯は白ご飯とふりかけでもいいんだって(笑)。自分の好きなことも遠慮なくできるようになってから、気持ちも楽になったかな」。

同じ父親、母親の元で育っているのに、5人それぞれに性格が違うと萩尾さん。産まれた時は、優秀な子どもに育てたいと誰しも一度は思う。自分の分身だと勘違いしてしまうことも。でも“自分とは違う人間なんだ”と気づいてからはいい意味で諦めがつき、今はたくさんの失敗を経験して、学んで、決断力を持ったたくましい人に育ってほしいと萩尾さんは願う。子どもたちの失敗も笑顔で受け止められる大らかさがあるのは、萩尾さん自身が育児でたくさんの失敗を経験したから。「私自身も失敗だらけだった。その失敗に落ち込んだり、自分を責めたりしたこともたくさんあったけど、産婦人科の院長の奥様から『手間は100%かけられない。5人いたら1人20%かもしれない。でもいいのよ。その子は最初から20%を100%と思ってるんだから(笑)。子どもへの愛情がそれぞれに100%あれば大丈夫!』って言ってもらえて、子どもとちゃんと向き合う気持ちがあれば大丈夫と確信しました」。

文字を書く、勉強する
できる時にできることをやっています

今の一番のストレス解消法は、文字を書くこと。子どもたちが部屋の壁紙を破ろうが、ふりかけをぶちまけようが(涙)、日々起こった出来事を面白おかしくネタにして、文章に残す。大分合同新聞の人気コーナー「ミニ事件簿」にも投稿し、月間大賞を受賞するほどの文才の持ち主なのだ。達筆だった祖父の影響もあり、小さい頃から文字を書いたりするのが好きだったそう。「子どもたちが寝静まると、無性に何かを書きたくなるんです。思い立ったら、チラシの裏に筆ペンでその時の気持ちを書き留める。そうすることで、自分の気持ちも整理できているんだと思います」。

興味のあるものを調べて、勉強するのも大好きな萩尾さん。今は歯科助手を目指し、通信教育で勉強中。「子どもたちの歯を毎日磨きながら、ずっと歯の健康について知りたいと思ってたんです。私自身も虫歯が多い子どもだったのでずっと気になってて。今から歯科医師を目指すのは難しいけど、受付をしながら少しお手伝いができる歯科助手ならできるかもと思って、夜、時間ができた時にテキストを読み漁ったり、トイレに持ち込んで勉強してます(笑)。子どもが優先されるので自分のことはどうしても後回しになりますが、無理なくできる時にできることをやっていこうと思っています」。

毎日の食事作りで栄養学にも興味を持ち、フードマイスターの勉強もしたいと意欲満々だ。「働くママ、専業ママ、それぞれ立場が違うと悩みの種類は違いますが、働くママを尊敬するあまり、自分がぐうたらなのではないかと落ち込んだこともあります。自分が納得のもと、選択と決断の繰り返しでこの道を歩んできたので、私は私のままでいいじゃないかと思えるようになりました。惜しむ程のキャリアを持っていなかった自分が歯がゆいですが、流れに乗っての専業ママ生活のお陰で、親の看護もできたので、結果オーライです!いつでも自分が置かれている環境の中で、今を最大限に楽しんで生きたいです。」。

萩尾明日香さん

「生きているだけでいい」と思えるから全てが幸せな時間

2時間超えのインタビューも終盤に差し掛かり、この質問をぶつけてみた。「今、一番幸せな時間は?」。すると「ほとんど全てが幸せ」と悩むことなく即答してくれた。「親のこととか、本当に今まで色々なことがありました…。兄姉や私を産んでくれたこと、たくさんの愛を注いでくれたこと、最期に身をもって私たちに命の尊さを教えてくれたことに、親への感謝の気持ちでいっぱいです。だから“生きている、そのことだけで素晴らしいんだよね”って思います」。親から子へ、子から孫へ繋がれる命のリレー。萩尾さん一家の笑顔の写真を見ていると、命のバトンが確実に受け継がれていると感じる。

これから、萩尾さんのコラムが「ママのまま」サイトで掲載されることになった。彼女ならではの視点や捉え方、そして子育てに対する思いをユーモラスに、時には真剣に綴られるコラムになるだろう。萩尾さんが発信するメッセージが、1人でも多くの大分のママの心に届くよう願っている。

萩尾明日香さん

この記事のライター:安達博子

奇しくも同じホスピスで母親を看取った経験があった私にとって、いろんなことを思い出し泣きながらの取材になりました(涙)。転ばぬ先の杖を差し出す親が多い現代「たくさん失敗しなさい!」と言える子育てを実践する萩尾さん。年下なのに、子育てについては大先輩だったのでたくさんのことを教えてもらった気がします。綺麗なママなのに、心は肝っ玉! 「ママのまま」プロジェクトのアンバサダースタッフとして、コラムニストとして、これからどんどん活躍してくれる予感。とっても楽しみです!

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