MAMA STYLE様々なママの様々なスタイルを
ご紹介します

2018.07.03

次は後輩たちにこの恩を送りたい!

大茂秀美さん

今回のママ:
大茂秀美さん・35歳・豊後大野市出身・大分市在住
(双子の小学1年生・1歳児の3児の母)

九州電力株式会社大分営業センター営業計画グループ所属。高校卒業後、九州電力に入社し今年で18年目。高校時代はソフトボール部で日々汗を流した体育会系女子だった。22歳で結婚、不妊治療を経て28歳で双子を妊娠・出産。第三子を33歳で出産する。同じ職場で知りあったご主人は、現在福岡に単身赴任中のため、平日はワンオペ育児をパワフルにこなす。

大分で自分らしく生きるママたちのこれまでを綴るインタビューシリーズ。
今回は、3人のママであり、日本の電力会社・九州電力に18年勤める大茂秀美さんのストーリー。

おじいちゃんにひ孫を見せたい
その思いから、不妊治療へ…

今回は、初の会社員ママのご紹介。本コーナー「ママスタイル」の取材場所として九州電力大分営業所1階の電化ルームを度々お借りすることがあり、その都度、気持ちよく対応してくださったのが大茂さん。ニコニコした笑顔が可愛らしく、パステル調のオーラを纏った雰囲気で、初めてお会いした時から「ふんわり」という形容詞がぴったりの人だなぁと思っていた。大手企業・九州電力に入社して以来仕事を18年間も続け、3人のお子さんにも恵まれ、他人から見れば‘人生勝ち組’に属する人かもしれない。でも、大茂さんの話を聞いていくうちに「人それぞれに他人には分からないドラマがあるなぁ…」とひしひしと感じる取材となった。

豊後大野市で中学生まで過ごし、高校は大分市内の大分女子高等学校(現・大分西高等学校)へ入学。在学中はソフトボール部に所属し、バリバリのスポーツ女子高生だった大茂さん。卒業後、「早く祖父母を安心させたい」との思いから、大学へは進学せず就職の道を選び九州電力へ入社。現在は、各営業所を取りまとめる重要な部署に所属している。

22歳で結婚し、赤ちゃんはすぐにでも欲しいという思いもありながら、産休を取るタイミングや部署異動など、仕事とのバランスを考え先延ばしになっていた。仕事も楽しくなり充実していた26歳の時、本気で子どもが欲しいと思う大きな転機が訪れる。「実は、私、祖父母に育ててもらったんです。親が2歳の時に離婚し、母は姉を連れて実家を出て行き、その後父も出て行き…。残された私と兄は、祖父母が育ててくれました。父親代わりになって育ててくれたおじいちゃんが、21歳の時に脳梗塞で倒れ、私は結婚を決意。その後、26歳の時に癌が見つかり先は長くないことを伝えられ、早くひ孫を見せてあげたいと思ったんです。でも、いざそうなるとなかなか赤ちゃんができなくて…。それで不妊治療に踏み切りました。残念ながら不妊治療中におじいちゃんは亡くなってしまい、ひ孫を見せてあげることは叶わなかったんですけど…。おじいちゃんが亡くなる少し前に、大阪の病院から電話があり、父がすい臓癌で入院していると…。おじいちゃんが亡くなった半年後に父も亡くなりました。おじいちゃんが亡くなって3か月後に双子の妊娠がわかって。双子が無事に産まれた時、これは二人がここに来てくれたんだと感じました」。

子どもが産まれ、9ヶ月後にご主人は単身赴任に。そんな中、大茂さんのサポートをしてくれたのは、幼いころに別れた実のお姉さんだった。大茂さんをずっと気にかけていたお姉さんから高校生の時に連絡があり再会。それ以来姉妹の関係を取り戻し、子育てに奮闘する大茂さんに寄り添ってくれる存在となった。「当時は社宅に住んでいたので、姉以外にも、社宅の奥さんたちが色々手助けしてくれました。出産後帰宅した時にはご飯を作って持ってきてくれたり、双子なので一人を病院に連れて行く時はもう一人を預かってくれたり。今は引っ越し先の住宅地のお友達や保育所のママ友が助けてくれます。なくてはならない、本当にありがたい存在です」。

大茂秀美さん

ご主人は単身赴任中
平日はワンオペ育児に奮闘中!

男性社員の方が大半で、女性は数えるほどしかいない大茂さんの職場。その中で2度の育児休暇を取得した大茂さんだが、苦労したことはなかったのか。「私が入社した頃には、すでに育児休暇制度は整っていました。現在は子どもが3歳になるまで育休が取れる制度になっていて、女性が働く環境としては本当に恵まれていると思います。『仕事から取り残されそう…』という不安もあって、私は上の二人が1歳半の時、第三子が1歳半の時に職場復帰しました。今は、最大で1日3時間勤務時間を短縮できる育児短縮勤務という制度を利用させてもらっています。上司や同僚は男性ばかりですが、子育てを終えた方や子育て真っ只中の方もいて、状況を理解してくれてサポートもしてくださるし、制度も充実しているので恵まれています」。

小学生の二人を送り出し、一番下のお子さんを保育園に預け、その後出勤。仕事が終わると保育園へお迎えに行き、育成クラブから帰ってくる小学生の子どもたちとだいたい同じ時間に帰宅。それからは家事に追われる怒涛のような時間が過ぎ、4人のバスタイムでホッとする。お風呂に浸かり、今日1日の出来事を子どもたちとゆっくり話す時間が大茂さんのリセットボタン。週末にはご主人が帰ってくるので、ホッとするのだそう。「よく『単身赴任だから大変ね』って言われるんですけど、主人がいると頼ってしまって、逆に手伝ってもらえないことにイライラしてしまいそう。私の性格的には、最初からいないと諦めている方が精神的に楽です(笑)。週末は帰ってきて子どもを見てくれるし、ありがとうを言っても言い足りないぐらい色々やってもらってますね」。

大茂秀美さん

仕事をあきらめかけた時の上司の言葉で、今の自分がある

「昔は完璧主義者だったと思う」と大茂さん。しかし、子育てを経て、仕事も育児も100%完璧にこなすのは無理だと実感してから、肩の力を抜く術を覚えたという。仕事が好きと言う大茂さんにも、会社を辞める覚悟を決めたことがあった。それは、今在籍する部署へ異動し、しばらく経った時だった。

「今の部署へ異動した時、仕事もより責任の重い業務になり、仕事の内容も今までよりもハードで、時短勤務している人が在籍していい部署じゃないというイメージがあったんです。その不安を悟ってくれた上司が『限られた時間の中でできることを一生懸命やれば大丈夫だよ』と言ってくれ、心を新たにして仕事に打ち込みました。でも、残業する日も増えてきて、一番最後まで保育園に残っている子どものお迎えに行くたび『子どもとの時間も取れなくて辛い思いをさせて、なんのために働いているんだろう…』と思うようになりました。そうしたら、頭に円形脱毛症が見つかって、身体中にも蕁麻疹が出るようになって体調に異変が出てきて…。さすがに限界を感じて、家族のためにも辞めようと、男性の上司に退職の意向を伝えたら、そのタイミングで第三子の妊娠が発覚したんです」。

すると上司は「辞めるのはいつでも辞められるから、赤ちゃんを産んで復帰してその時に考えてみたら?」という言葉を投げかけてくれた。「もしかしたら仕事を辞めていたかもしれません。今こうやって仕事を続けていられるのは、上司の言葉があったから」と大茂さん。あの時、自分がもっと周りに甘えられていれば…という後悔の気持ちもあり、今度はそれを後輩たちに伝えていくのが自分の役目だと話してくれた。

大茂秀美さん

会社への恩を次の世代へ

これからの目標は? 「これからもずっと仕事を続けていきたいです。今まで支えてくれた会社への恩を、次は後輩たちに送りたいんです。育児をしながらでも働けるロールモデルとして、私がその背中を見せてあげられたらと思います。それが、会社への恩返しになると思うから。今は時短勤務で他の人の60%・80%しか活躍できてないかもしれないけど…子育てが落ち着いたら、その時は120%以上活躍したいですね」。

仕事をしている女性はある意味、社会的に守られている部分がある。ある時はそれを武器にして甘んじていることもある。それは同じ女性の立場だから言えること。男性は決して口にできないことだと思う。でもあえて言わせてもらうと、それはやっぱりダメだと思う。守ってもらっているからこそ、その分、感謝の気持ちを持って仕事で恩を返すべきだと。大茂さんの職場環境は、理解ある上司や制度に恵まれ確かに羨ましい。でも、そこに甘えることなく「恩を次に送って、会社に恩返しをしたい」という大茂さんを見て、ママたち、広くは女性が社会で働く姿勢を改めて教えてもらった気がする。

大茂秀美さん

九州電力 キレイライフプラス
https://www.kireilife.net/pages/

この記事のライター:安達博子

私も女子高出身のバレー部。偶然同じ高校の後輩だった大茂さん。確かにどこか同じ匂いがするなぁと感じていました。3人のお子さん、しかも一人はまだ1歳の小さな赤ちゃんの子育てと仕事に励み、平日はひとりでそれをこなしていると言うから本当に頭が下がります。「私、職場では怖いらしくって(笑)」と言ってましたが、それは真面目で曲がったことが大嫌いな性格だからでしょう。よーくわかります。スポーツしてた人の共通項。職場の人たちが気持ちよく大茂さんをバックアップしてくれるのは、大茂さんだからこそ。育児をしながら働く大茂さんの姿を見ると、上司の方々も誇らしいのではないでしょうか。これからも頑張ってくださいね!

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