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2019.10.29

五感で感じる科学の「!(驚き、感動)」
実験で失敗も経験して、好奇心を育んでほしい

廣瀬菜美子さん

今回のママ:
廣瀬菜美子さん・42歳・大分市出身・大分市在住
(小学6年生・4年生・1年生・1歳の4児の母)

大分で自分らしく生きるママたちのこれまでを綴るインタビューシリーズ。今回は、“子どもたちに科学の楽しさを伝えたい”と、6年前に「わくわく実験室ふぁみらぼ」を主婦3人で立ち上げ、現在も精力的に活動を続ける、代表の廣瀬菜美子さんのストーリー。

努力すれば必ずできる!
トライアスロンに没頭した大学時代

初めて会った瞬間から、底知れぬパワーとオーラを感じる人がいる。年に一度?いや、数年に一度、出会うか出会わないかだと思う。廣瀬さんは、出会ったときからどことなくそんな空気をまとっていた。

〝ふぁみらぼ〟とロゴの入ったトルコブルーのTシャツに、底抜けに明るい笑い声が印象的だ。彼女は「わくわく実験室ふぁみらぼ」の代表として、ボランティアで科学の面白さや楽しさを子どもたちに広める活動をしている。「初めまして」の挨拶に続くのは、その人のこれまでのプロフィールを聞くこと。「これだけで30分くらいかかりそう。波乱万丈なんで(笑)」という廣瀬さんに、俄然興味が湧いてきた。やっぱりこの人、何かすごいものを持っている…私の予感は確信へと変わった。

大分県立大分上野丘高等学校卒業後、千葉の順天堂大学へ入学。順天堂大学と言えば言わずと知れた、スポーツに力を入れている大学だ。「上野丘高等学校から体育大学に入学するのは何十年ぶりだと、職員室がざわつきました(笑)」。高校生の時、生徒会でイベントなどを企画・運営し、その達成感を味わった思いが忘れられず、スポーツマネージメント学科(スポーツに関わる団体や企業を継続して経営したり、イベントなどを効率よく運営する方法など、スポーツの興行をビジネスとして成り立たせる方法を学ぶ学科)がある順天堂大学への進学を決めた。

3歳からクラシックバレエ、中学・高校では平行して新体操の部活動に入っていた廣瀬さん。大学ではそのあたりを目指したのかと思いきや、なんとトライアスロン部に入部。

「バレエも新体操も型が決まっていて、それを表現する楽しさはあったけど、もっと自分を開花させたい!と、大学からでも始められるトライアスロンを選びました。入部当初は水泳も25メートル泳ぐのが精一杯だったけど、練習を積み重ねて、選手権や大会では上位に食い込めるぐらいの力をつけることができたんです。努力すればできるようになる!と実感しました」。

廣瀬菜美子さん

やりたいことに突き進んだ20代
子育てに没頭した30代

大学4年生の時に、日本で初めて自転車競技の女子実業団チームを結成するという話が舞い込む。選手活動をしながらその後トライアスロンの大会をサポートしていた企業に就職が内定。しかし自転車競技を極めたいとの思いから内定を断りその道を選びました。親には事後報告だったので『何やってんだ!』と泣きつかれましたけど、自分のやりたいことを全力でやってみたい!という気持ちが強くて22歳から24歳までの2年間はスポーツ選手として、納得いくまでやりました。バイトをしながらの極貧生活で、20代前半のいい年頃を化粧気もなく、なり振り構わず、ただただ自転車競技に没頭する日々でした。全日本選手権でも3位くらいの成績は残せたんですが、自分の限界を感じてどん底まで落ちて、一回自分をリセットしたいと親元に戻りました」。



大分に戻ってからは、自動車の免許を取ったりと、3ヶ月間くらいはのんびりと過ごした。教員免許があるわけでもなく、特に資格を持っていなかった廣瀬さんは「どこかの企業で働くしかない」と働き先を探し、輸入車ディーラーに就職した。特に車に詳しいわけではなかったが、社内の飲み会や、お客様対象のイベントを企画したりと、みんなに喜んでもらえる仕事が楽しかったと廣瀬さん。やっぱりイベントを企画運営する仕事が好きだな…と実感し、今後の仕事のあり方を考えていた時期に、縁あって結婚。第一子の妊娠を機に、30歳で退職する。その後、32歳、35歳、41歳でお子さんを授かり、この間は子育てでめまぐるしい日々を送った。

「主人は出張も多く、日々忙しく過ごしていたので、ほぼ不在の状態でした。だから最初から頼るという意識はなかったんですけど、でもあの頃は大変だったなと今思います。一人目はあたふたして、やっと慣れたと思ったら二人目が産まれ、自分で何かをやりたいという気持ちも生まれなかった。30代前半はどうやって過ごしたのか?記憶があまりないんですよね(笑)めまぐるしすぎて」。



現在も福岡に単身赴任中のご主人。4人目の妊娠から出産後も、ほぼワンオペ状態だった。「週末は帰ってきて『授乳以外のことならなんでもやるよ』と、いろいろと率先してやってくれるので、本当にありがたい存在です。4人目を妊娠したときも大丈夫かな…と不安もありましたが、上3人の子どもはみんな女の子で一番上のお姉ちゃんは6年生なので、小さなお母さんみたいな頼れる存在。4番目が唯一の男の子なので、まるで王子様です(笑)。だから、父親不在の中でも4人目を出産してもやってこれたんだと思います」。

ご主人がほぼ不在の中、4人の子育てを一人で担うって想像するだけでもとても大変そう…。娘一人だけでこんなにあたふたしている私にとって想像ができない。

「いや、やっぱり大変でしたよ。一番上が幼稚園に入学した時、2番目はまだ小さく、合わせて3人目を妊娠してた時期は本当に大変でしたね。大きなお腹を抱えて小さな子どもを連れて、お姉ちゃんの幼稚園行事に参加するという…。その時に助けてもらったのが、幼稚園でできたママ友。体調が悪いときに送迎してくれたり、本当にとてもありがたい存在でした。あの時、私は一人じゃないって痛感しました」。

廣瀬菜美子さん

私はこれがやりたかったんだ!
魂が震える偶然の出会い

4人の子育てに奮闘する廣瀬さんだが、そんな中で「わくわく実験室ふぁみらぼ」を立ち上げたのは、どんなきっかけだったのだろうか。

「一番上の子が1年生になった夏に立ち上げて、今年で6年目になります。テレビででんじろうさんの科学実験を見て『面白そう!』と長女が興味を持ったので、どこか体験できる場所はないかなと探して、竹町にある科学体験スペースの「O-Labo」に行ってみたんです。でもそこで体験できるのは小学生以上で、当時幼稚園生だった長女は体験することができませんでした。『この子の〝今やりたい〟という今ある好奇心をどうしたらいいんだろう…』とモヤモヤは残りました。その夏に市内の専門学校で『宇宙展』というイベントをやっていて、連れて行ってあげたら、2、3時間で帰るつもりが結局終わりまでずっとそこにいたんです。目をキラキラさせて『すごい楽しい!』って言って、次の日も一日中、宇宙展に行ってたんです。『この子、やっぱり好きなんだ』と気づきました。佐賀関の関崎海星館で空気ロケットを飛ばすというイベントがあって、それにも参加したんですが、本当に楽しそうで。その時、館長さんが、日本で科学館がないのは沖縄県と大分県だけだということを教えてくれました。10年間、ずっと科学館を大分につくろう!という活動をしているということも聞きました。なかなか計画は進まず、実現するには、要望する市民の声が必要だということを聞き、なぜか胸がドキドキワクワクしたんです。『私がやりたいことはこれかもれしれない!』と、直感で感じました」。

それからは、自分にできることはないのか模索し、教員免許を持つ高校時代の同級生に相談してみた。すると「じゃあ、まずは二人で何かやってみようよ」という話になり『わくわく実験室ふぁみらぼ』を立ち上げた。



「娘が科学を楽しめる場所をつくりたいと、最初は我が子のためでした。子どもはあっと言う間に大きなるから、今できることをしてあげたいという思いだけでした。色々と調べたら、図書館には科学の本がたくさんあって、私たちでもできそうな科学の実験がたくさんありました。例えば、風船をドライヤーで浮かべるだけの実験でも、空気の流れや様々なことが学べる。見方を変えれば、生活の中にもたくさんの科学がある。料理だって立派な科学。それを、専門家ではないお母さんの立場で、わかりやすい言葉で伝えてあげたら、子どもたちにもっと興味を持ってもらえるんじゃないかな?と思って活動を始めました。最初は場所もないから、お友達が運営するイベントの一角を借りて手作りおもちゃを並べてみたり、そんなことから始めました」。

〝専門家ではない、私たち母親だからできる科学の実験〟を目指し、年々精力的に活動を広げていった。現在は幼稚園のカリキュラムとして科学の実験を組み込んだ授業を行ったり、夏休みには小学生1・2年生を対象にした1泊2日の「サイエンスキャンプ」などの企画運営も行なっている。ちなみに、このキャンプ、応募2時間で満員御礼になったらしい。その噂はママたちの口コミで広がり、今では毎年楽しみにイベントを待っているファンやリピーターも多い。2017年は1年間で約1800人が「わくわく実験室ふぁみらぼ」のイベントに参加した。テーブルに広げられた、ここ数年間の廣瀬さんのスケジュール帳は予定がぎっしりと書き込まれていた。

「実験を体験して、私はたくさん失敗してほしいと思ってるんです。今はテレビやYouTubeなどネット配信の動画でバーチャル体験ができる便利な時代だけど、体験することが大事。自分たちの五感を使って感じて、失敗が成功に変わる成功体験を通じて、いろんな好奇心を育ててほしいんです」。

これからの時代は、ブランドや偏差値に囚われず「どういう風に生きてきたかが問われる時代になると思います」と廣瀬さん。だからこそ、私たち親は、子どもたちにどんな生き方を選択させてあげられるのか?が問われてくると話してくれた。そのためにはやっぱり経験、体験すること。温度感のある生身の体験が何よりも大事なのではないかと、熱く語ってくれた廣瀬さんの言葉に深くうなずかずにいられなかった。

廣瀬菜美子さん

子どもたちの心に火を着けた瞬間
やっててよかったと感じます

活動を通じて、一番やりがいを感じる瞬間は?

「目を輝かせて、心から『すごい!』って感動して、子どもたちの心に火を着けることができた瞬間ですかね。楽しいを通り越して感動させられたと言うのは本当に私たちにとっても嬉しいことです。家族の実験室になってほしいと言う願いから『ふぁみらぼ』という名前をつけました。私たちがつけた子どもたちの心の火が、家に帰ってからも家族の中で広がっていくといいなと思います。子どもたちの『やってみたい』と言う好奇心を、家庭の中でも体験させてあげられるといいですよね」。

海星館で魂が震える出会いをして以来、大分への科学館設立と、科学の楽しさを子どもたちに伝えてきた廣瀬さんたち。

「活動している3人はみんな主婦でお母さん。まだ小さい子どももいるので、無理せずできる範囲で、私たちらしい科学の楽しさを伝える活動を続けたいと思っています。忙しいお母さんが子どもたちにさせてあげられない体験や経験を、私たちが代わって、そんな場所を提供していけたらと思います。大分は産業も発達してて、温泉もあり、自然にも恵まれたとてもいい所。それらを繋げて興味を持ってもらえる場所が、総合的な科学館なんじゃないかと思うんです。一人の力は非力だけど、今は多くの人が科学館がほしいと望んでいます。たくさんの人たちの願いはいつかきっと叶うと思うから、科学館が大分にできることは、今の私にとって「夢」じゃなく「目標」になっています!」。

廣瀬菜美子さん

わくわく実験室ふぁみらぼ
https://wwfamilabo.wixsite.com/0701

この記事のライター:安達博子

今回も長くなってすみません(涙)。お子さんを育てながら、幼稚園のPTA連合会の理事も務めながら(この間、科学館設立のため1万2000人の署名を集めた)、小学校の役員しながら、年間1800人集まる科学のイベントを企画運営してるんですから…。一体いつ寝てるんでしょうか。ご主人からは「抑え気味がちょうどいい」と言われているらしく、昨年出産したのでセーブしている今の状態が多分丁度いいと、大笑いしながら話してくれる廣瀬さん。それがとってもお茶目で、この人柄が多くの人を魅了し、彼女の周りにはたくさんの仲間がいつも集まっていると感じました。とてもパワフルでバイタリティあふれる女性でした。自分を追い込むのが好き(だからトライアスロンを選んだ)という性格も、心底納得です(笑)。私もいつの日か、科学館が大分にできることを願っています!

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