MAMA STYLE様々なママの様々なスタイルを
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2020.06.16

作品を作ることは
私が生きている一つの意味でもあります

下平千夏さん

今回のママ:
下平千夏さん・37歳・長野県出身・別府市在住
(2歳の男の子の母)

今回は、遠く離れた大分に移り住み、現代美術家として活動している下平千夏さんのストーリー。アーティストとして、母として、様々な葛藤と戦いながら制作活動に励む、胸の内を語ってくれた。

作り出すものには100%の力を注ぎたい
それは子育てと同等の精力を注ぐこと

取材した後に、こんなに長く原稿を寝かせておいたのは珍しい。コロナウィルスの影響でいろんな予定がずれ込んだせいだ。彼女の元を訪ねたのは今年2月のまだ寒い時期だった。制作活動の拠点となる、大分市佐賀関手前の大志生にある旧大志生小学校アトリエの一室におじゃました。

「こんにちは」とちょっと照れくさそうに出迎えてくれたのは、現代美術家の下平千夏さん。「母親であるということをアピールしながら作家活動するのか…と自分のブランディングについて未だに迷っていて…。作品の前に私のバックグラウンドは必要ないと思う部分もあるんです。“作品”が世に出ていくんだから、自分が表に出る必要があるのかな…と。だけど一つの生き方として、もしかしたら誰かを勇気づけることができるかも…という想いもあって、まだ探り探りな感じです」。出会ってすぐに、今の正直な気持ちを打ち明けてくれた。取材されることに少々戸惑いを見せていたのは、そんな想いがあったからだ。「でも、お母さんである下平さんが今の下平さんだから、そのままでいいんじゃない? その背景を知って作品を見たいと思う人もいるかもしれないし。今までとは逆の入り口かもしれないけどね」と私自身の気持ちを伝えてみた。「確かに…。それはそれで面白いですね」と、下平さんは少し安堵した表情になってくれた。



長野県出身の下平さんは、武蔵野美術大学の造形学部建築学科を卒業後、東京芸術大学の大学院へ進学。修了後は、東京を拠点に、個展や全国各地で行われる大きなアートプロジェクトに参加したりと多忙な日々を送っていた。瀬戸内国際芸術祭や六甲ミーツアートなどの国際展にも多数参加している。そうそうたる経歴に驚いたのと同時に、「なんでこんな才能ある人が大分に?」という疑問が湧いてきた。

昨年4月に家族で大分に引っ越してきた下平さん。3年前にお子さんが産まれ、家具職人でもあるご主人が別府竹工芸の修行をすることになったのをきっかけにこちらに移り住むことになった。そもそもアーティスト活動をしている女性って、出産後はどんなライフスタイルに変化するんだろう…身近に例がないので、全く想像がつかなかった。

「全体的に人数も少ないですし、一般的にはあまり認知されていないですよね、アーティストの世界って。お金を稼ぐには不安定な職業でもあるので、そういう部分でもアーティストを仕事にすることを諦める人もいて、女性の作家さんは子どもを産んだら辞める人も多いんです。モノづくりをしている人たちって、自分たちが作り出すものには100%の力を注ぎたい。それって子どもを育てるのと同じくらいの精力を注ぐことなんです。だから私も正直、子どもは作れないと思ってました。作品を作る以上、そこに全身全霊のエネルギーを注がないといけないから、逆に子どもができたら作品は作れなくなると思ってた。でも、ハッピーなことに私は子どもを授かって、これを機に子育てにもトライしてみようという気持ちになったけど、その機会がなかったら自ら子どもを産む選択はしてなかったかもしれません。私にとってそのくらい、制作活動と子育てを両立することは非現実的なことでした」。

初めて聞く、アーティストが制作活動と子育てを両立することへの苦悩。未知の世界ではあったが、今のすべてを捧げて作品作りに向き合う、下平さんの美術家としての誇りを感じた。

下平千夏さん

子どもを背負いながらの制作活動
たくさんの人たちに支えられた

修学旅行で福岡を訪れて以来の、遠く離れた九州での生活。縁もゆかりもない別府での暮らしはどうなのだろうか。

「こっちに移ってきてから、半年間は体調不良に悩まされましたね。気候が違うのが影響してるんだと思うんですけど、長野の菌と九州の菌は質が違うんだと思います(笑)。あの頃は本当に大変だったけど、私には大分はすごく合ってると思います。別府は移住者の方も多いからか、地方から移り住んで来た人にとても優しいし穏やか。近所付き合いもしやすくて、近所の方と関わりながら子どもものびのび育っています。寒い国の人は隣近所の結束が強いので、外部から来た人をすんなり受け入れられない気質もあって…。そういう意味では、別府はアーティストが活動しやすい場所だと感じました。別府プロジェクトもあるし、アートを発信する環境も整っていますしね」。

出産した2017年に、長野県の美術館で大きな展覧会が決まっていた。これだけは絶対にやりたい!と、子どもを背負いながら制作に打ち込んだ。


「Darning the place」2017年
クロージング ネオヴィジョン新たな広がり展(長野県信濃美術館 長野県)


「子どもが生まれる前は、展覧会の1ヶ月前といえば、ずっと徹夜状態みたいな感じで、朝から晩までずーっと作品のことだけを考えられていました。それが出産後は『保育園にお迎えに行く時間だ』『ご飯作らないと』って、制作と育児とで気持ちを切り替えるのが大変で、半分違う自分がいる感覚でした。お手本があるわけじゃないから、主人と『どうやったら作品が作れるかな』って話し合いながら一つ一つをクリアにして進んだけど、他の一般的な仕事とは違って作品は私にしか作れないから、私の代わりはいない。本当にこれでやれる?って最後まで不安と緊張と戦いながら必死でしたけど、なんとか完成しましたね。でもそれが逆に自分の自信にも繋がりました」。

出産後初のその展覧会では、地面と建物を輪ゴムで繋いだ幅15m×奥行き20m×高さ15mの大作に挑んだ。美術館近くに住んでいた同級生に子どもを預かってもらったり、ご主人や学芸員の方々、友人も含め多くの人たちが、彼女の支えとなった。


「Ether」2015年
犬島家プロジェクトC邸(犬島 岡山県)
瀬戸内国際芸術祭2016, 2019参加作品
撮影者:大西正一

光を紡いだ大樹のような
たくさんの想いが込められた作品が完成

2017年の展覧会以降、作品を作る機会から遠のいていた下平さん。ちょうど取材におじゃました時、大分に来て初となる展覧会「CIAO! 2020」の参加が決まり、出品する作品のアイデアを思い倦ねていた。4月17日から開催予定だったが、コロナウィルスの影響で開催も危ぶまれていた。その後、2回目に下平さんに会ったのは、展覧会が行われる大分市美術館。水糸(蛍光色の細い糸)を一本一本ほどきながら、もしかしたら日の目を見ないかもしれない作品を一心に作っていた。

下平さんの作品を言葉で表現すると “日常の中で目にする当たり前のことから要素や因子を抽出しそれを可視化した空間作品”。工事現場で日常的に使われている水糸と呼ばれる糸を使い、上部から生える一本一本の細い糸が一本の幹のように結束し、まるで光の樹が根を張ったような生命力漲る作品が後日完成した。「光を綯《な》う」というタイトルの作品には、こんな想いが添えられていた。


「光を綯《な》う」2020年
水糸、キャンバス、フレーム
CIAO! 2020/大分市美術館
©SHIMODAIRA Chinatsu


『その瞬間、人間の身体における進化の究極的な表現を記録する媒体の1つとしてオリンピックがある。ふと木を見上げた時、まさにその一瞬と立ち会う。我々人間より多少無垢な木々は、最大限の陽光を求めて枝葉を伸ばし、根は水と栄養を求めて地中を貪り続ける。その様は、人間の進化へのあくなき欲求とさほど遠くないように感じる』。

コロナ禍真っ只中だったその時、これを読み作品を鑑賞して、不安ばかりの日々にちょっとだけ光が差し込んだ気がした。作品を生み育てることと、子どもを産み育てることは同等のパワーが必要だと下平さんは話していた。それならば、変化する環境の中で子育てをして、母として強い女性になっていく彼女の作品はこれから更に進化していくに違いない。

「作品を作ることは何にも変えがたい自分の生きがい。生きている一つの意味でもあるんです」と話していた下平さんの力強い言葉が忘れられない。彼女の作品も展示されている展覧会「CIAO! 2020」は、大分市美術館にて9月22日(火曜)まで会期延長となった。彼女の想いが詰まった作品に出会い、何かを感じてとってほしい。 

下平千夏さん

「CIAO! 2020」~9月22日(火)
大分市、別府市に拠点を置きながら活動するアーティスト8組による展覧会。
場所:大分市美術館  料金:無料

この記事のライター:安達博子

出産後に声がかかった展覧会はたくさんあったそうだが、子育てをしながら活動する上で多くの条件がクリアにならず断念したそう。アーティストが作品創りに費やす時間に見合った収入が得られない現実を嘆いていた下平さん。今回、初めてアーティストが仕事と子育てを両立する苦悩を聞いたが、出産しても創作活動を続けることができる仕組みができれば、もっと素晴らしい芸術家が育っていくのに…と惜しい気持ちになりました。ワークショップのイベントなどにも参加する機会があるという下平さん。悩みながら、もがきながらも前に進む気持ちを忘れないで、これからも自分の居場所で輝いてください!

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