MAMA STYLE様々なママの様々なスタイルを
ご紹介します

2020.08.04

限りある人生だから
ママをしながら夢を叶えたい!

松尾美和さん

今回のママ:
松尾美和さん・36歳・埼玉県出身・大分市在住
(3歳、0歳の女児の母)

毎週金曜日の16時からFM大分で放送中の「ままともラジオ」で、6月から新パーソナリティとして仲間入りした松尾美和さん。様々な仕事を経験し、家族の鬱病や、不妊治療を経た現在、やりたいことに邁進して輝くそのパワーの源は? 周りの人を笑顔に元気にしてくれる、彼女の魅力に迫ります。

大学時代のミニFM、観光業、ラジオトピッカー
今の礎を築いた経験

「ママのままプロジェクト」がお届けする「ままともラジオ」に新しい仲間が加わった。ラジオから流れる松尾さんの落ち着いた声は耳に心地よく、ママたちが思わず吹き出してしまうあるあるエピソードをユーモアを交えて話してくれる。以前、OBSラジオのトピッカーキャスタードライバーのお仕事をしていたという話を聞いて納得だ。

取材するにあたり、彼女のインスタを覗いてみた。出産・子育て・家族の話…などなど、身近に起こった出来事をおもしろ可笑しく、自作のイラストを交えて紹介している。その世界観に引き込まれ、時間を忘れて読み進めてしまった。フォロワー数2300を超えるのも頷ける。

おじゃましたのは、松尾さんのご自宅。中古マンションをリノベーションした、カフェのようなオシャレな空間だった。「好きなお店は、100円ショップとか3coins、ニトリ、ナフコとか。そこで買ったものに手を加えてDIYするのが好きです。お気に入りのインテリアに囲まれて暮らすのは心地いいし、片付けもストレスにならないですね」。隣の部屋で赤ちゃんがスヤスヤと就寝中。寝息と共に、優しい時間が流れていた。



埼玉県出身。幼稚園年長の頃、祖母が一人暮らしになったことをきっかけに父親の故郷でもある大分へ。高校までを大分で過ごし、長崎国際大学へ進学。国際観光学科で旅行業の資格などを取得した。大学のゼミでミニFMの番組を制作することになり、メインパーソナリティを勤めた。ゼミの後輩だったご主人とは、大学4年生からお付き合いを開始。大学を卒業後は大分に戻り、大分県観光協会のツーリズムおおいたに入社し、大分の観光に関わる仕事に就いた。

「地元の友達は『大分は何もなくてつまらない』とか『福岡がいい』って言うんですけど、私は大分の魅力はたくさんあると思っていたので、友達や当時彼氏だった旦那を大分の観光地に連れて行ってましたね」。そこから2年間、主にホームページの制作を中心に、大分の観光に関わる仕事に全うした。

遠距離恋愛も長く続くと、そろそろ結婚?…という展開になる。「旦那は就職してまだ1年ぐらいでした。将来を考えた時、結婚はまだ早いねという話になって、それなら結婚するまでにもう一回面白い仕事をしたい!と思ったんです。そのタイミングでOBSラジオのトピッカーキャスタードライバーの募集を見つけ応募しました。大学でミニFMに関わった事や、大分の観光の知識があったのがプラスだったかも。無事に採用されて、3年間トピッカーのお仕事をしました。トータルで1000人くらいをインタビューしましたね」。

27歳で結婚し、ご主人の仕事の関係で久留米へ引っ越すことに。その際贈られた寄せ書きの、あるアナウンサーからのメッセージが松尾さんの心に深く残った。「“斉藤(旧姓)のリポートはすごく安定してたし、また一緒に仕事がしたいね”って書いてくれてたんです。そのメッセージがすごく嬉しくて、いつかまたラジオの仕事がしたいなぁ…って思いましたね」。

松尾美和さん

直感で選んできた仕事
引き篭もりになり痛感した夫婦の絆

ラジオへの未練を断ち切り、久留米で始まった新婚生活。「何か面白い仕事ないかなぁ」と新しい職を探していたところ、大型おもちゃ販売店の求人を見つけ、パートを始めることに。そこで、今まで開花していなかった才能が頭角を現す。ポイントカード会員を集める内部キャンペーンがあり、店舗でトップの成績をおさめ、ご褒美にキリンの大きなぬいぐるみをもらったそうだ。10か月ほど勤めたが、ご主人の仕事が転勤になり、次は宮崎県の延岡へ。

延岡でも、同じく「面白い仕事ないかなぁ」と職探し。大分・宮崎・福岡県でチェーン展開する大手の子ども写真館のバイトを見つけ、採用される。きらびやかな衣装に着替えさせ、子どもをあやしながら写真撮影し、アルバムを販売するという一連の仕事をこなした。そこでもまたあの才能が開花する。アルバム販売の売り上げが、なんと全店舗で5本の指に入るトップクラスに入ったのだ。「トピッカー時代に培った話術が役立ったんだと思います(笑)。特に押しが強いわけでもなかったと思うんですけどねぇ」と松尾さん。きっと、人を惹きつける不思議な魅力が彼女に備わっているのだろう。

ふと時計を見る。取材時間はまだ20分足らずなのに、正直お腹いっぱいのこれまでの松尾さんの人生(笑)。まるで展開の早い映画を見ているような気分だ。

「でも、まだまだ続きがあるんです。写真館で1年くらい働いた頃、今度は旦那が転職することになったんです。旦那の先輩が大分でお店を立ち上げることになって、オープニングスタッフとして就職することになり、そのタイミングで大分へ。転勤が続き、私もバイトやパート生活で就職もできず、それもきついなぁ…と思ってたし、将来を見据えて定住したいと考えてたので、地元に戻れてちょっと安心しました。延岡で働いていた写真館の系列店が大分にもあったのでオファーをいただき、引き続き写真館で働き始めました。しばらくして、旦那が働いていた飲食店が繁盛して人出が足りないということで、昼間は写真館、夜は飲食店で働く二足のわらじ生活がスタートしました」。接客がいいと評価され、飲食店では正社員に昇格。写真館の仕事は辞めることとなった。



そんな矢先、ご主人が鬱病を発症。半年間仕事を休むことになった。ご主人を、一旦実家の長崎へ帰らせ、その間、松尾さんは家計を支えるために昼夜問わず働いた。半年後にはご主人も落ち着きを取り戻し、アパレル関係の仕事に転職。無我夢中で働き、気づけば32歳になっていた。

「実は延岡にいた29歳の時から不妊治療をしてたんです。延岡には不妊治療の専門医がなくて、先生から“うちでの治療は限界があるから…”と言われ、一旦治療をお休みしました。大分に戻ってから治療の再開をしたものの、朝から晩まで働いていた時だったので不定期に何度も通院するような余裕がなかった。本格的に通院するために悩み抜いた末仕事を辞めることを決断したんですが、知らず知らずの内にたくさんご迷惑をかけていたようで、最終日にかなりショックなことを言われて…。それをきっかけに、今度は私が引き篭もりになってしまい1ヶ月くらいご飯をまともに食べられなくなってしまいました」。

一気に10キロほど痩せてしまった松尾さん。そんな辛い時期を献身的に支えてくれたのは、ご主人だった。「それまでは、私が彼を守らないといけないと必死だったんですけど、今は私が守られてるな…と。夫婦って支え合うものなんだと痛感しました。と同時に、あの時、旦那は辛かっただろうな…とも。一生懸命働いて、私は家計を支えることはできたかもしれないけど、旦那の心には全然寄り添えてなかったと、反省しましたね」。ご主人の支えがあり、松尾さんの症状は1ヶ月弱で回復した。

松尾美和さん

今の私ができることを!
ママだからこそ叶う夢に向かって

それまでは「面白そう!」という直感で仕事を選んできた松尾さん。しかし様々な経験から「次の仕事は福利厚生がしっかりしたところにしよう」と決めた。不妊治療にも通いやすく、家事をきちんとこなせる時間が取れる仕事を…。そこで出会ったのが、現在働いている「ヤフー株式会社大分センター」だった。

「働くママに優しい、恵まれた労働環境でした。相談すればシフト調整も可能だし、育児関係の制度も手厚くて。働きながら不妊治療にきちんと通えたのもあって、入社して間も無く、33歳で無事に第一子を授かることができたんです。妊娠がわかったとき、それまでが大変な道のりだったから『こんなに人生うまくいくはずないっ』て半信半疑信で、実感も湧かなくて。だけどやっぱり嬉しくて、夢みたいで、世界がキラキラとしましたね」。

初めての出産は難産で丸3日間かかり、最終的に帝王切開で出産した。そんな壮絶な出産経験を経て、松尾さんの中に確固たる想いが芽生えた。「命ってこうやって先祖から繋がってきたんだって実感しました。ということは、私の命もいつか終わるんだと。生を持って死を感じた瞬間だったんです。この子さえいればいい、この子のための人生を…という想いと同時に、私の命にも期限があるから後悔のないよう生きようって。夢を叶えている人と叶えられなかった人の違いは、行動に移すか?移さないか?の違い。だったらやりたいことやろう!って思ったんです。私がやりたいことの一つは、絵。小さい頃から好きで、仕事でポップを作ったりと色々と役立ったけど、それに付加価値をつけてもらったことがなかったなと。もう一つはラジオ。寄せ書きのメッセージがずっと心に残ってて、いつか関われる何かがしたいと感じていました」。



一歩でも夢に近づくため何かできないかと、様々な活動に参加した。地元タウン誌が開講したライター講座を受講したり、子育て支援サイトのボランティアスタッフとしてイベントの運営に携わったり。その中である考えに至ったという。それは決して転職はしないということだ。「現在の職場は副業が許可されているんです。だから贅沢かもしれないけど、守るべきものを守りつつ夢を叶えられないか、やりたい事ができる方法はないか模索しよう!と考えるようになりました」。

「ままともラジオ」との縁は、初回からパーソナリティを務めるもとむろあさみさんとの出会いがきっかけだった。「彼女もやりたいことをどんどん実現している女性。そういう人って、やっぱり行動しているなと思ったんです。まずは、『ままともラジオ』のままともメイトに応募して、長年の夢だった念願のラジオに関われることに。任期が終わる頃に、恥を承知で、プロデューサーに『このラジオに関わりたいんです!』と直談判したんです。ちょうど第2子が臨月に入る前だったので、子どもも生まれるし、本業の仕事をやりながらですが…というわがままを伝えて。その甲斐あって、今回声をかけていただきました。勇気を出して、想いを伝えてよかったなと思います!」。

二つ目の夢も同時に叶っていると松尾さん。得意のイラストをどうやってお金にするか?と考え、地道にインスタグラムの更新を続けているうちにフォロワーが増え、現在は「たまひよ公式インスタグラマー」として認定された。インスタを見たというある企業から、子ども用液体歯磨きのパッケージイラストの依頼が舞い込んだ。



「今までは子どもがいるから諦めなきゃいけないという想いもあったけど、ラジオのお仕事もイラストの仕事も、逆にママだから夢が叶っていると実感してます!」。

現在は、第二子の育児休暇中で来年の1月に職場復帰する予定だ。「復帰するまで、やりたいこと全部やりたいと思ってます!」と、溢れるパワーがみなぎっていた。

あんな風になりたい、こんなことしたい…。ママだって、憧れや夢はたくさんある。それを空想することは容易いし、誰にだってできる。だけど、夢を次々に実現している松尾さんとの圧倒的な違いは“好奇心と情熱と行動力”だ。日々、無欲でのんびり過ごしている私にとって、こんなに羨ましい生き方はないと、彼女を見て感じた。「私の人生は有限なので!」という松尾さんの言葉が頭をよぎる。その一歩を踏み出すか、思いとどまるかで、限りある一度きりの人生が大きく変わっていく。後悔のない私だけの人生は、私しか作れないのだ。

松尾美和さん

Instagram

◇子育て絵日記用
https://www.instagram.com/miwa_chopper/

◇ラジオ活動用
https://www.instagram.com/matsuo_miwa/

この記事のライター:安達博子

取材開始20分で、お腹いっぱいになったのは久しぶりです(笑)。色々ありすぎて、原稿が莫大な文字数になってしまいました。「人生には限りがある」と、松尾さんが出産を経験して感じた想い。改めて自分に喝!を入れてくれた言葉として胸に刺さりました。そして人生に起きるすべての経験に、一つも無駄がない事も…。ホンワカとみんなを包みこんでしまう懐の深さを感じる松尾さん。ラジオの声からもその人柄が滲み出ていて、リスナーさんを癒してくれることと思います。松尾さんのように「ママのままプロジェクト」きっかけに可能性を広げている女性を見ると、プロジェクトとしてこれまで頑張ってきてよかったなと嬉しく思います。これからも夢に向かって迷いなく突き進んでくださいね!

こちらの記事もオススメです

page top