好きなことが仕事に…
直感で選んだフォトグラファーの仕事
ある家族の写真集を見せてもらった。「Birthday Photo」という名のその本は、妊婦健診から出産、産後健診まで立ち会い、それらの日々を撮影して本に仕立てた、世界に一冊だけしかない写真集だった。4人目を出産するというお母さんとその家族のストーリーは、知らない私たちが見てもページをめくるたびに胸が震え、涙が溢れてきた。兄弟が増える前の子どもたちのいつもの日常や、お母さんが痛みに耐えている姿を見るお兄ちゃんの今にも泣きそうな横顔、新しく仲間入りした赤ちゃんを囲んだ兄弟たちの笑顔、お父さん、お母さんの愛に溢れたメッセージ…。写真館で撮るかしこまった写真とは違う、家族みんなの想いや感情が伝わる臨場感ある写真だった。
これらの写真を撮影し、本を製作しているのが福添麻美さん。凛としていてかっこよくてオシャレで、笑顔がとてもチャーミングな女性だ。きっと私が大好きな人種だと直感した。
北海道出身の福添さんは地元の高校を卒業後、母方の実家がある大分の大学へ進学。祖父母の家から別府大学短期大学に通った。
「私が子どもの頃は、北海道から大分まで飛行機代が片道10万円くらいする時代。九州に来るのは海外に行くみたいな感覚でした。なかなか会えない祖父母のことが心配な母親も、私が大分に行くことで少しは安心するだろうし、ちょっとだけ違う世界を見たかったというのもあって大分を選びました。大学を卒業したら札幌に帰るつもりだったんですが…」。
結局、大学卒業後は北海道には戻らず、卒業した大学の学生寮の寮監と事務を兼務し、5年間働いた。実家が下宿屋さんを営んでいたこともあり、違和感なくその仕事を選んだそうだ。その間、趣味でダイビングを始め、アシスタントインストラクターの資格を取得。大学の仕事と同時進行で、週末はインストラクターの仕事もした。「どうも私は趣味が仕事になるタイプのようで(笑)」。ダイビングを通じて知り合った現在のご主人と25歳で結婚し、28歳で第一子、30歳で第二子を出産。お子さんを妊娠したと同時に海からは離れ、それ以降はダイビングの仕事からは離れた。
1人目のお子さんを出産後は専業主婦となり、2人目のお子さんが1歳になる頃、ブライダルフォトグラファーの助手として働き始める。「働く気はまだなかったんですけど、求人情報誌を見てたらその求人が目に留まって。ちょうどその頃、子どもをデジカメで撮影したりしてて、カメラ目線ではない写真が面白いなって感じてた時期で。そのタイミングでその求人を見つけてしまったので、主人にも相談せず面接の予約を入れてました。働く条件の3つが私にぴったりだったんです。土日働ける→旦那がいるから大丈夫。写真が好き→好き!好き!。初心者オッケー→初心者! と、この条件に押されて、即面接に行きました」。
その後、見事にスタジオでの採用が決まり、結婚式当日の撮影のサポートをしながら先輩カメラマンから一眼レフカメラで撮影する技術を学んだ。「土日の結婚式で撮影のヘルプをして、平日に家で写真を現像。そのあとスタジオに納品するという流れだったので、子育てをしながら無理なく働ける仕事でした」。1ヶ月間ほどサポートにつき撮影技術を学んで独り立ちをした。2年ぐらい過ぎた頃、ある疑問を感じるようになる。「初めまして、とその日に出会ったばかりのお客様の撮影をして、写真を納品して…というルーティーンに『私の写真って本当に喜ばれてるんだろうか』という思いが湧いてきたんです。その人たちのことを前もって知ることで、もっといい写真が撮れるんじゃないかって思い始めて、撮影前の打ち合わせから写真の納品までの一連をやってみたいと思い『Rafeel』という屋号で立ち上げました。それが11年前です」。そこから、福添さんの写真家としての活動が本格的に始動する。
ちゃんとしなくていいんです!
お祝いの日を楽しく過ごしてほしいから
現在はブライダル関係の仕事からは離れ、七五三や家族写真などの依頼を受け、撮影を行っている。福添さんの活動の中で看板となっている「ちゃんとしなくていい七五三」。このネーミングには深い想いが込められている。
「最初はちゃんとした写真を撮っていたんですけど、撮影が終わった後のお母さんたちが『あー疲れた』と言ったのを聞いて、考えたんです。なんで疲れるんだろうって。それは子どもたちにちゃんとしないといけないことを求めるからだと分かったんです。ちゃんと笑わないといけない、千歳飴を持って行儀よく…。だったら、それを求めなければ楽しい一日になるんじゃないかと思って始めたのが『ちゃんとしなくていい七五三』なんです。着替えたくなくて泣いたり、疲れてブスくれたり、嫌だと駄々をこねたり。でもそれがありのままの姿。むしろその方が面白いんです」。
打ち合わせの時に「私の撮影、ちゃんとしてませんから」と言ってその話をすると、お母さんたちもハッと気づくそうだ。「そういう写真って、大人になったこの子が、いつか自分を助けると思うんですよ。子育てって理想論じゃできない。私もそうだったけど、虐待って紙一重で、怒鳴る、叩くなんていうのは日常茶飯事の出来事。お母さんたちは日々、自己嫌悪と戦いながら子育てをしていると思うんです。きっと、この子も大人になり、子どもができた時に自分自身のそういう写真を見て『私にもこんな時があったんだ』と思える時がきたら、我が子を叱る時に少し冷静になれるかもしれないし、視野も広がるかもしれないなって思うんです」。写真を撮ったこの子たちが、この写真をどんな風に見てくれるのかが今から楽しみ!と、期待に胸膨らむ少女のような、無邪気な笑顔で話してくれた。
『ちゃんとしなくていい七五三』の撮影後、お母さんたちが「今日はすごく楽しかった」と笑顔になっていた。それを見て、福添さんも嬉しかったそうだ。「子どもたちの成長をお祝いする大切な時だから、楽しい思い出を残したいですもんね。子どもが泣いてても、疲れたと駄々をこねても、それを大人が楽しんであげれば一日は変わる。そういうのを写真を通して伝えられたらなって思うんです。お母さんたちはみんな頑張ってる! だから私が撮った一枚が皆さんのお守りになってくれたら嬉しいんです」。
自分の場合を考えても、正直、七五三は疲れたなぁ…という思い出しか浮かばない。子どもの不機嫌そうな表情の写真を見て「なんでこんな顔するんだろう」と思ったこともある。でも、子どもが大人になった時、そんな写真の方がきっと鮮明にその時の感情を思い出せるよなと、福添さんの話を聞いて気づいた。着飾って、お化粧して、スタジオで撮影したちゃんとした写真もいいが、福添さんの写真には物語が生まれる。もっと早くに気づきたかったな。そしたら、七五三の時、あんなに子どもに「もうちょっと我慢して!」と怒鳴らずに済んだのに…。
写真を撮りながら私が教えてもらってます
これからもずっと現在進行形でいたい
取材中に見せてもらい、一同が涙した、ある家族の出産記録「Birthday Photo」。制作のきっかけになったのは2009年。10人目のお子さんを出産するという女性が「きっと最後の出産になるから記録を残したい」という想いがあることを知り、初めて出産の撮影に挑んだ。
「人の出産に立ち会ったこともないし、撮影したことももちろんなかったんですけど『やってみるよ』とお返事して、初めて出産シーンを撮らせてもらいました。それがきっかけで『Birthday Photo』というカテゴリーが誕生したんですが、それからは口コミや助産師さんの紹介などで広がり、これまでに10組ぐらいの写真集を作らせてもらいました」。
毎回、泣かずに撮れない時はないと福添さん。それぞれに物語があり、撮影のたびに「女性ってすごいな」と改めて感じるという。「私も出産を経験してますが、そうじゃない目線で女性のすごさを感じます。命が生まれることは当たり前じゃなく尊いこと。あの痛みを乗り越えて生まれてくる子どももお母さんもすごい。この一言に尽きますね」。
「Birthday Photo」の撮影は、妊婦健診の時から付き添い、出産を含め3、4ヶ月間はその家族につきっきりで撮影に挑む。途中から子どもたちも親戚のおばちゃんが来てるという雰囲気になり、まるで身内のようになると話す。
「出産シーンを撮影する時は、私は完全にいない存在=空気になってないといけないので、出産当日までに家族やお母さんに会う頻度は半端ないです。出産シーンだけじゃなく、それまでの家族の日常も写真に収めたいので、私もその中に入っていくんです。私が撮影することで緊張させてしまうとお産に影響するので、コミュニケーションを深めて、当日『麻美さんがいてくれて安心する』と言ってくれるまで持っていきます」。撮影する家族の中にどっぷり入り込むと、その家族のことが大好きになると福添さん。「いろんな家族があるから、それをゴールまで持っていくのって大変ですね」と聞いたら、「仕事という感覚を超えて、自分が好きなことをやっている感じなので、あまり深く考えてないんですよね」という返事。普通の人ではなかなか真似できない。でも、反面、滅多にない素敵な経験をしている福添さんが、とても羨ましく感じた。
見せてもらった写真集の家族は、4人目の出産の記録を残したいと福添さんに本を作ってもらった。以来、北海道の函館へ転勤になった後も、その時に誕生したお子さんの七五三の撮影などは、北海道まで福添さんに来てもらい撮影してもらっているという。撮る人と撮られる人、という関係性を超え、今ではお互いが大切な存在になっているのだろうと感じる。
「その時にいろんな人を紹介してもらって、去年、一昨年は北海道まで七五三の撮影に行きましたね。東京へお引越しした方からも依頼があって、去年は、函館、札幌、東京、大分で七五三の撮影をしました。今年はコロナの関係で県外の撮影は難しかったので残念でしたが、また落ち着いたら行きたいですね。北海道は私の故郷でもありますし」。
福添さんは2人の高校生の母でもある。お子さんも大きくなり、県外での仕事もできる環境になった。「子どもが小さい頃は全然仕事がなくて、成長とともに少しづつ仕事ができてきた感じです。来年は二人とも県外に行ってしまうので、もっと仕事に集中できる環境になるかな」。昨年はお子さんの反抗期に悩み、落ち込んだことも多かったと振り返るが「今はその自分の経験を活かして、子育てに悩むお母さんたちに『大丈夫。大丈夫。』というスタンスでいたい。私自身、子育てをちゃんとしないといけないと思ってきた母親の1人なので、それがきついこともわかるし、子どもを苦しめることもわかるから、せめて自分が学んだことを経て、仕事を通して『そんなことしなくても大丈夫だよ』と伝えていきたいんです」と話してくれた。
「お母さんはいつも大変。子育ては綺麗ごとじゃないと改めて思うんです。怒鳴ったりわめいたり、落ち込むことも度々。お客さんのところに写真の納品に行くと『すごくいい家族みたい!』って言うんですよ(笑)。そんな言葉が出るって言うことは、どんな家族も裏ではいろんなことがあるんですよね。写真を見て改めて『いい家族なんだ』って確認できるんじゃないかなって。子育てしてる時は自分は怒ってるイメージしかないけど、子どもに向かって笑顔でいる自分の姿をみて、私ってこんな笑ってるんだ!って、安心できるんじゃないかなって思うんです」。
福添さんが撮影する際に大事にしていること。それは「感情を写す」ということ。動画と違い、写真はその一瞬しか残らない。その瞬間に、どれだけの感情を写し込むことができるかを考えてシャッターを切る。「怒っててもいい、泣いててもいい。その感情を撮ることで、後の会話が広がる物語のある写真が残せるんだと思うんです。綺麗でかっこいい写真も素敵だけど、私にとっては、ありのまま『らしくある写真』であることが大事。10年後、20年後に物語を語り出す一枚をこれからも撮っていきたいですね」。
これからの活動や目標を聞いてみた。「私も撮りながら、いろいろと教えてもらっているんです。お母さんたちの一言だったり、打ち合わせ中の会話だったり、その中からヒントをもらって、今の形ができています。だから、私が作るというより、作ってもらってるんですよね。まだまだ完成形は見えてなくて現在進行形ですけど、これからも探求しながら、皆さんがこうしたいと言うものを形にしていきたいですね。あ、サグラダファミリアみたいな感じかな。ふふふ、かっこいいこと言いましたかね?」。
この記事のライター:安達博子
私の直感、的中。取材が終わった時には福添さんの魅力に取り憑かれ、大ファンになっていました。もっと早くに知り合っていたら(私の方が年上だから無理かもしれないけど)、七五三も、家族写真も撮ってもらいたかったなぁ(家族写真は間に合うから本当に撮ってほしいと切望)。赤ちゃんの誕生を記録する「Birthday Photo」を制作する際には、朝も夜も依頼者家族とともに過ごし、その日常や家族の表情を、空気のような存在となって撮影するという福添さん。一見、大変なお仕事だなと思ったけど、それをご自身が楽しんでいる様子がとても羨ましく、天職とはこういうことを言うんだなと感じました。他にも店舗や商品パンフレットの制作などを手がけるプランナーとしての活動もされています。いつかご一緒にお仕事できる日を夢見て、またぜひ再会したいです。