MAMA STYLE様々なママの様々なスタイルを
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2021.02.16

隣に寄り添える存在として
誰かの力になれたら…

中田寛子さん[接客業]

今回のママ:
中田寛子さん[接客業] 37歳・大分市出身・大分市在住
(9歳・6歳の一男一女の母)

「人と接する仕事が好き」という中田寛子さんは、メガネ店やブライダルリングの販売、受付事務の仕事などを経験し、現在はホテルのレストランサービスの仕事に就いています。一時期は職場でのパワハラに悩み、うつ状態直前まで追い込まれた中田さんですが、現在は恵まれた職場環境の中で、より一層の高みを目指しています。ここまでの道のりは、山あり谷ありだったようです…。

やりがいを感じた
お客さんの心を掴む接客業の仕事

結婚・出産・就職・離職・介護…と、女性のライフステージには多くの岐路があり、その都度選択を迫られる。そんな女性たちが諦めたり、挫折することなく自分らしい人生を歩んでいくための知識や出会いをバックアップしたいと「大分県消費生活・男女共同参画プラザ」と「ママのままプロジェクト」がタッグを組み開催したセミナー『キャリア形成セミナー』が昨年開催された。多くの女性たちが参加し、その中の一人に中田さんがいた。半年間に渡る勉強会の最後には修了式が行われ、修了証書が手渡された。その際、一人一人が感想を述べたのだが、感極まり大粒の涙を流しながら、声を絞り出しメッセージを発したのが彼女だった。その姿に心打たれ、取材で参加していた私ももらい泣きしてしまった。マスク越しに見る顔や表情、雰囲気がとても綺麗な人で印象に残った。「あの涙の理由が知りたい…」。修了式が終わりに、まるで芸能スカウトマンのように声をかけ、取材をお願いしたら快諾してくれた。



早速、セミナーの翌日にご自宅におじゃました。縁側とこたつのある、なんとも癒される空間は中田さんのご実家。現在は、中田さんのご両親と、ご主人、お子さん2人と暮らしている。丁寧に淹れてくれた緑茶はとても美味しく、お茶を供する中田さんの美しい所作にうっとりした。

「参加したセミナーは、今の私にとってドンピシャでした。心に残ったのは『チャンスをキャッチする力とそれに乗っかる力が大事』だと言う話。コロナ渦で何かをしたいと思ってた時に、このセミナーを受けたい!と直感で行動したんですけど、これもキャッチする力だったのかなと今思います。私の目指すべき場所が明確になって、人生が変わったと言ってもいいくらいです」と、開口一番にセミナーの感想を語ってくれた。主催者側としては「やってよかった」と心の底から喜びを感じる瞬間でもあった。



地元の小学校、高校を卒業後、長崎の大学に入学し、人間関係学科で心理学を学んだ。

「当時、妹の体調が悪く、入退院を繰り返していました。それが精神的なものからくる病気で、それもあって、心理学に興味を持ち大学で4年間学びました。でも、大学卒業後にカウンセラーなどの道へ就職できる人はほんのひと握り。ほとんどが一般企業などに就職しました。私も卒業後は大分に帰り、メガネ店に就職しました」。

ここで、中田さんの才能が開花する。美容師やファッション業界の美的センスの高い顧客が多かった店舗で、高額のメガネをあっという間に売る中田さんの姿に「寛子マジック」と言う異名がつくほど。インプットされた顧客一人ひとりの嗜好やセンスを引き出しながら、その人が求めている商品をドンピシャでセレクトする接客は、絶大なる信頼を得ていた。そのメガネ店で4年間働き、26歳で寿退社。ご主人のいる長崎へ嫁ぎ、第一子出産までの2年間はブライダルリングの販売員として働いた。



「ブライダルリングは高額なので、だいたい迷われることが多いんです。でもお客さんの雰囲気を見ながら臨機応変にご提案していました。メガネ店で働いた時もそうでしたけど、お客さんが迷っていた時、私が提案して選んだものに納得してくださる事に喜びを感じていましたね」。

ブライダルリングのお店は、28歳で第一子を出産する直前まで働き、その後は子育てに専念した。出張の多いご主人は家を不在にすることが多く、赤ちゃんと二人きりの生活が続いた。出産後、お子さんに心臓の病気が見つかり、長崎に頼る人もいなかった中田さんは大分に帰省することをご主人に相談した。

「主人もすごい葛藤があったと思うんですけど、長崎の仕事を辞め、一緒に大分に来てくれる決断をしてくれました。子どもが1歳半の時に、大分の実家に戻って来て、両親と一緒に暮らすことになりました」。

自己肯定感が失われ
自信喪失の辛い日々

大分に戻った後、30歳で第二子を出産。「働きたいという気持ちはありましたけど、母も小学校の教師として現役で働いていたので、しばらくは腰を据えて子育てに専念することにしました。母の退職と、子どもたちの小学校、幼稚園入学が重なったのをきっかけに、私も仕事を始めることに。でも、ここが私のターニングポイントになったんです」。

これまでの経験を活かせる接客業の仕事を望んだが、土日出勤が多いため、子どものスケジュールを考えあきらめた。3交代勤務のご主人のシフトも考慮しながら、土日勤務がお休みになる受付事務の仕事を選んだ。しかし、この職場での人間関係でつまずいてしまう。

「早朝から昼までの勤務だったんですけど、家に帰ったら精神的な疲れからバターっと寝てしまう毎日。子どもにも辛くあたってしまうし、家族の空気も悪くなってまとまりもなくなって。家事もろくにせず、子どもにも構ってあげる余裕もなくて。『せっかく働きに出れるようになったのに、なんでそんな顔をするん!』って家族にも言われたり、あの時は本当に辛かったですね…」。



言える範囲で構わないので、どんなことがあったのか教えてもらえますか?とお願いしたら、重い口を開けて話してくれた。

「そうですね…。これまでに出会ったことのない人たちでした。今考えると、職場のいじめだったのかな。私もはっきり言えない性格なので標的になってたのかもしれません。受付事務の仕事でも接客の仕事が役立つと思っていました。でも、例えば『鏡はどこですか?』と聞かれ、こちらですと案内したら『そんな丁寧に対応する必要とかある?』と言われたり、『何かあるとすぐ辞めたいとか言うよね。甘えてるの?』とか、上司がいないのを見計らって近づいて来て『一般常識的にあなたの行動はありえんわ!』と言われたり…。いわゆる言葉のいじめだったと思います。私がこれまでの仕事で培ってきたものが全部否定されるように思えてきて、自分の中の常識が崩れて自己肯定感が失われました。毎日心がえぐられるような日々でした」。

そんな環境に耐えられなくなり退職願いを出すも受理されず、どんどんと深い沼にはまっていった中田さん。突然涙が出たり、突発性難聴になったりと体調や精神にも異変が見え始め「今考えたら、うつ状態寸前だったと思います」と振り返る。

職場内やいろんなコミュニティの中で起こっている大人のいじめ…。会社から強引に引き止められ退職できない状況は「在職強要」と呼ばれ、不正行為に該当し違法となる。最近、特に問題になっているようだ。しかし、当時の中田さんにはそんな知識も情報もなく、対応できなかったのだろう。じわじわと心と体を蝕む言葉によるいじめ…。心が荒んでいく中田さんの様子を想像すると、やり切れない気持ちになった。

中田寛子さん[接客業]

これまで頑張った自分へのご褒美?
刺激と学びが多い、今の仕事

会社に行くのが怖くなり、どんどんと自信を失っていった中田さん。その時、お母さんが求人情報が掲載されたチラシを見せてくれた。接客業の募集だった。

「今の仕事辞めて、土日出勤になっても、接客業で働いてもいいよ」とご主人含め、家族がそういって背中を押してくれた。「ここで仕事を辞めたら私は負けだ。逃げたらだめだ、と言い聞かせていた自分がいたんだと思います。でも背中を押してもらって吹っ切れたんです。このままの状態はよくない、なんとかして仕事を辞めて次に進まないと!と。そんな時『うちにおいで』と声をかけてくれる会社があって、それに勇気をもらったんです。失ってた自己肯定感が少し戻ってきた感じでした。でも、自分で仕事を探したいという気持ちが強くて、せっかく声をかけてもらったその会社には就職せず、仕事を続けながら次の仕事を探し始めました。なんとか辞職にこぎつけ、希望の仕事を見つけることができました。土日出勤があるサービス業なので家族には迷惑をかけるけど、やっぱり私は接客業がしたい!と、選んだ仕事です」。

パートとして採用されたのは、市内にあるシティホテル。現在はレストランサービスの仕事に就いている。しかし就職が決まったのも束の間、大分でも新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言が発令され、ホテルも休業となった。

「ホテルで働くようになってからもしばらくは自分に自信が持てない日々が続いてました。そんな中、コロナでホテルもお休みになったんですけど休業補償でお給料を出してもらえたんです。お金をいただいているんだし、何もしないわけにはいかないから勉強したい!と思って、今回のセミナーを受講したんです。ホテルの仕事ってサービス業の頂点のような存在。最上級の接客業が学べる場所です。しかもフレンチレストランの仕事は私にとって雲の上のような存在だったので、仕事の全てを吸収したいと思うし、刺激と学びがすごく多いです。職場の方々も尊敬できるプロの方ばかり。でも仕事が終わると気さくな方ばかりで、いつも気にかけてくれています。私にとってご褒美?と思えるくらい、仕事が本当に楽しいです。今私が目指すのは、隣に寄り添える先輩や女性になること。隣にいて、誰の力になれる存在になれたたいいなと思っています。そこに付随して、今のサービス業があるのが理想です。『落ちる暇があったら、上を目指すエネルギーに使いたい!』と這い登ったてきたから、今の自分があるんだなと実感します。ここまで支えてくれた家族にも、感謝の気持ちでいっぱいです」。



取材の前日、お父さんからこんなことを言われたと中田さん。「この一年よかった。お前が子どもに対して柔らかくなったよ」。

〝母親は家族の太陽〟。時としてプレッシャーを感じる言葉だが、やっぱりそうなんだなと中田さんを取材して感じた。だけど母親も人間。時にムシャクシャすることも、疲れて不機嫌なこともある。でも根っこの部分で家族や子どもと繋がっていれば、完璧じゃなくても大丈夫。取材に同席していた、人生の先輩でもある当プロジェクトのプロデューサーがそう伝えると、安堵した表情になった。

「今は、家族がうまく回ってると思います。当時は自分が職場から持って帰ったイライラが家族を巻き込んで全てが悪循環になっていた。きっと、自分の軸がぶれてたから家族もぶれてたんだと思います。子育てにも完璧を求めてたから、それも実際にできてない上に、仕事もうまくいってない事に苛立ってたんだと思います。今は仕事が充実して楽しいですけど、子育ても家事も頑張ろうと思えるようになりました。仕事が順調になって、いろんなことが好転しましたね」。

あの時流していた涙の背景には、一言では言い尽くせないたくさんの想いがあったんだなと納得…。だけど、よかった。辛い涙じゃなく、これまでの自分自身への「ありがとう」と、これからの期待に心踊る涙だったんだと分かり、暖かい気持ちになった。

中田寛子さん[接客業]

この記事のライター:安達博子

「うわ、綺麗な人」これが中田さんの第一印象。瞳も薄茶色で色も白くて、透明感半端ないんです。容姿端麗で仕事もバリバリできて、家族にも恵まれて…と、一見理想の女性像だと羨ましく感じましたが、実は紆余曲折、たくさんの辛い経験を経ていました。一人ひとりにはそれぞれの物語があります。人生の中でぶち当たる大きな壁をどう捉え、どう破壊し、前に進んで行くか…。苦労は経験したくないけど、壁を乗り越えるたびにステップアップできると思ったら、その自分を客観視して「来るなら来い!受けて立つ!」ぐらいの気持ちでどんと構えられる、大きな女性になりたいと常々思っています。今回、改めて中田さんにそのことを再認識させてもらった気がします。「ママスタイル」では、隣にいるごくフツーのママたちをフューチャリングし、これを読んで元気になった!という人が一人でもいてくれることを願いながら書いています。中田さんのこれまでの経験は、きっと多くのママたちに勇気を与えるはず。向上心とサービス精神旺盛な中田さん。接客業はきっと天職ですね。これからも「寛子マジック」全開で、ホテルを訪れるお客様の隣に寄り添い、さらなる高みを目指してくださいね。

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