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2021.06.08

一度切りの人生だから
やらない後悔よりもやって後悔したい

光延樹里さん[銀行員・読者モデル]

今回のママ:
光延(みつのぶ)樹里さん [銀行員・読者モデル]
39歳・大分市出身・大分市在住(小学校2年生の女児の母)

ワーキングママをターゲットとした人気雑誌「Domani(小学館)」。現在は紙媒体からウェブ媒体に移行したが、変わらず愛読する女性ファン方が多い人気の媒体だ。大分市内に住みながら、この「Domani」の読者モデル「Domanist(ドマーニスト)」として活躍しているのが、今回紹介する光延樹里さん。実は本業は銀行員という堅実な仕事をこなすワーママでもある。金融機関に勤めてかれこれ20年近くになる彼女が、読者モデルとしての夢を叶えたサクセスストーリーは多くの女性たちに勇気と希望を与えてくれる。

オシャレやファッションが大好き!
思い立ったらなんでもやっちゃう独身時代

取材前からかなり緊張気味…。だって、ファッションや流行に敏感な大人の女性だったら誰もが知っている「Domani」の専属読者モデルを今回の取材するんだから…。事前に拝見したインスタや、雑誌「Domani」のバックナンバーに登場する彼女を見ると、とってもキラキラしていて、私とは住む世界が違いすぎる…。不安と期待が入り混じる私の前に、軽やかなコートを羽織って颯爽と樹里さんが現れた。「初めまして。よろしくお願いします」。うっっ、洗練された美しさは、眩しくて直視できん…。



読モの活動をしながら、実は堅実な金融関係のお仕事をしている樹里さん。まず一番疑問に感じていた質問をぶつけた。「職場って…モデルのお仕事は許可してくれてるんですか? 銀行で働いていると聞いたんですけど」。「こういう活動をしているというのは事前に会社にも伝えていて、それは了解いただいてます。仕事に差し支えないよう、土日を利用して撮影に行っています。あくまで私の好きなことの1つなんです。」

大分市に生まれ、小・中・高校・大学・就職…と、ずっと大分で過ごしてきた樹里さん。「本当は関西方面の大学を希望してたんですが、昔から活発で出たがりな性分だったので、母がそんな私を心配してか(笑)『地元の大学にしといたら?』と。それで大分の大学に進学しました」。大分県芸術文化短期大学の情報コミュニケーション学科を卒業後、20歳で地元の金融機関に就職した。当時は女性行員=窓口業務という当たり前の流れがあり、しかも転勤もあまりないため、勤務した約8年間はほぼ同じ支店での窓口業務を担当した。25歳の時、県内外で開催される観光イベントで大分市をPRする「大分いきいきレディ(今で言う、大分市観光キャンペーンレディ)」に抜擢された。

「当時は企業から選出することになっていて、持ち回りで選ばれていたんです。その年、勤めていた銀行が担当の年だったので上司から『やってみない?』と打診され、是非!とお受けしました。以前、雑誌に出たりしたこともあって、人前に出るのは嫌いじゃなかったし、面白そう!と思って。九州のお祭りなど各地に出向き、大分市をPRする活動を2年間させてもらいました」。



長年大分で過ごしてきた樹里さんにとって、県外の人たちとの交流や出会いはとても刺激的だった。親交が深くなった仲間たちと県外で合流して遊ぶようにもなり、プライベートが充実した。「みんな若いのに視野が広い人たちばかりでした。この出会いを経て『私、このままでいいんだろうか』って思うようになって。銀行に8年勤めて、このまま結婚、出産、退職っていう人生なのかな…と。なんかつまんない!仕事辞めよう!と決心しました」。堅実な銀行の仕事を手放す恐怖を感じながら『今やりたいことやっておかないと後悔する』という思いで、28歳になる頃に会社を退職した。

その後、樹里さんの人生に大きな影響を与える出会いが。『大分美少女図鑑』という雑誌が創刊されることになり、モデルを募集していた。

「もう28歳だったので、美少女と言える年齢ではなかったんですけど…。でもファッションが好きだし、何かのお手伝いをしたいと写真を添えて応募したら『面接に来てください』とご連絡いただいて。東京ガールズコレクションやいろんなファッションショーを一人で見に行くし、モデルさんを見るのも好きなんですって、そんな話をしたら『あなたは表舞台じゃなくて、裏方でそういうプロデュースの仕事をやってみたら?』とアドバイスいただき、そこから雑誌のモデル選びや、モデルのスタイリングの手伝いをさせてもらうようになりました」。



ほぼボランティアのような仕事で貯金も底をついたが、がむしゃらに仕事した。「そんな時、美少女図鑑のイベントでファッションショーを開催することになったんです。モデルさん選びから衣装選び、音楽、MCまで全部仕切らせてもらったんです。トータル10ヶ月くらいのお仕事だったですけど、その集大成としてファッションショーをプロデュースさせてもらった経験は、本当に楽しかったんですよね。私やっぱり洋服が好きだって確信しました」。

樹里さんのファッション好きは、おしゃれなお母様の影響が大きいそう。「母は専業主婦なんですが、洗練されたおしゃれな人。昔から洋服を作ってくれたり、私の着こなしを見て『今日なんかダサいよ』とズバッと言ってくれる、師匠のような存在でもあります」。

当時好きだったブランドが、理想の洋服を作ってくれるという企画を募集していた。欲しい洋服のイメージを綴って応募し、樹里さんのアイデアが当選。福岡本社のプレスルームで生地選びからデザインなどをデザイナーさんと話し、ワンピースを作った経験もある。「大好きなことには猪突猛進のAB型。独身の頃は、やりたいと思ったことがあったら迷わず実行してました(笑)」。こうして、オシャレやファッションが大好きな樹里さんが形成されていった。

サポーターから読者モデルへ…
まるで奇跡のようなシンデレラストーリー

好きなことに明け暮れた1年間が過ぎ、29歳の秋頃、再び金融機関で働くチャンスが訪れる。「父が銀行員で、その姿を見て育ったので銀行員への憧れが強くて。会社主催のキャンプやイベントにも連れて行ってくれ、社員の皆さんがすごく優しくて楽しい思い出しかないんです。制服姿も洗練されてて都会的だし、小さい頃からずっと銀行で働きたいと思ってきました。だから、辞めてしまった今、また働きたいという思いが再燃して…。即戦力が求められていたのもあり採用してもらえました。再び銀行員として働くようになり今年で勤続10年目。銀行の仕事もやっぱり好きなんだと思います」。

29歳で再就職し、その年の12月に小・中学校の後輩だったご主人と結婚。31歳で娘さんを出産した。



好きな仕事にも就き、幸せな結婚をし、お子さんも出産し、それまでの樹里さんの人生は充分に順風満帆だ。この流れの中で、どんなきっかけで『Domani』の読モになる運びに?

「さっきも話したんですけど、私、モデルさんが大好きで。特にえびちゃん(蛯原友里)の大ファンで、えびちゃんが当時『Ane Can』の専属モデルとして表紙を飾ってたんですけど、途中から『Domani』のカバーモデルになった時期があって。いつかえびちゃんに会いたいと思ってた時に『Domani』の『Domaniサポーター』の募集があったんです。アンケートに答えたらプレゼントがもらえたり、イベントに参加できるみたいなやつです。もしかしたらえびちゃんに会うチャンスができるかもとミーハー精神で応募したらサポーターになれて。そしたら突然編集部からメールがきて、全国でスナップ撮影をするので福岡に来てもらえませんか?と。こんなチャンス二度とないと思って二つ返事で『行きます!』と返事しました。〝働く女性のオンとオフの着こなし〟みたいな企画で、仕事服と休日の服を2パターン用意して福岡へ。4、5人くらいの撮影クルーがいる中で撮影を経験しました。その写真がかなり大きく掲載されて自分もびっくりでした! 一生に一度できるかできないかの貴重な経験。しかも憧れのえびちゃんが表紙を飾る号に、自分の写真が大きなサイズで掲載されるなんて、夢のようでしたね」。



その後、『Domani』は働く女性にターゲットを変え、リニューアル。読者モデル『Domanist(ドマーニスト)』50名を募集することに。「所詮無理だとは思ってたんですけど、とりあえず応募してみようと写真とメールを送りました。そしたら一次審査に合格して、二次審査で東京に来てくださいということに。でもそれがちょうど娘の保育園のお別れ会の日で…。いつも仕事をしてるから子どもの行事は極力参加したいと思ってたので泣く泣く諦めたんです。雑誌にも大きく載れたし思い残すことはないな…と、辞退のメールを送りました」。

その数ヶ月後、編集部から「ドマーニストとして活動をお願いします!」とメールが届いた。東京に行けなかった樹里さんは「私は東京には行けなかったので間違っていませんか?」と返信。すると「以前福岡のスナップに来ていただいた時の撮影風景などを編集部で共有し、話し合った結果、光延さんにぜひお願いしたいということになりました」と驚きの内容が返信されてきた。「エーーーーー!ってなりました。びっくりというか信じられないというか。私、30歳過ぎてからめっちゃ上向きなんです(笑)プライベートが!!」。

まるで、映画のワンシーンを見ているかのようなシンデレラストーリー。でも、それもこれも、無理だと思いながら、はじめの一歩を踏み出したからこそ掴めたチャンスなのだ。

プロの編集者と仕事を共にする
夢のような時間

後日、決定した50名のドマーニストを一堂に会し、撮影会が行われると連絡が入った。しかしまたもや、撮影前日が保育園の卒園式と重なってしまった。保育園の卒園式が終わりお祝いをし、その日の夕方便で東京へ。次の日は早朝六時過ぎには銀座のサロンでヘアメイクのため現場入りというハードスケジュールだった。そしていよいよ撮影当日。「周りはモデル経験者の人ばかりで、私はラッキーな田舎者って感じでしたね(笑)。『どこから来たの?』『大分』『えーー!』みたいな(笑)。飛行機で来たのはたぶん私くらいだったんじゃないかな」。初めての撮影は緊張しながらも、とても楽しめたと樹里さん。肝っ玉の据わった性格も垣間見れた。

その後、雑誌の編集長が交代し、読者ターゲットが〝ワーキングママ〟に変わることに。一旦白紙に戻し、読者モデルを再度募集して人数を絞り込むと伝えられた。「もちろんチャレンジしました。一次審査は合格したんですけど、二次審査は東京に面接に行くことが必須条件でした。ここは絶対行きたいと旦那や両親の協力を得て東京へ。編集長、副編集長、ライターさんなどテレビに出てるような有名な編集者の方々の面接があり、好きなモデルさんの話や普段の子育ての様子などをお話ししました。後日、合格メールがきました。やったー!ってすごく嬉しかったですね。それが今から2年前の37歳の時ですね」。



そして新ドマーニストお披露目の写真は、あのレスリー・キーが撮影ということで樹里さんも大興奮! レスリー・キーと言えば、これまで多くの芸能人や著名人のポートレートを手がけてきた超有名な写真家だ。「彼が撮った写真は、やっぱりレスリー・キーの写真になるんですよね。当時の編集長や副編集長も本当に素敵な人。クリエイティブな感覚や、斬新なアイデアにはいつも脱帽でした!そういうアジアや日本のトップをいくクリエイターの方たちと時間を共にするのは本当にいい刺激になりました」。

本人はもちろん信じられない経験だっただろうが、大分の主婦でレスリー・キーに写真を撮ってもらったことがある人って、後にも先にも彼女だけではないだろうか。日本を代表するクリエイターたちの仕事現場を、肌で感じることができた樹里さんがすごく羨ましかった。

光延樹里さん[銀行員・読者モデル]

やりたいこと、優先すべきこと
今大事なことを選択して

現在は、娘さんの行事やコロナの影響もあり、なかなか思うように撮影に赴けない現状が悔しいと樹里さん。「昨年12月に『Domani』が紙媒体からウェブ媒体に移行するという連絡をもらった時、ぜひ樹里さんに出て欲しいという依頼があって、それが紙媒体として最後の読モのお仕事だったのでどうしても行きたくて。コロナも一旦落ち着いた時期だったけど、私が行くことで、両親や家族に、もしコロナを移してしまったら…。という不安もあって諦めかけてたら、主人が『紙媒体最後の集大成として行って来たら?』と背中を押してくれたんです」。

コロナ対策と大分に戻って来てからの検査など、万全を期して東京へ。空港からホテル、ホテルから現場まではタクシーを使い、極力人と接しないようにした。「ドマーニストでいることは、私の中で大切にしたいステータス。これがなくなったら今まで保ってたものがなくなっちゃうから、本当に大事な存在なんです。だけど撮影を終えて、どこかで自分の中の区切りがついた感じがしました。辞めるとかではないんですけどね。もちろん、思う通りのドマーニストの活動ができないことは悔しいこともあるけど、優先すべきは、家族であり仕事であり、私を支えてくれる人たちとの時間。常にそれを考えて選択して、できる範囲でやりたいことをやって楽しんでいけたらって思います」。
 
毎朝早くに起きて、旦那さんと自分のお弁当を作り、職場までは自転車と電車で通勤している樹里さん。「時々、お客さんが私の自転車こぐ姿を見て『飛ばしてるねー!』って(笑)。チャリこぐの、すごい早いみたいです(笑)」。出勤後は朝8時すぎから17時まで働き、仕事が終わるとまた自転車と電車で家路に着く、多忙な毎日。電車の中の束の間のお一人時間を満喫。好きな音楽を聴きながら通勤を楽しんでいる。



日常と、非日常の中でバランスを取りながら、自分を目一杯楽しみ、時には悩み、日々を過ごしている樹里さんが、とっても愛おしくなってきた。

「娘は生まれた頃体が弱く、約三ヶ月入院生活を送りました。夜は離れ離れで、0歳の1番可愛い時間を過ごせなかったあの時は本当に辛かったけど、今はそんなことを微塵にも感じさせないくらい元気です。その辛い時期を乗り越えてこれたのは、夫や娘、両親、姉弟たちの支えがあるから。それなくしては語れません。宿題してなかったり、ピアノの練習サボったりすると激怒することもあるけど(笑)でもそんな経験があるから、今は娘が元気で笑ってくれてるだけで幸せなんでよね。何もしなければ何も始まらない。人生一度切りだから、やらない後悔よりもやって後悔する方がいいという考え方はずっと持っていたいんです。

夢? やって見たいことはあるかな。大分のママたちが気軽に楽しめるオシャレやトレンドを提案すること。特別なことじゃなくてもいい。日常の中で、気軽に楽しめる、そんな情報や提案が発信できる存在になっていきたいかな」。

光延樹里さん[銀行員・読者モデル]

Instagram
@juri_mitsunobu

この記事のライター:安達博子

書ききれない(笑)。こんなに長くなってしまったけど語りきれない(涙)。ライター歴は相当長い私ですが、話が尽きず、そして波長が合いすぎて、取材後にビールを乾杯してしまいました。これまでのライター人生で初めての経験です(笑)。10歳も年下なのに、地に足がついた考え方や、やりたいことにまっしぐらな感じ、生き方そのものに惚れてしまいました。これから、飲み友としておつきあいしたい人です。キラキラした世界を知っているのに、男勝りで、オッサンみたいなそのギャップがまたカッコ良すぎ。これで樹里ファン、また増えるんじゃないかな?? 樹里さんのインスタなど、素敵な情報を発信していますので是非のぞいてみてください。そして今後の「ママのままプロジェクト」にもお力添えいただきたく、ファッション関係の企画、考えます! 乞うご期待!

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