やっぱり好きだと気付いた喋りの仕事
日本各地を駆け巡り、出産を機に子育てに専念
西嶋さんと待ち合わせたのは、録音スタジオに併設するカフェ。当日は、取材の後、FM大分の番組収録があるそうだ。小柄で可愛らしけれど目力があり、マスク越しにパワフルな女性だという直感が働く。「はじめまして」。耳に心地良く響く声に、さすが!と思わず納得してしまう。
広島県出身の西嶋さん。高校まで広島県で過ごし、京都の大学に進学して日本語学を学んだ。大学卒業後は、老人介護施設で相談員の仕事に就いた。ちょっと意外だったのは、介護施設という就職先。日本語学の勉強をしながら、アナウンサーを目指していたのでは?
「大学生の時、京都のラジオ局で学生の番組に出演させてもらってたんですけど、メンバーの中にアナウンサーを目指してやる気がみなぎっている人がいて。その姿をみてたら“私はそこまでやりたい仕事?”と思うようになって。テレビ局のアナウンサーの試験も受けたんですけどダメだったので、その時採用が決まった介護施設に就職したんです。仕事は楽しかったんですけど、暇つぶしに京都の小さなアナウンススクールに通い始めたんです。それで、“話す仕事がやっぱり好きなんだな”って気づいて。ある日、学校主催のあるコンテストがあって“ここで優勝できなかったら諦めよう”と賭けに出たんですけど、優勝したんです。それをきっかけに仕事を辞めて、大阪の事務所に所属することに。京都に住みながら、大阪に通う日々でした」。
『事務所に所属したとしても、3年間は仕事はないよ』と事前に伝えられていたが、半年後、大阪のラジオ局の仕事が決まった。
「だけど、正直そんなに稼げる仕事ではないので、並行してバイトをしながら食いつないでました。オーディションが突発的に入ったりするので、自由がきく日雇いのバイトです。下着のハンガーを選別する仕事やカードゲームを箱に詰める仕事など、流れ作業から夜勤の仕事まで、ありとあらゆる種類のバイトを経験しましたね」。
2年半大阪のラジオ局にでパーソナリティを務め、担当していた番組が終わるタイミングで島根県のテレビ局に転職した。正社員としての採用だったので、レポーターの仕事以外にも、番組の台本作りやプレセントの発送など裏方の仕事も経験した。
「島根は母親の故郷なので、おばあちゃんにテレビ越しに仕事してる姿を見てもらえたのは、親孝行できたかなって思います。だけど、テレビ局ってどうしてもできる仕事が限られていて、人間関係も含めて限界を感じていて…。ちょうどその頃に募集があった岡山のケーブルテレビを受け採用してもらえることになったんです。ここでは撮影、取材、ニュース原稿作成から番組収録と多岐にわたる仕事をしてすごく忙しかったけど、いろんな経験できて楽しかったです」。
岡山のケーブルテレビに勤めている頃、友人つながりで知り合ったご主人と30歳で結婚し、結婚を機に退職。奈良県に引っ越し、同年に第一子を出産した。
「仕事を辞め、結婚、妊娠、出産…と、30歳の間に人生の転換期をほぼ経験しました。怒涛の一年でしたね」。広島→京都→島根→岡山→奈良と、ここまでの経過を聞いただけでも、なんともめまぐるしい。当時ご主人は大阪勤務だったそうだが、なぜに奈良県に?
「これにはちょっと面白い裏話があって…。結婚前の話ですけど、大阪にいる主人から電話があって『車がない!』と。結局数日後にボロボロになった車が山で見つかったんですけど。で、どうしても必要だからと中古の車を買ったんです。でもその車も一週間後に盗まれて(笑泣)! こんなこと、あります?? だから、結婚した時は3台目のボロボロの車(笑)。それで『大阪って治安大丈夫なん?』みたいな話になって、大阪寄りの奈良県に引っ越すことになったんですよ」。誰に話してもびっくりされるというエピソードに、私たちも申し訳ないけれど大笑い。
その後、奈良県で無事に第一子を出産。以降の5年間は子育てに専念する日々を送った。「働くことは全然考えてなかったです。まず、両親も近くにいないし、同じ仕事ができるとは思ってなかったし…。毎日ドラマばかり見て過ごしてたんですけど“このままでいいの?”と思って、妊娠中、通信で保育士の資格を取ったんです」。
そんなある日、東日本大震災が起きた。臨床工学技師として医療現場で働くご主人は、二週間ほど震災現場に行くことに。現地で、仕事や家族を失った人たちを見て帰ってきたご主人は人生を考え直し、転職を考えるようになっていた。「自分だけ幸せに暮らすのはどうなの?と色々と悩んでいたみたいです。その後、夫婦で話しあって、資格が活かせる医療機器を扱う会社に転職することに。全国に事業所がある会社で、主人は九州での採用になったんです」。
ここでなんとなく大分との接点が見えてきた。無事、熊本での採用が決まり一家で熊本へ。家の近くに市営の動物園があり、新規転入者が利用できる年間フリーパスを利用して毎日子どもと動物園を散歩していたそう。「子育てには最適な環境で、友達もすぐできて、熊本はとてもいい所でした。でも、1年半でまさかの大分に転勤に…。それが2013年です」。
仕事できる環境を整えないと
安心してその一歩は踏み出せない
西嶋さんと大分との接点がようやく明らかに。ご主人の転勤がきっかけで、大分との縁が生まれたのだ。大分に引っ越し、33歳の時に第二子を出産。大分に来て、もうすぐ10年が経とうとしている。
「出産後、しばらくするとまた手持ちぶたさになって(笑)大分市にある『音や』という、音声制作やナレータなどの人材育成、企画制作をしている会社を訪れてみたんです。実力試しだと思って行ったんですけど、そこの朗読教室に通うことに。ある日先生から「FMのオーディションがあるから受けてみたら?」と声をかけていただいてチャレンジしたんです。でも、詳しく話を聞いてみると朝の番組だったみたいで、子どももまだ2歳と5歳だから無理だろうなと。結局、それは不採用だったんですけど、レポーターをやってみない?と声をかけてもらったんです。週一回ぐらいの仕事だったので無理なくできるなと思い引き受けさせてもらいました。それが久々の仕事復帰でした」。
その1年後、番組のパーソナリティとして、本格的にラジオの仕事に復帰する。「身内が近くにいないので、子どもが病気になったらどうしよう…とか色々と考えたけど、主人もやってみたら?と、背中を押してくれたんです」。
子育てしながら働く女性にとって、両親や姉妹など身内のサポートは必須だ。だからこそ不安も大きかっただろう。「上の子が小さい時、私がインフルエンザになってしまって、広島から熊本まで、両親に子どもを迎えに来てもらったこともあります。今は、病児保育やベビーシッターさんにお願いして、仕事の時間だけなんとか乗り切れる環境を自分で整えています。それがないと第一歩は踏み出せない。ネットで探したり、同じような状況のママから情報を聞いたりして安心材料を揃えてやりくりしてますね。今はご近所のお友達と、持ちつ持たれつの関係で助け合えるので、すごく心強い存在になっています」。
西嶋さんのこれまでを振り返ると、無理な流れに逆らわず、自然とここまでたどり着いた感じだ。でもきっと壁にぶつかったことや悩んだこともあるだろう。
「実は子ども二人とも言葉の発達が遅かったんです。上の子は幼稚園に上がるまで言葉を発することがなくて、検診で引っかかって。それで療育センターを紹介してもらって通うことに。言語療法士さんがいて、発音しにくい音の舌の動きなどを見ながら、その子にあったアプローチをしてくれるんです。その時、初めてこんなお仕事あるんだって知ったんですけど、もし私が若い時に知っていたら、この仕事を目指していたかもしれないなとも思いましたね。小学校に入る前に再度テストをして、今は不自由なく学校生活を送ってます。あと、二人とも熱性痙攣を起こして、何度も救急車で運ばれています。熱を出す前に痙攣を起こすタイプなので、前兆がないまま突然痙攣が起きるので、遊んでいたりお風呂に入っているときに急に目線が合わなくなって、あれ?おかしいなと思ったら痙攣を起こしてた、みたいな感じなんですよ。長い時は10分ぐらい続いて、その時は救急車を呼びました。意識が戻って3時間くらい喋らなくて、その時は「もう会話ができないかもしれない」といろいろ考えました。インフルエンザがきっかけになることが多いので、ここ2年ぐらいは落ち着いてます。色々と大変だったけど、なんとかなりましたね!」。
子どもの心配事は、親にとって心身をすり減らす出来事。だけど「そんな深刻なことじゃないし、なんとかなりますよ!」と笑顔で言い放てる強さ。そんな、肝っ玉母ちゃんの一面も、西嶋さんに垣間見れた。
オンライン体験を満喫中!
ボランティアの活動も広げていきたい
子育ての話をしている時に、すごい!と感心したことがあった。自由研究として、息子さんが“わらしべ長者”に挑戦したそうだ。『わらじべ長者やってます。何かと交換してください』とだけ書かれたポスターを掲げ、10日間大分駅前に立った。藁の代用品として手芸用の紐からスタートし、のべ80回以上の交換が行われたそうだ。
「私はすみっこで見てたんですけど、図書カードやテレビのリモコン(笑)とか、いろんなものに交換されてましたね。めっちゃ怖そうなお兄さんが品物を持って来てくれたり、就活中の若い子がお菓子を差し入れてくれたり、プレゼントにとリュックを持って来てくれたおじさんがいたり…。最後は漫画のキャラクターのストラップになりました。今年もやったら?と言ってるので、一番最初はそのストラップからスタートすると思います。この経験を通して、人の優しさや温かさが少しでも伝わってたらいいなと思います。何より、私もめちゃくちゃ楽しかった!」。
可愛い子には旅をさせよ、ということわざがある。私も、自分の子どもにはひとり旅や海外旅行を体験して欲しいと願っている。でも大分にいながら、こんな貴重な経験を子どもにさせることができるんだと、話を聞いて感動した。
「いろんなことを経験して、子どもたちには広い視野を持って欲しいですね。自分さえよければいいという考えじゃなく、周りの人と助け合って生きていける、優しい大人になって欲しいです」。冒険させる=私たちの勇気が必要になる時もある。私たちは、経験は人生の宝になるということを知っている。だからこそ、子どもを送り出す勇気が必要なんだと、西嶋さんの話を聞いて改めて感じた。
今、西嶋さんがハマっているのはオンライン体験。世界各国のオンライン旅行を楽しんでいるそうだ。「コロナ渦になってから何十各国も旅行に行きましたよ(笑)。一生のうちに絶対に行くことがないなという場所を、あえて選んでます。ジャマイカとかマチュピチュ、タージマハル、あとドバイも良かったし、カナダの氷のホテルも素敵でしたよ。インドでオンライン占いをしたことも(笑)。占い師、通訳、私の3人がズームで繋がって占なってもらうんです。すごく面白かったです! 息子は吉本新喜劇のオンライン体験で漫才を練習して披露したり、さだまさしさんと1年かけて曲を作るという企画に参加して、先日曲が完成しました。オンラインってなんでもできて、なんでも楽しめる。そのおかげで、いろんな世界が広がりました」。コロナ渦で多くの制限があることを嘆くのではなく、西嶋さんはそれを逆手に取って、今できることを最大限で楽しんでいた。
最後に今後の夢や、やってみたいことを聞いた。昨年『チャリティーサンタ』という全国規模のボランティア団体の大分支部を立ち上げた西嶋さん。クリスマスイブの夜、サンタに扮したボランティアが子どもたちに思い出を届けるというものだ。「33名のボランティアの方が集まり、19のご家庭に伺いました。大分はおじさんのボランティアの方がたくさん参加してくれて、まさにリアルサンタ。みなさん喜んでくれて、今年はもっと活動の幅を広げて行きたいなと思います。あと、キッズアナウンスレッスンも行っているので、それも、子どもたちの経験の場になれば嬉しいですね」。
この記事のライター:安達博子
取材中「めちゃくちゃ楽しいんです!」という言葉を何回聞いただろう。西嶋さんは、とにかく楽しいことが大好き!楽しいことは何でも体験してみるというチャレンジモンスター。仕事だって拠点を絞らず、やりたい仕事があればどこでも飛んで行く。とにかく「楽しいアンテナ」を、常に張り巡らせている。だから、例えばどんな秘境に行ってもそこで楽しみを見つけられる人。ある意味天才だと思う。そんな彼女の背中を見て育っている二人の息子さんがこれからどんな風に成長していくのが、楽しみで仕方ない。時の流れに身を任せ、自分のアンテナに引っかかった獲物に忠実に(笑)、毎日を謳歌している西嶋さん。あー、取材した私たちもめちゃくちゃ楽しかった! オンライン旅行、ぜひ体験して見ます。インド人のオンライン占い、やってみよー(笑)これからも、私たちの知らない楽しいこと、教えてくださいね。