2022.06.14
今回のママ:
品川瑶子さん[子育てサークル主催・エクササイズ講師]
35歳・新潟県出身・大分市在住
6歳・支援学校1年生/4歳・保育園年中・2歳・保育園2歳児クラス
第4子10月出産予定)の二男一女の母
昨年の10月に東京から大分に移住してきた、品川瑶子さんのご一家は、3人のお子さんがいる5人家族。現在、第4子を妊娠中の中、子育てほっと一息サークル「すこママプラス+♪おおいた」や、「抱っこdeダンス」「バレトン」などのエクササイズ講師として活動している。大分に移住することになった理由や、活動を始めることになったきっかけなど、聞きたいこと盛りだくさんの取材となった。
前にも書いたことがあるが、取材する際は事前に取材対象者の方の情報をストーカーのように調べる。いろんな情報をインプットして、自分の中でその人への興味を最大限に引き出しておく。今回取材をお願いした品川瑶子さんもしかり。アドレスを教えてもらい、インスタを隅から隅まで見尽くした。東京から大分に移住し、娘さんが障がいを持っているということは事前に聞いていた。並々ならぬ苦労もたくさんしたんだろうな…と想像を働かせる。インスタには活動の紹介や子育てのこと、移住することになったきっかけ、娘さんの障がいの記録などが事細かく綴られていた。そこに写っている瑶子さんの写真はどれも、底抜けに明るい太陽のような笑顔ばかりだった。
指定したカフェで待ち合わせ。向こうからショートカットがよく似合う華奢な女性がやって来た。「初めまして。今日はよろしくお願いします」と挨拶を交わす。マスク越しだけど、大きな瞳がとても印象的な、ふんわりと優しい空気を纏った綺麗な女性だった。
新潟県の新発田市(しばたし)出身。日本の両端にある九州と新潟。だから地名を言われてもピンとこないし、もちろん書けない。「え?これで〝しばた〟って読むんですね」。他愛もない会話から取材がスタートした。
「娘の成長に、何かがあるな…と違和感を感じ始めたのは2歳ぐらいの時からです。それまでも、周りの子どもたちと比べて、ハイハイやズリバイ、つかまり立ちをなかなかしないなぁって思ってたんですけど、検診でも成長がゆっくりなのは個性の範囲と言われていたので、そうなのかな…と。でも何かずっとモヤモヤしてました。自閉症やその他のいろんな病気に当てはまる症状もないし、周りにそういう子もいなかったので、私の育て方や関わり方の問題なのかな…とも。発達障害の講座に参加したり、東洋医学の治療に行ってみたり、藁をもすがる思いでそのモヤモヤがなんなのかを模索してました」。
第二子出産の前に、療育に通いたいと相談し、施設でサポートなどを受けながら、日本でトップクラスの小児医療の病院「国立成育医療研究センター」に通った。遺伝子検査を受け、娘さんが3歳になる時に病名が判明した。遺伝子の突然変異で神経系を主体とした特異な発達障害を起こす、レット症候群という難病だった。「娘はよく手もみの動作をしていたんですが、これはこの病気の特徴的な動作でもあるんです。テレビでその病気を見た母がそれに気づいて教えてくれて、検査の結果が出る前になんとなくそうなのかな…と気づいていたんです。何回か検査しないと判明できないかもと言われていたけど、一回の遺伝子検査で結果がわかりました。診断名がついて、今までのモヤモヤがこれだったんだと、ホッとした自分がいました」。
東京で3人の子育てに奮闘する毎日を送っていた瑶子さん。弁護士の仕事が多忙を極めているご主人の帰宅時間は夜は11時ごろ。土日もほぼ仕事で不在という状況で、ほぼワンオペでの子育てだった。「3人目は欲しかったんですけど、当時はまだ、2人を抱っことおんぶしていた状態だったので『え?今なの?』と、予期せぬタイミングだったんです。知り合いの子育て支援の活動をしている先生に『3人目を妊娠したんですけど、この状況で無理ですよね…』って相談したら、お姉ちゃんは障がいを持ってるし、3人の子育ては大変だから一度相談してみたら?と言われ、相談に行ったら保育園の申請ができて、無事に第二子を保育園に入園させることができたんです。それまで、そんなことができるなんで気づきもしなかったけど、先生にアドバイスいただいたおかげで保育園に入れることができて、3人育児に光が見えました。今も、下の子二人が保育園に行っている間に、長女のお世話もしながら私も活動できているので、すごくありがたいですね」。
そんな東京での日々に転機が訪れた。前職を辞めたご主人がベンチャー企業に転職したことで状況が変わる。「コロナ渦もあって、夫がリモート勤務になったんです。パソコンがあれば仕事できるから、東京じゃなくてもいいんじゃない?って話になって。家賃の高い東京の狭い家に、コロナ渦でずっと家にこもりっきりだったんです。それなら、自然がたくさんあるのびのびした場所に引っ越そう!と。その時に浮かんだのが、大分でした。実は主人が司法修習期間の1年間を過ごしたのが大分だったんです。結婚前だったので、私も何度か大分に遊びにきて、その時すごく楽しかったんです。湯布院や別府の地獄めぐりにも行って、磨崖仏もみました。新潟の平野育ちなので、別大国道を電車で走っている時の、海と山が広がるダイナミックな風景に圧倒されて。いろんなカルチャーショックを受けたことを覚えています。九州すごい!大分すごい! またいつか来たいなって思ってたので、移住先に大分が浮かんだんです」。
早速行動を開始した瑶子さん。娘さんと旦那さんを東京に残し、息子さん二人を連れ、家探しのため来県。その際、力強いサポーターになってくれたのが、SNSを通じて知り合った別府市に住む女性だった。同じレット症候群の障がいを持つお子さんがいるママだった。「ずっと会いたいなと思っていた人だったんです。障がいを持っている娘がいるので、普通の移住情報だけでは補えない部分もあったので、いろんな相談をしました。リハビリの場所や病院の情報、支援学校や療育センターの場所など、様々なことを考慮してくれ、『住むならこのあたりがいいよと』とアドバイスをくれました。その方のおかげでスムーズに移住できたと思います。本当にありがたかったですね。夫が研修先で選んだ大分ですけど、そのおかげで私も大分が好きになって、心強いお友達もできて、きっと縁があるんでしょうね。大分に来るべくして来たという感じがします」。
10月には4人目のお子さんを出産予定の瑶子さん。一人娘でも四苦八苦している私にとっては神の領域(笑)。子育ての信念とかありますか?
「私、ちゃんと子育てってしてないんですよね(笑)。自分のやりたいことを日々考えてて、子どもにしていることといえば、毎日のご飯とか洗濯とか、生活のサポート。週末のお出かけ先も、まずは私が行きたい場所で選んだり…。そんなペースなんです。私も好きなことをやらせてもらってるから、子どもたちも自分で好きなことを見つけて歩んでいってほしい。まだまだ小さいから、これからと思うんですけど、もし好きなことが見つかりそうになったら全力でサポートしてあげたいです。『大変なことたくさんあったでしょ?』と聞かれるけど、割と飄々としているタイプなので、悲観的になって思い詰めることはなかった気がします。今は、子どもたちのおかげでいろんな世界を見ることができて、楽しいなって思ってます。まさか自分が障がいを持つ子どもを産むことになると想像もしてなかったけど、障がいのあるお子さんがどんな生活をして、どんなサポートを受けて、そのサポートする人たちがどんな仕事をしていてとか、これまで全く知らなかったことを知ることができて、そしてそういう人たちと出会えて、私自身の世界も広がりました。子どもたちに色々教えてもらってます。無駄なことは、何一つないと感じています」。
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この記事のライター:安達博子
「飄々と、そして流れるように、自分の好きなことに一直線」な彼女の生き方がとてもかっこよく、素敵だったのだ。「個性豊かな3人のおかげで、今まで知らなかった世界を見ることができて、ぞれぞれの人生を私自身も楽しませてもらっています」と言っていた。ほんわりとした優しい笑顔と、綺麗な言葉をゆっくりと紡ぎながら丁寧に話す表情に、私がとても癒された。安心感というか、包み込まれるというか…甘くて美味しいホットミルクを飲んだ後のような感じ。大分にまた一人、こんな素敵なママが増えたと思うと嬉しいのです。遅ればせながら「ウェルカム大分!」。大分で活躍する姿を楽しみにしてます。おっと、その前に大仕事が残ってますね。10月には4人目のお子さんを出産。元気な赤ちゃん産んでください。またお会い出来る日を楽しみにしてますよ。たくさんの素敵な大分のママと繋がれますように…。