MAMA STYLE様々なママの様々なスタイルを
ご紹介します

2022.07.12

今できることを、できる範囲で楽しみたい
大好きな布小物を作り続けたいです!

清水あかねさん[布小物作家]

今回のママ:
清水あかねさん[布小物作家]
34歳・長崎県出身・別府市在住(4歳保育園/9ヶ月)の二女の母

小さい頃から福祉関係の仕事に興味を持ち、縁あって別府市内にある児童養護施設で保育士として働いた清水あかねさん。様々な環境の子どもたちと接し、自身も母親になって「お母さんたちの笑顔が大事なんだ」という気持ちが生まれてきた。施設を退職後、昔から得意だった手芸を活かし、ベビーキッズ布小物を制作する「かきのて」を立ち上げた。実は、清水さん、当プロジェクト主催「ままいろフェスタ」の記念すべき第一回目の参加者でもあり、今年の3月に開催された『ままいろフェスタ2022」では、実行委員として現場を盛り上げてくれた。

幼い頃から意識していた福祉や介護の仕事
縁あって別府の児童養護施設へ

当日は別府市内の有名カフェで待ち合わせ。当日は残念ながらの悪天候。雨の中、まだ9ヶ月の娘さんを抱っこして、荷物がたくさん積まれたベビーカーを押してやって来てくれた。期間限定のドリンクをオーダーし、娘さんをベビーカーに乗せ、あやしながら取材がスタートした。



長崎県出身の清水さん。幼い頃から福祉関係の仕事に就きたいという想いがあったそう。「叔父が障がい者だったこともあるのかな。中学3年間を祖父と同居して過ごしたこともあって、小学校の時も手話の本を借りて読んでみたり、物心ついた時から介護や福祉の仕事に就きたいと思っていました」。

長崎の大学で児童福祉を学び、保育士の資格を取得。「高校でヘルパーの資格を取りたかったんですけど、職業の適正検査したら高齢者よりも子どもと関わる仕事が合っていると診断されて。それで、子どもたちに関わる仕事がしたいと思うようになったんです」。

大学卒業後、大学と繋がりのあった別府市の児童養護施設に就職。「子どもたちの発達障害など、障害福祉に関わる仕事に就きたかったので、児童養護施設は考えてなかったんです。でも、友達がこの施設に就職が決まり、それをきっかけになぜか別府の養護施設のことが気になりだして…。その理由は自分でもわからないので、直感としか言いようがないんですけど。二次試験の知らせがあって、迷わず採用試験を受けました。その後、内定して就職が決まりました」。



あかねさんは児童養護施設で、どんな仕事をしていたのだろうか。「私は、施設では保育士として働いていました。ざっくり言うと、親の代わりですね。住み込みの仕事でした。朝起きてご飯作って、学校に送り出して掃除、洗濯をして。他の時間は職員との打ち合わせや書類を書いたりして、夕方は家に戻って寝るまでのお世話です。PTAにも卒業式にも参加しますし、体調が悪い時は病院にも連れて行きますしね。10人前後の子どもに対して、職員2、3人が担当します。1歳から18歳までの子どもたちです。中学生の女の子と毎日喧嘩したり、怒鳴ったり、だんまりになったり…。私、もうすでに思春期の親を体験済みなんでよ。あとは、カトリックの施設だったのでミサや行事もあり、長期休暇の時は子どもたちとバーベキューしたり、レジャー施設に遊びに行ったりしました。仕事はとても大変だったけど、みんなで出かけたりするのはすごく楽しかったですね」。

休日、部屋で寝ていても子どもたちの声が聞こえ、おしゃれをして出かけると「どこに行くん?デート?」と聞かれることも。病気が流行する時期には、夜間診療に連れて行ったりと、24時間が仕事でもあった。「大変だったけど、すごくやりがいは感じてた。でも、いずれ長崎に帰ろうと思ってたんです。仕事を他の職員に任せられるようになったタイミングで辞めるつもりで、長崎で新しい就職先を探して、内定も決まっていました。その年の3月に退職する運びだったんですけど、退職の1ヶ月前の2月に妊娠がわかって…。仕事は辞めましたが、そのまま別府に残ることになりました。施設では6年間働きました」。

清水あかねさん[布小物作家]

私の手作りを着せて最期を見送ってあげたい…
愛を込め、無我夢中で作った洋服

人生は予測不可能。予定通りにならない、それも人生…。妊娠がわかり、趣味の卓球で知り合ったご主人と、その後28歳で結婚。29歳で第一子、31歳で第二子(亡くなった子)、33歳で第三子を出産した。「実は二人の子どもの間にもう一人女の子がいたんです。今生きてたら2歳かな」。妊娠7ヶ月の時、なんの前触れもなく陣痛が起こり、出産することになった。切迫早産だった。上の娘さんの誕生日の前日だった。「救急車で医療センターに運ばれて、緊急帝王切開で赤ちゃんが産まれました。でも呼吸がなくて、先に県病に赤ちゃんは搬送されました。1日遅れで私も転院したんですが、次の日に亡くなりました」。

産まれてすぐの赤ちゃんを亡くされたお母さんのことを「天使ママ」と言うんだよ、と入院していた病院の助産師さんが教えてくれた。色々と調べてみると、小さく産まれてきた赤ちゃんにぴったりのサイズの洋服を作って活動している人たちもいた。
亡くなった赤ちゃんを沐浴させ、病院から頂いた洋服を着せてあげた時「最期に見送る時に可愛い洋服を私が作ってあげたい」という強い想いが込み上げてきた。そこから火葬までの2日間、病院のベットの上でその子のためにぴったりサイズの洋服を作った。裁縫道具や型紙は助産師さんが、長崎から来ていた両親が、あかねさんが希望する布を用意してくれた。「あの時、どうやって作ったか覚えてないんです。とにかく火葬に間に合うように無我夢中で作りました。その洋服を着せてあげることができて、私が今できることをしてあげることができてよかった…と思いました。だからか、その後はそんなに落ち込まなかったんです。いつか私が天国に行ったときこの洋服で待ってくれてたらいいな、すぐわかるから…」。



実は、児童養護施設を退職後、長女が1歳になる前に保育士として保育園に勤め始めていたあかねさん。半年後に第二子の妊娠がわかってからは悪阻もひどく、とても働ける状態ではなかった。「施設の時とは働き方も全く違っていたので仕事もいっぱいいっぱいで。それに悪阻もひどく仕事にも行けない日が続きました。休む日は、代わりの人を電話で探してお願いしないといけない状況で、泣きながら電話しましたね…。すごく辛かったです。結局1ヶ月入院したんですけど、あの時のストレスのせいじゃないかって、自分を責めることもありました」。

胸が張り裂けそうになった。どれだけ辛い思いをしたんだろうと…想像して涙が溢れた。でも一方で、愛に溢れた洋服を着て、天使になった赤ちゃんはきっと幸せだっただろうな…と思えた。その後、産まれてきてくれたのが、今日一緒に来てくれた紬葵(つむぎ)ちゃん。「きっとまた来てくれると思ってたんです。天使になった次女はちょっとせっかちだったのかな? 誕生日が上のお姉ちゃんと一緒だったから、一緒にお祝いしたかったのかもねって…そう思ってます」。 

きっかけは「ままいろフェスタ」
一歩踏み出したから今の私がある

「かきのて」のインスタを見てみると、赤ちゃんのガラガラやベビーリュック、スタイやピンなど、あかねさんの人柄が滲み出た優しい色使いの手作りグッズが紹介されている。裁縫好きなお母様の影響で、小さい頃からあかねさんも裁縫が好きだった。

「出産した友達にガラガラや布おもちゃを作ってプレゼントしたらすごく喜んでもらって。そこから、みんなに『販売してみたら?』と言われてたんですけど、なかなかきっかけがなくて。いつかイベントに出店してみたいなと思ってたそんな時、ネットでHPを偶然見つけたのが、3年前に開催された第一回目の「ままいろフェスタ」の告知だったんです。チャレンジしたいママを応援します!って書いてて、これ私のことやん!って思ってすぐ応募しました。あのサイトを見てなかったら、今は作家として活動してないと思います。学生時代の文化祭を思い出して、準備して頑張った達成感みたいなものが体験できて、本当に楽しかった! そして、いろんなママたちとも繋がれて情報も交換できて、今の私があるのはあの出会いのおかげだと思っています!」。

私たちプロジェクトが発足当初から願い続けている「ママたちのチャレンジの場所を作りたい」。土壌を耕し種をまき、こうして大きな花が咲いているんだということを、あかねさんの話を通して改めて実感することができた。今まで頑張って来てよかったと、心の底から嬉しい気持ちになった。

清水あかねさん[布小物作家]

ママたちの笑顔が
子どもたちの笑顔につながるから

「児童養護施設で働いた6年間でいろんな子どもたちを見てきました。施設で育った子たちは少し危なっかしい子が多いと言うイメージがつきがちですけど、本当にみんな普通の子どもたち。保育士として『大人は子どもと一緒に住めるように努力できないの? 自分の子どもが愛おしくないの?』と考えていた時期もありましたが、自分が親になり、親であることの大変さがわかって考えも変わりました。産まれたばかりの子どもを死なせちゃいけないと必死だし、寝不足でフラフラで、自分が壊れそうな時でもおっぱいをあげないといけない。泣かれたらパニックになるし、私もそうやって子育ての中で半鬱になりそうになった経験もあるから、今はお母さんやお父さんだけが悪いわけじゃないって思うようになったんです。悩みを抱え込んで溜め込んでイライラすることもある。私も、心ここに在らずで子どもの前で無表情になって、自己嫌悪に陥ることもあります。だからこそ思います。どんなお母さんもお父さんも、自分の子どもが可愛いって思いながら子育てできたらいいな…って。ママが元気だと子どもも嬉しいし元気になる。私がベビーグッズを作ることで、少しでもそのお手伝いができたうれしいなと思いますね。とはいえ、現実は子どもを寝かしつけて、その後1時間ミシンの作業をしたりするけど、昨日は途中で起きちゃったし(涙)作業はなかなか進まないんですけどね。布小物を作るのは自分にとっても好きなことだし、息抜きにもなるし、これからも続けていきたいです。思うようにいかないことも多いけど、今できることを楽しんでいきたいです」。

清水あかねさん[布小物作家]

この記事のライター:安達博子

この前、インスタで素敵な言葉を見つけたので保存しておいた。『あの時のあの苦しみも、あの時のあの悲しみも、みんな肥料になったんだなあ。じぶんが自分になるための』。これを読んだ時、数日前に取材したあかねさんを思い出した。児童養護施設で母親の代役としてたくさんの子どもたちと関わって来た経験や、娘さんとの辛い別れ。私たちには計り知れない大変な経験を経て、今の彼女の優しい笑顔があるんだと思ったからだ。あかねさんがあかねさんであるため、これまでの経験に何一つの無駄はなく、これからはママが笑顔になれるお手伝いができたら…と、控え目だけど、どこかに強い意思を感じた言葉が印象的だった。1時間半という長丁場の取材時間。その間、紬葵ちゃんはぐずりもせず、お利口さんに待っていてくれた。なんて親孝行な娘さん! 雨の中、大荷物を抱えやって来てくれたあかねさんにももちろん感謝だが、紬葵ちゃん、ずっと待っててくれてありがとう。

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