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2022.08.16

みんなのおかげで今の笑顔がある
やっと見つけた、私らしい働き方

山本裕美さん[雑貨店店主]

今回のママ:
山本裕美さん[雑貨店店主]
51歳・佐伯市出身・佐伯市在住
(高校一年生・中学1年生の一男一女の母)

佐伯市にある雑貨店「Ensha(えんしゃ)」。県内の作家さんたちが手がける雑貨がずらりと並ぶこのお店を、3年前にオープンさせたのが店主の山本裕美さんだ。店内には心地よい音楽が流れ、まるでカフェのよう。初めてお会いしたのに、太陽のような明るい笑顔と、柔らかな人柄に触れ、出会って一瞬で大好きになってしまった。店名の由来は、裕美さんが好きな言葉「ご縁に感謝」から名付けられた。

自分らしい働き方を模索する日々
そして突然だったご主人の死

佐伯生まれの佐伯育ち。保育士を目指し、久留米の短大へ進み資格を取得したものの、その後は保育士の道へ進まなかった裕美さん。「子どもは好きだけど、勉強すればするほど仕事にするのは違うなって考えるようになったんですよね」。

そこから、本人曰く、自分探しの怒涛の人生が幕をあける。短大卒業後、佐伯市から大分市に移り住みアパレル関係の販売員に。2年間勤務した後、スポーツ店に転職。しかし、24歳の時、体調を崩し佐伯に戻ることに。

「そこからまた地元のスポーツショップで働き始めました。しばらくして、子供服のお店で働かないかと知人から声をかけてもらって、再び大分市内で働くことに。3年ぐらい働いた30歳の頃、理由があって佐伯にまた戻りました」。

佐伯市と大分市を行ったり来たり。手に職をつけたいと、佐伯市の職業訓練校に通い始め、IT関係の知識を学んだ。同じ時期に同校に通っていたご主人に出会い、34歳で結婚。翌年第一子、38歳で第二子を出産した。



「主人の仕事の都合で家族で大分市内に移り、私は子育てをしながら兄の会社の経理事務の仕事を手伝っていました。1人目は2歳近くまで授乳してたので仕事場に連れていってましたね。2人目は1歳から保育園に預け、仕事をしていました」。

そんな、なにごともない穏やかな毎日がずっと続くと思っていた…。ある年のお盆。実家に帰省し、恒例のバーベキューを家族や親戚と楽しんでいた。サザエや海産物を採りに海に潜ったご主人が海の中で異変を起こし、突然帰らぬ人となった…。

「さっきまで元気に笑っていた人が突然…」。声を絞り出しながら当時のことを話してくれた。裕美さんが46歳、子どもたちはまだ小学校5年生と2年生の時だった。

山本裕美さん[雑貨店店主]

作家さんの仕事を生み出すという仕事
コロナ禍のピンチをチャンスに!

そこからは、子ども達をどうやって育てていこうかと必死に仕事を探した。「私、ずっと笑うことを忘れてたみたいで『お母さん、笑ってない』って子どもたちに言われて気がつきました。私がしっかりしないといけないのに、耳が聞こえなくなったり、頭髪が抜けたり、急に過呼吸になって救急車で運ばれたり…と、体がついていかなくて。子どもたちにはたくさん心配をかけました。だから、体調が悪くても自宅で仕事ができて、私が笑っていられて、その上退職がない仕事ってなんだろう…って探して、ファイナンシャルプランナーの資格を取得しました。ライティング講座も受講しました」。



ライティング講座を受けている時、様々な事情で働く場所を探している女性たちをたくさん見た。「同じように悩む人がこんなにいるんだと感じました。そんな時、参加したフリーマーケットで知り合った作家さんたちが脳裏に浮かびました。彼女たちは自宅で作品を製作しているけれど、販売できるのはイベントかSNSのみ。私と同じように外で働けない人たちの仕事を生み出せる場所があったらいいな…と考えるようになって。ぼんやりだったけど、そこから何かに突き動かされるように物件探しに奔走しました。ある時、親戚のおばさんが『泣いてないで、ここでなんかしたら?』と、この場所に連れてきてくれたんです。廃墟みたいにボロボロだったけど、ここだ!!と、急に視界がひらけた様でした。本当に感謝しかありません。そこから一気に工事を始めて、知り合いの作家さんに声をかけて、10人ちょっとの作家さんが協力してくれることになって。今思えば、よくそれでお店を始めたなと思うんですけどね。作家さんたちも不安だったと思うけど…なんとか開店にこぎつけました」。

さまざまなアイテムが並ぶ店内


しかし、開店してすぐにコロナ禍に…。「わー、どうしよう…と思ってた時、どんどんマスク不足の世の中に。それで、作家さんにマスクを作ってもらうようお願いしたんです。予約を受けたり、店頭に置いたりで、製作が追いつかないくらいで。すごい大変だったけど、作家さんと一緒にあの時期を乗り越えて繋がりも深まったし、マスクきっかけでたくさんのお客さんにお店を知ってもらえて、ピンチをチャンスに変えられた気がします」。

大評判だった、作家さんの手によるオリジナルマスク

仲間と一緒に楽しみながら
未来に繋がっていきたい

現在、お店に並ぶ商品の約8割が作家が手がけるもので、約50名の作品を委託販売している。作り手の想いが込められた商品を慈しむように眺めている裕美さん。これから思い描く未来像を聞いてみた。

「お客さんから聞いた消費者のニーズをフィードバックすることで、作家さんたちも作るものが明確になって、それが売上に反映すると嬉しいですね。両方の意見を活かしつつ、楽しみながら、両方が笑顔になれる商品を開発していきたい。そして、作家さんが家で仕事をしてても、ここが社会と繋がれる居場所になれたらいいなって思います」。









最後にこの質問を聞いてみた。ずっともがき探して続けてきた〝私らしい働き方〟。今、実現できてますか?

「正直、親に助けられてますね。子どもたちのご飯を作ってもらったり、大変だった時も何も言わず支えてくれました。私にとって最強のサポーターです。義母や義姉も『これ作ってきたよ」ってお店に手作り惣菜を持ってきてくれたり。子どもたちも、時々切なくなるくらいしっかりしてくれてて、本当にみんなに助けられています。両親が教師なのもあって、きちんとしたコースを歩かないといけないという意識がずっとあって、それに反発してた部分もあるんです。だけど、それを変えてくれたのは主人だった。『なんで嫌な顔してやりたくないことしないといけんの? やりたいことを笑ってやればいい』とずっと言い続けてくれていた。どうしたらいいかずっとわからなかったけど、皮肉なことに、主人がいなくなってわかったんです…。思い描くことがあって、それに向かって自分で自由に動きたいし、そういうのが自分に向いてたのかなって。それに気づけたのは主人のおかげなんです。そして、こうやって今笑顔でいられるようになったのは一緒に切磋琢磨できる作家さんと、楽しみにしてくれるお客様がいてくれたから。お店に来て、一緒に笑って過ごすことで自然と元気になれた。みんながあるから今の私がある。今、すごく毎日が楽しくて、何かしたくてワクワクしています! 一緒にできる仲間がいるから、楽しみながら未来に繋がることを、自分たちのアイデアでやっていけたらいいな」。

山本裕美さん[雑貨店店主]

この記事のライター:安達博子

この仕事を30年以上やっていますが、取材中に子どものように声をあげて泣いたのは初めてです(涙)。太陽のように明るい笑顔の裏に、こんなに辛い出来事があったなんて想像もしませんでした。今回、ずっと封印していたご主人の話をしてくれたのは「ご主人への感謝の気持ちと、誰かの勇気に変わるなら…」という想いから。そして、取材を受けたことで「主人のことを受け入れ、前に進めた気がする」と言ってくれた裕美さん。近くで見守ってくれてるご主人は、安心してきっと喜んでるはず。話してくれて、本当にありがとう。最愛の旦那様との出会い、そして子どもたち、作家さん、両家の親族、友達…。みんながいてくれたから、今の自分があるという感謝の気持ちがお店の名前に込められていたのですね。若かりし頃に遊んでいた場所も同じ、好きな音楽も似ていて、同じ歳ということもあり、勝手にソウルメイトだと思っています。これからも末長くよろしくね! 癒されるから、裕美さんの笑顔の写真、勝手に携帯の待ち受け画面にします(笑)

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