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2022.09.13

〝自分が変わるしかない〟
私も経験したから分かるんです

外薗理佐さん[コーチング]

今回のママ:
外薗(ほかぞの)理佐さん[コーチング]
48歳・別府市出身・宇佐市在住
(高校3年生・中学3年生・小学校6年生の二男一女の母)

23年間勤めた地元の大手酒造メーカーを辞め、47歳で新しいスタートを切った外薗理佐さん。長年積み上げてきたキャリアを捨て、そこからコーチングを学び、昨年「ゆめ叶(ゆめかな)COACHING」を設立。現在は代表として、企業向けの社員育成コーチングや社長・役員向けのエグゼクティブコーチング、研修、個人向けのオンラインコーチングなどを行なっている。3人のお子さんを育てながら会社員として働き続け、新しい働き方を選んだその想いとは?

結婚・出産しても
仕事と、社会と、繋がっていたかった

西大分の海沿いにある、おしゃれなカフェで待ち合わせた。取材のため宇佐市からわざわざ出向いてくれた外薗さんは、メガネがよく似合う落ち着いた雰囲気。代表を勤めている「ゆめ叶COACHING」のサイトを事前に拝見したのだが、書いていることが的確でとてもわかりやすく、略歴を見ても「きっと頭の切れるバリキャリ系の女性だろうな…」と想像していたので、若干緊張気味。でも実際は、心地よい空気を作ってくれる柔らかな物腰の女性だった。



九州大学農学部出身。大学院まで進み、24歳で宇佐市の三和酒類株式会社に研究職として入社した。

「お酒の原料の麦や酵母、また副産物の有効利用などを中心に研究していました。その後は、経営企画、マーケティング、商品開発などの仕事にも携わり、トータルで23年間勤務しました」。

仕事をしながら、女性活躍推進やダイバーシティの社外研修などにも参加し、女性が働く企業の取り組みなどについても学んだ。29歳で社内結婚し、31歳で第一子、33歳で第二子、37歳で第三子を出産し、育児休暇を取得しながら仕事を続けた。

退職時にいただいたお花や色紙。ここから第2の人生が始まりました!


「私が入社した当時は、出産=仕事を辞めるみたいな風潮が世間一般的に当たり前の時代でした。実際、私が出産するまで、社内で育児休暇を取得した女性は2、3人しかいなかったと思います。結婚後、旧姓のままで仕事を続けたいと会社に申し出たんです。結婚するまで5年間、旧姓で勤めていたし、新しい苗字が読みづらいということもあって…。でも却下されてしまいました。その後、女性社員にアンケートを取り、旧姓で仕事をするメリットデメリットを調査して、それをまとめた書類を提出しましたけど、実現しませんでした。当時はそんな時代だったんですよね…」。

今から20年以上前の話だが、外薗さんは当時から「女性が結婚・出産を経て働くことの不自由さ」を実感していた。そんな逆風の中、仕事を続けるという選択をしたのは?

「母が専業主婦だったのもあると思うんですけど、私はずっと働き続けたかった。結婚して家も建てたので、同じエリアで新しい仕事を探すのも難しいだろうな…と。だからなおさら、会社とは繋がっていたかったし、社会とも繋がっていたいという気持ちが強かったんだと思います」。

子どもの闘病、仕事、コロナを経て
見えてきた、新しい働き方

仕事と育児の両立に日々奮闘していた外薗さんに、青天の霹靂が訪れる。1歳半だった長男に、病気が見つかった。

「熱がなかなか下がらず、地元の病院で診てもらったら白血病かもしれないという診断を受け、即入院。そこから福岡の大きな病院に転院し、再検査をすると再生不良性貧血という、血液の病気が判明しました。そこから三ヶ月、福岡の病院でつきっきりの毎日。当初は骨髄移植で完治すると言われていたんですが、息子の白血球の型がすごく珍しく、私たち夫婦は不適合で、骨髄バンクでも多分見つからないだろうと…。それで、別の治療法を選択することになったんですが、幸いなことにその治療法がよく効いてくれ、快方に向かいました。病気がどうなるか先が見えない状況が何ヶ月が続いた時、一度会社に退職届を提出しましたが、その後、回復の兆しが見えてきて。病院の先生が『仕事は続けても大丈夫ですよ』とおっしゃってくれたので、会社に事情を話したら、介護休暇制度を利用してお休みをもらうことができ、その後、無事に復職することができたんです」。

現在高校3年生の息子さんは病気も寛解し、普通の生活に戻っているそうだ。当時の様子を想像しただけでも、とても過酷な日々だったと思う。本当に、元気になってよかった…。

入院後半、体調も随分よくなり、ハロウィーンの仮装をしている長男。
いつもマスク着用でかわいそうでした。


仕事を諦めざるをえない状況の中、会社の協力のもと復職を果たせた外薗さん。24歳から長年勤めたその会社を、47歳で辞めようと思ったきっかけはなんだったのだろう。

「病気を乗り越えた長男が高校1年生になって〝この子とあと2年間ぐらいしか一緒に暮らせないんだなぁ〟と実感して、もっといろいろしてあげたいという気持ちになってきたんです。そのタイミングで、自分には向いてないと思っていた研究職に、20年ぶりに管理職として戻ったというのもあるかもしれません。コロナで在宅勤務が増え、その状況がストレスフリーなことにも気づいて、家で仕事できたらいいな…と思い始めました。いろんな要素が重なっての決断でした」。

23年間お世話になった会社に別れを告げ、2021年「ゆめ叶COACHING」を設立。仕事を辞め、コーチングの資格を取得した。なぜこの仕事を選んだのだろう。

「これまで、やりたいことがわからないまま、大学も就職も、なんとなくの流れでここまで来た感じでした。でも、人と接することが好きだと気づいたんです。誰かを応援したりサポートしたり、話を聞くことも好きだったのでカウンセリングの仕事も考えたんですけど、ゼロの状態からプラスに持っていく前向きなコーチングの仕事に魅力を感じました。あの時、勇気を持って、新しい道に進むことを決めてよかったと思っています」。

毎朝お子さんを学校へ送り出したら、昨年家族の仲間入りをした犬の散歩、その後は自分のペースでコーチングの仕事に励む。ストレスのない毎日に「今が一番幸せだと思います!」と言い切ったその笑顔は、とても晴れ晴れとしたものだった。

娘と愛犬と一緒に。「犬を飼う」という長年の夢が1つ叶いました!

女性だけじゃなく
みんなが働きやすくなるお手伝いができたら

最後にコーチングを学び、講師として様々な女性を見てきて、今感じていることを話してくれた。

「ヒアリングをしていると、会社のことや上司、人間関係に悩んでいる人がとても多いんです。でも、どんなに自分が考えても、頑張っても、他人のことは変えられない。だから、自分が変わるしかないんです。過去の私もそうだったからよく分かります。だから、今自分がやれることをしっかりやって、自分を変えようと行動すれば、きっと世界は変わっていくと思います。働くお母さんや女性は本当に大変! この仕事を通して、そんな女性だけじゃなく、みんなが働きやすい環境になるお手伝いができたら嬉しいですね。夢は、世界中を旅しながらオンラインでコーチングをしていろんな人と繋がっていくこと。そのためにゆくゆくは英会話もマスターしたいですね」。

外薗理佐さん[コーチング]

ゆめ叶COACHING
https://yumecomes.me/

この記事のライター:安達博子

「自分が変わるしかない!」という、外薗さんの言葉に深く納得! 私も常にそういう思考を大事にしようと思っていて、何かのせいにしたり、自分の力ではどうしようもできない事に悩むのは時間の無駄だからやめよう!と思っています。だから、それでよかったんだと再確認できて、コーチングしてもらってるようでした。YouTubeを見ながらヨガをしたり、茶道の時間を作ったり、一人の時間もとても大切にしている外薗さん。静かな佇まいの中に、まっすぐと凛とした熱いものを持っているように感じました。23年間、子育てをしながら仕事を続けて来たという、経験者としての深みを持って、これから多くの女性たちや企業と伴走する素敵なコーチになってください!

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