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2023.03.07

人生いつも行き当たりばったり
書くことが好き、街が好き

青木貴絵さん[フリーライター]

今回のママ:
青木貴絵(きえ)さん[フリーライター]
42歳・大分市出身・臼杵市在住
小学校3年生 一男の母

地元タウン誌出版社の編集者を経て、地域おこし協力隊として臼杵市の地域おこし支援に関わってきた貴絵さん。契約期間が終わった後も臼杵市に移住し、現在はライターの仕事と、週3日間オープンする自宅に併設するカフェでお客様をもてなしている。締め切りに終われ、毎日時間との戦いだった編集者の仕事と、子育ての両立。そして新たな土地での暮らし…。目まぐるしく変化する人生を、自然体で楽しむコツが、貴絵さんの話から垣間見えてきた。

出版社の編集者として就職
後悔しないために全力を出すことを学んだ

ライターの仕事に携わり、かれこれ30年以上。これまで数え切れないほど多くの人を取材してきたが、昔からの知人を取材するのは結構難しいのだ。すでに予備知識があるので、何をどう聞けばいいのか客観的に捉えられない部分が…。今回取材した青木貴絵さんは、実はもと仕事仲間の後輩。一緒に仕事をして、家族よりも長い時間を過ごした。

でも改めて考えると、彼女の生い立ちや、なぜ編集の仕事、ライターの仕事に就いたのか?なんて、当時は忙し過ぎてそんな深い話をした覚えがなかった。気持ちをできるだけフラットにして、訪れたのは臼杵市内にあるカフェ「quotidien(コティディアン)」。ご主人と一緒に夢を形にした、自宅に併設する菓子工房兼カフェ。薪ストーブの暖かさが優しく包み込んでくれるオシャレすぎる店内に「青木夫婦らしい…」と納得。久々に会う貴絵さんは、変わらない元気な笑顔で迎えてくれ、美味しいハーブティーを淹れてくれた。



大分県立大分舞鶴高等学校を卒業後、東京女子大学の言語文化学科に進学。歴史が大好きだったので史学科を希望していたが、偏差値が高くやむを得ず断念。なんとな~くな流れで言語文化学科に入り、日本各地の方言や外国の言葉などを学んだ。

「正直、勉強はそんなに楽しくなかったんですけど、大学生活はとても楽しかった。いろんなバイトをしながら寮で過ごす日々がすごく充実していました。日本料理店でバイトをしていた時、そこでいろんな作法や所作を叩き込んでもらって、それは今でもとても役立っています」。

大学卒業後は、広告代理店への就職を希望していた。「CM好きだったので、CMを制作する仕事に関わりたいと思って、広告代理店を片っ端から受けるも玉砕。就職氷河期だったこともあり、かなり苦戦しました。周りは次々に就職先が決まっていくので、どんどん追い詰められていきました」。

疲れ果て帰省した際、空港に迎えにきていた両親の姿を見て、思わず泣いてしまった貴絵さん。その姿を見たお母さんが、新聞の広告に掲載されていた新聞社とタウン誌出版社の採用募集を見つけ試験を受けるよう勧めた。「新聞社はダメだったんですけど、出版社の方は採用が決まって。そこにくるまで採用試験をたくさん受けていたので面接に慣れてたんだと思います(笑)。試験の翌日に合格の連絡を受け、怒涛の編集者人生が始まりました」。

22歳で入社し37歳までの15年間、タウン誌の企画編集・取材に関わった貴絵さん。新たな試みとして大分市中心部のフリーペーパーを発行することになり、編集担当になった。担当編集者はたったの2名。街の情報をかき集め、企画や編集作業に追われながら奔走した。当時の貴絵さんを見ていたが、フットワークの軽さ、人との関わり方、エッジの効いた企画立案…と彼女らしさを発揮していた。締め切りに追われて大変そうだったが、生き生きと仕事をする姿がとても印象に残っている。しかし、残念ながら1年で廃刊することに。

「すごく悔しかったんですよね。もっとやれることがあったんじゃないか、2人しかいないのに文句ばっかり言うんじゃなくてフォローしあえばよかったって後悔ばかりで。その時に学んだことは〝永遠に続くことはない〟ということ。だからこそ、その瞬間瞬間でやれることをやらないと悔いが残るんだって痛感しました」。

編集者から地域おこし協力隊へ
移住先の臼杵で新しい生活開始

働き方改革で現在は改善されているが、当時はまだまだ過酷な労働環境だった出版業界。度々私の話で恐縮だが、36歳で妊娠・出産し、その後も編集の仕事を続けようとは思わなかった。鼻っから、仕事と子育てを両立するのはこの業界では絶対に無理だと思っていたからだ。でも私が辞めた後、後輩たちが、出産しても仕事を続ける道筋をつけていった。貴絵さんは出産後、復職した2人目。経験者だからこそ、本当に大変だっただろうな…と思う。

出産間近まで働き、妊娠中は社員のみんなが協力をしてくれた。出産予定日まであと1ヶ月というある日のこと、仕事仲間と食事に行き、家に帰って腹痛があることに気づく。もともと生理痛がひどい体質だったため、そんな痛みなのかな?とのんびりと構えていた。「出産とか初めてなんで、陣痛の痛みとかわからないじゃないですか~。なんかお腹痛いよな~みたいな感じでした」。しかしトイレで破水。そこから3時間というあっという間の出産だった。「母親学級に行く前に出産してしまったので、いきみ方も習ってなかったんですよ(笑)どうやって出産していいかわからず、いきんで!と言われても『いきむってどうやって?』みたいな感じでしたね」。

出産後、1年間の育児休暇を取得。育休中、仕事を手伝って欲しいと編集部から連絡があり、在宅で原稿を書く仕事をした。「子どもは泣くし、おんぶしてあやしながら仕事をしたけど、椅子に座ってゆっくり原稿を書くということ自体が無理だったんですよね。あ~、これはなかなか難しいなぁってその時に覚悟しました」。



育休期間はあっという間に過ぎ、無事保育園も決まり復職。「出産して仕事に戻ってきた先輩が一人いたので、その人から『早く同じ悩みを共有できる人が欲しい。当事者じゃないと絶対にわからないことがたくさんあるから』とずっと言われて。その時、やっと意味がわかりました」。時短勤務のため、早めに仕事を切り上げ18時までに保育園へ。雨の日も風の日も、自転車で保育園までの送り迎えをしながらの4年間を過ごした。急な発熱の時には仕事を調整して切り上げ、予定が入っている時は実母にフォローしてもらいながら日々を乗り切った。「家に仕事を持ち帰って、子どもが寝静まって原稿を書くこともありました」。

めまぐるしい日々はあっという間に過ぎ、時短勤務で働ける期限が迫ってきた。「会社の規定で、時短勤務が可能な期限が決まっていたんです。保育園のお迎え時間を考えると、現実的に通常勤務はハードルが高くて。減給になってもいいので、時短で勤め続けたいと希望したんですが、規定上難しいので嘱託社員になりませんか?と提案されて。それは難しいなと、退職を決めました」。

保育園に預け仕事に追われた日々を「子育ての時間、特に小さいころはあっという間。今、子どもに向き合ってどっぷりと子育てを楽しんでいる友達を見ていると、もったいないことをしたなって思うこともありますね」と振り返った。

そんな時、臼杵市の地域おこし協力隊の募集の話を知人から聞いた。早速エントリーシートを送り面接を受け、無事に採用が決まった。37歳の3月で出版社を退職し、大分市が拠点だった生活から一変、1ヶ月後には臼杵市に移住していた。ご主人は移住することに抵抗はなかったんだろうか。「旦那の職場も無理なく通える距離だったし、特に反対はなかったですね。別にいいよという感じでした」。

臼杵に移住して今年で5年。地域おこし協力隊の期間を終え、そのまま臼杵市に骨を埋めることを決めた。自然も豊かで、子育ての環境に恵まれた今の暮らしは自分たちにあっていると話す。「大分市内に住んでいた頃は、息子はどちらかというと物静かで引っ込み思案な性格でした。でも移住して野球を始めて、お友達といつも外で遊んでいる活発な性格になりましたね。もし移住してなかったら、彼の性格も違っていたのかも…。環境は人を変えるなと、今実感しています」。

青木貴絵さん[フリーライター]

カフェにライターの仕事
ドタバタだけど、今を楽しみたい

夫妻で始めた、体に優しいお菓子づくり。当初は息子さんのために作っていたが、お菓子を朝市で出品したところ評判になり、ついには自宅と工房・カフェをオープンする運びに。ご主人が惚れ込んだ山口県の建築家に設計してもらった建物は、たくさんのこだわりが詰まった洗練された空間だ。貴絵さんのこだわりもたくさんあるんだろうなと聞いたところ「いや、私はこだわりは全くないんです(笑)。旦那がこだわりの強い人で、そこに引っ張られていってる感じ。私って、自分のためには頑張れないけど、人のためにはめちゃくちゃ頑張れるんですよね。旦那が理想とするものを一緒に形にしていくのが好きなんですよ。野球する息子の応援もすごく楽しいし、そこで繋がった人たちとの縁も大事にしていきたい。これまでの人生を振り返ったら、いつも行き当たりばったり(笑)。大学進学も就職も、出産も、臼杵への移住も、カフェをオープンすることになったことも…。とりあえず、後先考えず、直感で選択してきました。昔の私は、今の私を想像できないでしょうねぇ。人生って面白いし、そのドタバタな感じも楽しみながらこれからも暮らしていきたいですね」。



カフェの棚に置かれていた「掬ぶ(musubu)」と書かれた冊子に目に止まった。臼杵市がユネスコ創造都市ネットワークの食文化の分野に加盟したことを受け、シリーズ化で出版されているフリーペーパーだ。貴絵さんが、企画・編集・ライティングまでを一手に担っている。今日はこの後、次号の冊子で掲載予定のタチウオ漁を追いかける取材に出かけるらしい。写真や文章、デザインまで、貴絵さんのこだわりが詰まった、臼杵への愛がたくさん詰まった誌面だった。彼女が紡ぐ言葉、編集者としての卓越したセンス…。後輩だけど、私にとってリスペクトする存在だ。いい意味でちょっと嫉妬もした。



「あの時、もし広告代理店に就職できていたら、今の私の人生はないですもんね。本当に、編集の仕事を選んでよかったと思います。文章を書くのが好きだし、今の仕事が楽しいから。週に3日間はお店に立ちながらの忙しい毎日ですけど、臼杵も好きだし、人も好きだから、頑張れます」。

青木貴絵さん[フリーライター]

この記事のライター:安達博子

いつも笑顔でおおらかで、ふんわりとした柔らかい雰囲気だけど、実は中にはぶっとい芯が一本通っているかわいい後輩…というのが彼女に対する私のイメージ。同じ編集部で働いていた時は、やりたい企画をとことん追求する頑固さも持った編集者だった。私は貴絵さんにとっては大先輩なんだけど、彼女が臼杵市で作っているものを見るにつけ「あー、この人にはかなわんな」と思う。いろんな意味で刺激をもらえる存在だ。昔からおしゃれさんで、好きなものがはっきりしているこだわりの強い人だと思っていたけど、実はこだわりはなにもないというのに少し驚いた。でもそれって、どんな色にも染まれるカメレオンみたいな柔軟性を持っているということだなと、なんだか納得。どこに住んでも、どんな仕事も、どんな暮らしも、今を思い切り楽しめる人。そういう生き方って羨ましい。今度はゆっくりランチしようね。

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