先生の勧めで看護師の道へ
妊娠中に判明した長女の障がい
取材は、自宅におじゃました。少し分かりづらい場所なので…と玄関先まで出迎えてくれた。車のバックミラー越しに見える笑顔が、パッと咲いたひまわりのように明るく、取材前から親近感が湧いた。お子さんが3人いると伺っていたが、きちんと整頓された綺麗なリビングが とても心地よかった。
兵庫県生まれだが、物心つく頃には宮崎県の日向市へ。なるほど、南国の太陽を浴びて育ったからこんなに明るいオーラが出てるんだな…と納得。高校までを日向で過ごし、大分大学医学部看護学科に進学。卒業後は大分大学医学部付属病院に就職し、循環器内科配属となった。
「実はもともと看護師を目指していた訳ではないんです。高校3年生の時に担任の先生から『性格的に看護師に向いてるんじゃない?』と言われ、それで看護師の道に進むことに。夢や希望を抱いて目指したわけではなかったので、逆に想像していたよりも仕事が面白く、看護学生時代も、病院勤務時代も仕事がとても楽しかったです」。
大学時代に勤めていたバイト先で、お客さんだったご主人と友人を介して知り合い、27歳で結婚。すぐに妊娠が分かった。看護師になって4年目の時だった。妊娠5ヶ月目に入り、初めてご主人と一緒に検診へ。その日は性別を教えてもらうとあって、二人ともワクワクしていた。思ったよりも長く感じたエコー検査の後、医師から、赤ちゃんに病気の可能性があるということが告げられた。途中で泣くかもしれません…と前置きして、真衣さんが話し始めた。「脳に水が溜まっている可能性があると言われました。そこからはあまり記憶がなくて、別室に移されひたすら泣きました。ここではもう診れないからと、私が働く医大の産婦人科に紹介状を書いてもらい転院しました」。
MRI検査の結果「全前脳胞症」という病気の可能性が高いことがわかった。「右脳と左脳が分かれてない病気で、長女はその中でも重度でした。お腹の中で、もしかしたら亡くなるかもしれない…と告げられたあの日からずっと泣いていましたね」。そんな辛い日々の中でも、一度は職場に復帰した真衣さんだったが、メンタルが崩壊し働ける状態ではなくなっていた。その姿を見かねた師長さんが、早めに産休の手続きを取ってくれ、真衣さんは逃げるように職場を後にした。
運転中も食事中も、何をしていてもひたすら泣いている日々だった。生きて産まれてきても、長く生きられる可能性は低いとも告げられていた。「もしかしたらすぐ死んでしまうのかもしれないのに、頑張って産む意味がわからなくて…。真っ暗なトンネルの中にずーっといました」。当時を思い出し、涙を流しながら一生懸命に話してくれた。そんな中、ご主人は「障がいはあるだろうけど、完璧な人なんていないから、障がいはその子の特徴のひとつであって、悪いことではないよ。大丈夫だよ、きっと!」。常にポジティブに、真衣さんを励まし続けた。
そんなご主人の支えもあり、このままじゃいけない…と思い始めた真衣さんは、こんなにも辛く泣き続ける原因が知りたいと、思い当たる全てを書き出した。「障がい児を産んだ自分が可哀想と思われるのが嫌、とか、書き並べてみると、結局自分がどう見られるかを気にしてることに気づいたんです。だけどその中でも一番嫌なのは、子どもが亡くなってしまうこと。それに比べたら、人からどう思われるとか自分の考えていることなんでどうでもいいや!って思えてきたんです」。その気持ちに気づいた真衣さんは、図書館で子どもの死に関する本を借り、読み漁った。看護時代に死生観を学んだはずだが、その立場に立ってみないとわからないことばかりだった。「生きるとは?死ぬとは?というはっきりとした答えは見つからなかったけど、本を読んでいくうちに、ストンと自分の中で落ちた瞬間があって。多分、死というものを受け入れて、いい意味で開き直って覚悟ができるんだと思うんです。そこからは何でもできる気がして、出産までの残り1ヶ月間は楽しもう!って切り替わりましたね」。ただ泣くだけの毎日にピリオドを打ち、友達と会ったり、ランチに行ったりと、それまでできなかった楽しい妊婦生活を過ごした。
出産は破水から始まった。精神的にも落ち着いていたので一人で準備をし、仕事中のご主人に電話をかけ病院へ連れて行ってもらった。2100gで産まれた我が子は、予想よりもはるかに元気に生まれてきてくれた。症例も少ない出産事例のため、同僚の先生や研修医たちがお産に立ち会った。「産まれてきても、生きている保証はない中での出産だったので、担当の先生も促進剤を入れながら涙を流していました。でも、それだけ私に寄り添ってくれた先生だったので安心感もあったし、きっと大丈夫!とドンと構えて出産に臨みました。産まれて来た赤ちゃんは、自発呼吸もできていて、最悪のケースを考えていたので少し拍子抜けだったというか…。そのまますぐNICUに連れていかれましたけど、母性が溢れ出てて、可愛くて仕方なかったですね」。
諦めた看護師の道
みんなの優しさが支えに
1年の産休明けの仕事復帰はいろんな事情を考えると難しいと、3年間の育休を取得することに。ご主人にもご両親にも反対されたが、育休中にもう一人子どもが欲しいと切望し、第二子を妊娠。途中、切迫早産で2ヶ月間絶対安静の時もあったが、両家のご両親が交代で娘さんの面倒を見てくれた。翌年、第二子の息子さんが元気に誕生した。
「3年間の育休明けで復帰しようと、娘の預かり先を探したんです。でも、重度の障がいがある子どもを預かってくれる所は当時はほとんどありませんでした。この状況では復職は難しいだろうなと看護師長に相談しました。すると、息子さんが3歳になるまで休んでいいよと言ってくれて…。だけどこれ以上迷惑はかけられないし、預け先が見つかる保証はなかったので退職する意思をお伝えしたら、籍だけは置いときよと…。復帰はきっと難しいだろうとわかってたと思うんですけどね。本当に優しい方ばかりで、恵まれた職場だったとつくづく思いました。仕事を離れた今でも気にかけてくださって、本当に感謝しかありません」。
自発呼吸もでき、ミルクを飲むこともできた。重度の障がいだったが、医療ケアを受けず元気に成長した。風邪をひくと数週間入院をしたり、今年の4月には筋緊張を和らげるための弛緩剤を体内に流すバクロフェンポンプを入れる大きな手術もしたが、家族みんなで一緒に自宅で暮らせる毎日が幸せだと話してくれた。
現在娘さんは10歳になり、特別支援学校に通っている。年子で生まれた息子さんは9歳。真衣さんが36歳の時に出産した娘さんも2歳になり、家族5人で賑やかな毎日を過ごす。
「看護師の仕事は本当に好きでした。資格もあるから、また働けるなら働きたいなぁと思うこともありました。でも実際は主人も仕事が忙しく、家事と子育てをしながら働くのは難しいかな…と諦めていたんです。そんな時に出会ったのが小児スリープコンサルタントという資格でした。新生児から未就学児までを対象にした、夜泣きや寝かしつけなど子どもの睡眠トラブルに対して、科学的根拠のある知識を基に各家庭の状況や考え方を尊重しつつ、睡眠習慣の改善をサポートするお仕事です。私も5年間ぐらい上2人の夜泣きがひどくてノイローゼになるくらい悩みました。そのトラウマがあったので、3人目出産まで間が空いてしまったんですけど、末っ子が本当によく寝る子で、こんなに楽なんだ!とびっくりしました。それがきっかけで子どもの睡眠に関心を持つようになり、子どもの睡眠に関する本を読んでみたら、どんどん興味が深まっていって。本の巻末に、スリープコンサルタントの話が書いてて、ちょっと勉強してみたいな…って思うようになり、今年の3月に資格を取得しました。現在はオンラインでのねんね相談や対面でのねんね相談を行い、お子さんの睡眠に関する悩みを解決するお手伝いをしています。悩みを聞いて分析し、プランを立て、実行して修正しながら改善へ導く…という流れが、看護過程にも似てるんですよね。家で仕事ができるので、無理のない範囲で私自身も楽しみながらお仕事をしています」。
子育てもキャリアアップの一つだと
大先輩が背中を押してくれた
子どもの睡眠の悩みだけに留まらず、看護師時代の経験や知識を活かし、成長や発育の支援や、離乳食や子どもとの関わり方など、育児全般でサポートしていけたら嬉しいと真衣さん。
「障がいの子どもを持ったことで療育関係にも詳しいし、無駄にいろんな経験を積んでいるので(笑)それが他のママたちの役に立つといいなと思っています。長女の入院期間中、時間があったので〝ピンチはチャンス!〟とインスタの情報発信のノウハウも学びました。自分で納得しないと前に進めないんですよね私。動いてないと死んじゃうマグロみたいですよね(笑) あと、息子が野球をしているので、スコアがつけれるよう勉強したり、スポーツによる怪我防止にも興味があったのでスポーツ外傷・障害予防の研修を受け、先日は修了書もいただきました。看護時代の師長さんや副師長さん、ずっと娘を診てくださっている担当医の先生、療育で出会ったママたちや先生、近所のお友達、主人や両親…。これまでたくさんの人たちに助けられてきたから、私ができることで恩返ししたいと思っています!」。
3人の子育てをしながら、空いた少しの時間を有効に使って学びを深め続けて来た真衣さん。私たちには想像できない苦労や辛さもたくさんあったはずなのに、それをバネにして、様々なことにトライする姿に、きっとたくさんのママたちが勇気をもらうはずだ。
「看護師を辞めた時は悔しい思いもあったけど、その時、副師長さんが『子育てもキャリアアップの一つだよ。そこでしか学べないこともたくさんあるから思う存分やって来なさい!』って送り出してくれたんです。娘がいなければ、今はまだ看護師として働いているかもしれない。でも、娘が生まれきてくれたおかげでたくさんの人に出会え、多くのことを学んだ気がします。そう考えると、全部が繋がってるんですよね! まずは夜泣きなどに悩んでいるママたちに「夜泣きは改善できる」ということを知ってもらうこと、気軽にねんね相談ができるような環境を整えることを目標に活動を続けたいです。そして、夢は、障がい児のお母さんでも正社員として働ける世の中になること。障がい者のお母さん=専業主婦みたいな概念を取っ払いたい! 私がロールモデルになって、いろんな選択肢を持って働ける環境に向かえるよう、微力ながら力添えできたらなって思っています」。
この記事のライター:安達博子
とにかく底抜けに明るく、エネルギッシュな真衣さん。「無駄にいろんな経験をしてるので (笑)」とおっしゃってましたが、無駄なんて一つもない。全てに理由があって、それが今に繋がっているんだと身を以て教えてくれた気がします。多くの人に支えられ恵まれていると真衣さんは言ってましたが、きっとみんなも真衣さんに支えられているんだと思いますよ。私も娘の夜泣きで辛い思いをしたので、当時真衣さんがいてくれたら相談してたのにな~(涙)。産後うつの要因でもあるので、軽く考えず、子どもの夜泣きに悩んでいる人はぜひ相談してみてください。真衣さん、またお会いできる日を楽しみにしています!