MAMA STYLE様々なママの様々なスタイルを
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2023.09.26

好きなことに挑戦して
自分の強みを見つけたい

柴田美咲さん[パート販売員]

今回のママ:
柴田美咲さん [パート販売員]
32歳・佐伯市出身・大分市在住(5歳・3歳の一男一女の母)

幼い子どもを連れて海外で暮らす人ってすごいな!って単純に思う。大分で子育てすることでさえも毎日大変なのに、完全アウェーな世界で暮らすなんて私には想像つかない。今年の春まで、ご主人の仕事の関係で親子4人で中国で暮らしていたという柴田美咲さん。大変なエピソードがあるんだろうなぁ…と想像するも、なんだかすごく楽しかった話ばかり。教師の仕事、出産、子育て、転勤、辞職の決意…。多忙なライフイベントを駆け抜けるうちに、漠然とした不安が襲ってくる女性の人生。だけど、美咲さんはそんな中でも、好きなものにまっすぐに、軽やかに駆け抜けている。

教師の仕事、出産、そして中国へ…
どんな時も、楽しんだもん勝ち!精神で

よく取材で利用する、待ち合わせの海岸沿いのカフェを訪れた。先に美咲さんが到着していた。笑顔がとても可愛らしい透明感のある女性だ。実は、先だって情報を仕入れようと彼女のインスタをフォローし、いつものごとくストーカーのように読み漁った。美咲さんからのフォロー返しもあり、私のプライベートも筒抜けだったのだが…。お互いの近況を知っているという異例の状況。初対面でありながら、昔から知っているような不思議な感覚で挨拶を交わした。



佐伯市出身の柴田美咲さん。167センチあるすらっとした身長を活かし、バレーボール少女として高校までを地元で過ごした。高校卒業後は熊本大学の教育学部で教員を目指した。大学を卒業し採用試験を受けるも合格せず、翌年、採用試験に合格。晴れて小学校の教員となった。

「食べることやお料理が好きだったので、調理師とかパティシエになりたいとずっと思ってたんです。両親が教師で、家に持ち帰って仕事をこなしている忙しい姿を見ていたので、先生になる道は考えてなかったんです。ちょっと寂しい思いもあり…。でも、子どもも嫌いじゃないし、安定の道を行くなら教員の仕事も悪くないなと思うようになり、結果その道へ進むことになりました」。

由布市の小学校で1年間臨時講師を経験したのち、正規採用で別府の小学校に着任。初年度からクラス担任を受け持った。「学校の先生って、一般企業と違って研修期間がなくていきなり本番って感じなんです。子ども達、保護者の方々を目の前にして戸惑いを感じながらも、なんとか教師の仕事に向き合いました。大変だったけどやりがいを感じる毎日でしたね」。その年、美咲さんを含め2名の先生が新規採用された。美咲さんともう一人の先生が、現在のご主人だった。採用3年目の25歳で結婚、その後、佐伯の学校に転勤が決まった。翌年、妊娠が判明し1月から産休に入り4月に第一子を出産した。



「学校の先生って復帰の時期を考えるのが難しいんですよね。4月から学校がスタートするので、その時期を軸に考えないと、なかなか復職しづらいんです。翌年に第二子の妊娠がわかって、その子が1歳をすぎた春に復帰しようと思ってたら、中国行きが決まったんです」。

海外の日本人学校で教鞭を取ってみたいという夢があったご主人。文科省が募集する海外派遣勤務に応募し、中国蘇州の小学校での勤務が決まった。「じゃあ、私たちも一緒に行くわ!って二つ返事でした。下の子が3歳になるまで育休がいただけるので、その時間を利用して一緒に中国に行こうと決めました」。



世界遺産も多く歴史もあり、東洋のベネチアと呼ばれている蘇州での暮らしはとても充実していたと美咲さん。街も綺麗で食べ物も美味しく、ストレスフリーだったそう。「スマホ一台でなんでもできる便利な国で、日本よりも進んでいました。メディアの報道とかで中国のイメージがあまり良くなかったりするけど、それを払拭したいなという思いもあってインスタに情報をアップしてましたね」。美咲さんのインスタには、美味しそうなローカル食や街並み、そこでの生活が中国語とともに綴られていた。海外生活で一番問題になるだろうと想像できる言葉の壁は、どう乗り越えていたんだろう。

「家庭教師をつけて中国語を勉強をしました。日常会話まではいかないけど、簡単な言葉を聞き取れるぐらいにはなりましたね。上の子は幼稚園だったんですけど、日本人学校ではなく、現地の幼稚園に入園しました。中国語が飛び交う中でなんとかコミュニケーションを取り、お友達もできました。会話を聞き取れるぐらいの力はついたんじゃないかな。子どもの吸収力とか柔軟性って本当にすごいなって感じました。見る力、真似する力もあって、言葉の壁とかどうにでもなるんだなって思わせられました。彼女は彼女なりに大変な2年間だったと思うけど、でもいい経験になったと思います」。



同じように現地に派遣された家族のお友達と食べ歩きをしたり、家では大好きなパン作りをしたり、異国の文化を感じながら美咲さんも充実した専業主婦の時間を過ごした。「レンタサイクルでいろんな場所を巡ったり、交通費も安いから地下鉄とかバスを使って行ってみたいお店を訪れたり…。本当にあっという間の2年間でした。主人もいろんな刺激をもらったみたいだし、家族にとっては意味のある時間でしたね」。

海外生活の苦労話が出てくるかと思いきや、楽しかった思い出しかないと笑顔だった。どんな環境の中でも順応して、与えられた時間を思いっきり満喫した美咲さん。「人生楽しんだもの勝ち!」という、楽しいことに貪欲な美咲さんを垣間見ることができた。

柴田美咲さん[パート販売員]

教師を辞め、好きなパンの仕事へ
興味のあることは、知りたい学びたい!

本当は3年間中国で暮らす予定だったが、育休期間を終えた2年目で大分に戻る決断をした。「あと1年あるから、自分の働き方も含め将来的なことはゆっくり考えればいいわと思ってたので、色々と急いで決めないといけなくなり、悩みましたね…」。2人のお子さんもまだ小さかったため、美咲さんも仕事復帰する予定で大分市内での着任と時短勤務を希望した。しかし、諸事情あり美咲さんの希望に沿った働き方が叶わないことに。



「勤務年数の関係で、大分市内での勤務が難しく佐伯に赴任してほしいと告げられました。そうなると通勤時間もかかるし、まだ小さい子ども達を育てながら仕事をするのは難しいな…と思い、辞める決意をしました。やりがいのある仕事だったけど、休日も翌週の授業の準備をしたりと毎日追われていた現役時代に戻れる自信がなくて。子育てしながらは無理だなって判断したんです」。今年の3月に家族で大分に戻ってきたが、美咲さんは教壇に立つことを断念した。

教員の仕事を辞めた後も、何かしらの形で働きたいと思っていた。もともと食べることが好きだった美咲さん。ならばそんな仕事はないか?と思っていた時、別府の有名老舗パン屋「友永パン屋」の求人に目が止まった。中国にいた時もよくパンを焼いていたしパンが大好きだったのでここで働きたい!と応募。週4日、パートとして勤務できることになった。朝5時半に起床し朝ごはんを作り、ご主人を送り出し、2人の子どもを園に送り、9時にお店に出勤。16時まで働き、子ども達のお迎えをして帰路につく。私も友永パン屋のファンなのでたまにパンを買いに行くが、スタッフの皆さんの無駄のない働きぶりにいつも感心する。



「仕事はすごく楽しいです。老舗のパン屋さんという所にも興味があったんです。女性が多く、私よりも若い世代の人も働いているんですけど、同時にいろんなことを考えながら無駄のない動きで仕事をさばいてて、本当に色々と勉強になっています。月・金曜は自分の時間、週末は家族の時間という感じでバランスを取ってます。毎日ハードだけど、やりたいこともいっぱいあるから、その中で調整して時間を作っています。講座とかワークショップに参加していろんなことを学んだりするのが好きなんですよね。最近では調味料の講座や、あと、子どもと一緒に性教育の講座も受けたりしました。子どもと一緒に動くときは、子どもだけが楽しい場所に行くんじゃなくて、自分がワクワクすることを一緒に経験したいと常に思っていましたね。知りたい欲がすごくて、勉強して知識を深めるのが好きなんです。やっぱり食べることが中心なんですけどね(笑)」。

好奇心旺盛で、学ぶことが大好き。ママのままプロジェクトが毎年開催しているままいろフェスタにママスタッフとして参加し、ステージのサポートをしてくれた美咲さん。これも彼女の「楽しそう!」という好奇心アンテナに引っかかったから。「いろんな人に出会えて、仲間ができてすごくいい経験でした。何歳になっても、ママになってもチャレンジする気持ちは持ち続けたいですね」と笑顔で話してくれた。

柴田美咲さん[パート販売員]

一つの所に留まりたくない
だからこそ、どこでもやっていける力を

今後の夢は? 「食べるのも作るのも、やっぱりパンが好きなんですよね。インスタにも載せてるんですけど、もう100種類くらいパンを作ったかな? 大分に帰ってきてからもパン関係に関わりたいと思って、パン屋さんにも勤めることができて毎日が充実しています。最近は麹や発酵ブームが自分の中できてて、麹調味料や甘酒も手作りしてます。そういうものを使った体に優しいお菓子を作って、いずれ販売できるようになったらいいなぁってぼんやり思ってます」。

コロナ渦のおかげで、オンライン講座も増え、日本各地の才能溢れる人たちから様々なことを学ぶチャンスも増えた。「今はどこにいてもどんな場所でもオンラインで勉強できますよね。大分にいながら、知識を深めることができる恵まれた環境になったなって思います」と、好きなことを話し出すと止まらなくなる美咲さん。教員の仕事に未練はない?と聞くと「ないですね。自分が選んだ道だけど、私の場所はここじゃなかったなって気づいたんです。やりたいことをやるのが一番!」ときっぱり。



せっかく苦労して手に入れた安定した職業。簡単に手放せないと考えた時もあった。「今は子どもに手がかかるけど、子どもたちが巣立った後、自分が好きなこと、楽しいことに時間を費やして生きたいと思うようになったんです。コロナ渦で自営や起業する女性が増えたのも、何かに挑戦したいと!と思う私を後押ししてくれた気がします。とりあえずなんでもやってみるのが好きだから、あれもしたい、これもしたいとじっとしておけない性分。興味のある麹は、日本ならではの体に優しい食べ物。麹を勉強して資格を取りたいですね。今は広く浅く、いろんな知識を自分の中に入れている感じですが、いずれは深める場所を見つけたい。そして何かになりたい!って思います。夫は一つの所に留まりたくない人。だからこそ、自分で能力を身につけて、どこでもやっていける好きなものを見つけたいなって思うんです。自分の強みさえ持っていれば、どこでも仕事ができる時代だと思うから」。

柴田美咲さん[パート販売員]

この記事のライター:安達博子

まさに健康美!な美咲さん。食べることが好きすぎで、食育アドバイザーと米粉パンマイスターの資格を持っているそうで、次は麹の資格も取得したいそう。時間があれば興味のあること(主に食関係)を学びたいと常に貪欲。インスタを見るとわかるけど、体にいい素材を使ったお菓子作りやパン作り、麹の知識などが綴られていて本当に好きなんだなぁと感じた。でもよく考えてみると、美咲さんが好きなものって、全て子どもや家族に繋がっている。彼女が愛情を込めて作る食べ物は子どもたちの口に運ばれ、体を作っている。好きなことが結果、大切な家族の健やかな毎日に繋がるなんて、そんな幸せなことはない。教員という仕事をきっぱりと辞め、自分の好きなものと向き合う美咲さん。「好きがあるってやっぱり強い!」と改めて思わせてくれる取材だった。私の好きなもの? ビールかな(笑)

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