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2024.01.16

いつの日か発展途上国の子どもたちが
笑顔になる支援に関われたら

小野里奈さん[アクセサリー作家]

今回のママ:
小野里奈さん [アクセサリー作家]
29歳・大分市出身・大分市在住
(小学校1年生・幼稚園年中・3歳・3ヶ月の三男一女の母)

ライフステージが目まぐるしく変化する女性の人生。「自分が選んだ人生なのに、本当にこのままでいいの?」と、様々な葛藤を抱えながら日々過ごしている女性も多いと思う。彼女もその中の一人。カンボジアやフィジーなど発展途上国を訪れ国際支援の活動に携わり、出産を機に日本へ帰国。昨年末には待望の女の子が産まれ、4人のお子さんの子育てに奔走する中「今できること」に前向きに、自分の人生と向き合いながらアクセサリー作家の活動を続けている。

動物看護師の仕事を辞め
興味を深めた国際支援活動へ

ママたちのチャレンジを応援する場所をつくりたいというコンセプトで、これまでも様々な活動を続けてきた『ママのままプロジェクト』。その想いに賛同し、当プロジェクト主催のイベント『ままいろフェスタ』でアクセサリーのブースを出店し、新たな一歩踏み出した小野里奈さん。お子さんの名前から名付けた『Nóah(ノア)』という屋号を掲げ、昨年末から本格的な活動を始めた。



きっと、手先が器用でハンドメイドが好きな可愛らしい女性が来るんだろうなぁ(あくまでも私の妄想)とイメージを膨らませ、待ち合わせのカフェへ。実は、住居区域が同じということを知り勝手に親近感を抱いていた。「初めまして!」と、太陽のような笑顔で元気に現れた里奈さん。4人のお子さんがいるという前情報は聞いていたので、まだ20代だということを聞いて驚いた。自分の子どもでもおかしくない年齢差。普段の生活の中で20歳以上離れた女子と話す機会はなかなかないので、ちょっとワクワクした。人懐っこい雰囲気で、初対面なのに昔からの知り合いのような空気感が心地良かった。

大分商業高等学校を卒業後、動物が好きだったこともあり、現在の福岡ECO動物海洋専門学校に進学し動物看護師の勉強をした。「在学中、自分探しの旅でフィジーとカンボジアに行ったんです。訪れた国が発展途上国だったこともあり、それがきっかけで国際支援の方に興味を持つようになり、いつか海外で仕事がしたいと考えるようになりました」。

専門学校卒業後は、海外支援も行なっている大手グループ企業傘下の愛知県名古屋市の動物病院に就職した。「2、3年働いてた時、会社を通じてカンボジアに行けるチャンスがあり、行かせてもらいました。その経験で『やっぱり海外で働きたい』という想いが一層強くなりました。あと何年働いたら海外事業部に異動できるか尋ねたら、動物看護師から海外事業部に異動することはできないと言われてしまったんです。何年か働いたら異動できる可能性があると思い就職したんですが、現実は厳しかったですね」。



発展途上国の厳しい現状を目の当たりにした里奈さんは、どうしても国際支援の活動に携わりたいと働ける国を探し、ベトナムでの日本語教師の仕事を見つけた。「ここにいても私のやりたいことはできない…」と、仕事を辞める決意を固めた。

ベトナムで判明した妊娠
志半ばで大分へ帰郷

ちょうどベトナム行きが決まった頃、ご主人との結婚の話も進んでいた。親戚の不幸も続き、バタバタしていた時期で渡航を躊躇したが「今行かないと絶対に後悔するから行かせてほしい!」と嘆願し、ベトナムへ。日本語教師として働き二ヶ月が過ぎた頃、体調不良が続き病院へ行くと妊娠していることが判明した。「医療技術も遅れているし、給料が一ヶ月2万円だったのに対し、外国人だったのもあり診察代が5000円かかり、ここでは出産はできない…とやむを得ず日本に帰ることに。でも、渡航費や研修代を返納してからじゃないと日本に返せないと言われ、ベトナム生活のためそれまで貯金したお金を使い果たし、ほぼ無一文で大分に帰ることになりました」。その時、里奈さんは22歳。志半ばで帰国し、里帰り出産した。



その後、ご主人の待つ愛知県へ戻り、2人目、3人目を出産。子育てに奔走する日々を送った。「私、3回の流産を経験してるんです。大量出血で私自身が倒れたり、痙攣を起こし子どもが救急車で運ばれたり、本当に色々ありましたね。友達もいなかったし主人も宮城県の人なので、頼れる存在が近くにいない状況は本当に辛かったです。主人も仕事が忙しく、それまではほぼワンオペ状態で頑張ってたんですが、緊急事態に対応できない状況はもう無理だ…と、主人に転職をお願いして大分に戻ってくることにしたんです」。

2年前に大分に帰ってくるまでの約7年間、3人の子育てに専念してきた里奈さん。その間、たくさんの孤独も感じたことだろう。「海外で精力的に活動していた生活から一変、子どもと私だけの世界に…。喋れない赤ちゃんと2人きりで、1日中誰とも話さない日もあったりしました。話す人がいないからどんどん家に引きこもり、うつ状態気味になったのでこれじゃダメだと、児童館や公園に毎日出かけながらメンタルを保っていた感じです。2人目が産まれ少し経った頃、長男がロタウィルスに感染し痙攣を起こし、救急車を呼んだんですけど、下の子がワクチンを打っていなかったので救急車に同乗できないと言われ…。そんなこと言われても預ける人もいないし、どうしようってなって、アパートの前の部屋に住む少しだけ顔見知りのおばさんに急遽子どもを預かってもらうようお願いしました。私が倒れた時も子どもを見てくれる人もいなくて。そういう状況が続き、子どものことを考えたら帰るしかなかった。祖母が大病したり、その世話を家族がしてくれていたので、いろんなことを考えて親孝行のためにも近くにいた方がいいなと思ったんですよね」。

小野里奈さん[アクセサリー作家]

このままじゃいけない
自分の居場所を見つけたい

大分に帰省してからも、子育てに向き合う日々だった。3人兄弟の喧嘩や、幼稚園に行きたくないと泣きじゃくる子どもたちとの生活に疲れ果てていたある日の夕方、スーツを着た女性が訪ねてきた。「児童相談所の方だったんです。ベランダから玄関まで家の中を隅々まで見られ、子どもの様子を観察した後『お母さんはどんな叱り方をしてますか?』と尋ねられ…。自分のやりたいことを全部諦めて、子どものことだけに専念しようって頑張ってきたつもりだったのに、それまでやってきたことが全否定された気持ちになり、誰も信じられないという気持ちになりましたね」。

やりたいことを諦め頑張ってきたのになんで?と、追い詰められた里奈さんの心が手に取るようにわかってしまい、話を聞きながらつい泣いてしまった。

子育てオンリーの環境の中、何かをしたいという気持ちさえも生まれなかったと里奈さん。そんな中、自分を変えるきっかけが訪れる。「このまま私がうつ病になってしまったら、子どもたちはどうなるんだろうと考えました。その時、たまたま見ていたYouTubeで『今いるコミュニティ以外で自分の役割を見つけるといいよ』という話を聞き、このままじゃいけない!環境を変えよう!と思ったんです。ちょうどそのタイミングで、ママのままプロジェクトのチャレンジカフェ講座の参加募集を見つけ、なんでもいいから自分の居場所を見つけようと応募しました。もともと得意だったアクセサリー作りにチャレンジして、出店してみようかなって。そこからはエンジンがかかり、子どもが寝た後にハンドメイドの製作もしていたので寝不足になったけど、そこが唯一の拠り所になっていったんです。逃げ道というか、とにかく自分の居場所を作りたかったんですよね」。

勇気を持って一歩踏み出し行動を起こしたことで、自分の気持ちも環境も変わっていくのを実感した。新しく出会えた人たちとの関わりも、張り詰めた里奈さんの心をほぐしていった。

小野里奈さん[アクセサリー作家]

諦めきれない気持ちもあるけど
置かれた場所で、今できることを

「今でも国際支援に関わりたい気持ちは正直あります。この話をすると涙が出るんですけど…カンボジアから帰る時、現地のツアーガイドの人が『日本人はもともとチャンスを持って生まれてくる。同じ人間として同じ地球に生まれてくるのに、生まれた場所が違うだけでこんなに生きる世界が違う。だからどんな状況にある日本人でも、僕らはとても羨ましく思っている』って言われ、号泣しました。仕事でぼーっと突っ立っていても日本だったら時給1000円以上もらえたりするじゃないですか。でもカンボジアでは、1日かけて地雷撤去の仕事を命懸けでしても200円ぐらいしかもらえない。その話を聞いて、私はこの道に進みたい!と強く思ったんです。私が生まれてきた理由はここにあるとさえ思いました。後悔しないためにも、あの時カンボジアに行けてよかったって思ってますけど、でも正直諦められてない気持ちもあります。今は自分が置かれた場所で、子育てとアクセサリー作りに頑張って、いつか私が関わる活動で海外支援に繋がることができたらいいなと思っています」。



「全てにおいて行き当たりばったり。本当、計画性がないですよね」と里奈さんは笑った。志半ばでやりたいことを諦めたという心残りはあると思う。でも、直感に従って、流れるように生きてきた女性なんだと感じた。想い続けることで、いつかそこにたどり着ける時がやってくると私は思う。だからずっと諦めないでほしい。

昨年10月に女の子を出産した里奈さん。彼女が18歳で成人した時、里奈さんはまだまだ47歳! 今の私より若い(笑)。「今私がやっていることは国際支援の活動とは全然違う世界だけど、恵まれない国の子どもたちの人生が少しでも好転するために、自分が置かれた場所で微力ながら動いていたいですね」と、その想いは強い。子育てを終えた後、キラキラした笑顔で発展途上国の子どもたちと向き合っている里奈さんの姿が想像できた。

小野里奈さん[アクセサリー作家]

この記事のライター:安達博子

アクセサリーを製作している女性だと聞き、キラキラなイメージで取材に臨んだけど、いい意味でイメージを覆されました。「アクセサリーに思い入れがあるわけじゃなく、4人の子育てをしながら今私ができるのがアクセサリー作りだったんです」と言い放つ清々しさが、私は好きです。「ほんと、毎日怒りよんのですよ(涙)」って4人の子育てしてたら仕方ないし、そういう等身大な部分も変に格好つけてないところも、妹?娘?のように可愛く思えて「何かあったらいつでも相談してきよ」ってLINE交換しました(笑)。夢や目標、やり遂げたいことがあるのに、結婚や出産で諦める選択をしなければならないことが多い女性の人生。だけど、諦めるのはまだまだ早い!想いがあれば、何歳からでも挑戦できるよ、きっと。ご近所さんなので、子育てに疲れたらお茶しにいきましょ。これからも応援していくよ!

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