MAMA STYLE様々なママの様々なスタイルを
ご紹介します

2024.04.23

子どもたちにとって
親以外で信頼できる存在であり続けたい

三浦和歌子さん[保育施設園長]

今回のママ:
三浦和歌子さん[保育施設園長]
38歳・国東市出身・大分市在住
(小学校6年生・2年生・年長の二男一女の母)

大分市の猪野にある、認可外保育施設「Mammy Mammy」を開園し、今年で8年目。母として、園長として、多忙な毎日を過ごしている三浦和歌子さん。第二子を亡くすという辛い経験を経て、ママたちの困り事をサポートできることはないかと模索し、保育施設を作りました。

保育士を経て母に
空に昇った彼が導いてくれている

インスタのDMに取材依頼の連絡を送った。「大したことはしてないので私なんぞがお役に立ちますでしょうか…。でも私の話が少しでも誰かの役に立つのならお受けしたいと思います」と丁寧に返信をくれた。その謙虚さに「きっと素敵な女性に違いない」と確信した。海が見えるいつものカフェで待ち合わせ。先に店内で待ってくれていた和歌子さんを見つけ、初めましてのご挨拶。小柄でおしゃれさんな和歌子さんは、やっぱり素敵な雰囲気の女性だった。


国東市出身。小学校・中学校まで地元の学校に通い、剣道一筋の少女だった。その後、大分県立鶴崎高校に入学し、3年間剣道に励んだ。卒業後は保育士を目指し福岡の中村学園大学短期大学部に入学。「保育士を目指すか、美容師を目指すかで悩んだんですけど、小さい子どもと遊ぶのが昔から好きだったし、幼稚園時代の先生に憧れていたのもあって、保育士の道を選びました」。

大学卒業後は大分市内の保育園に就職。5年間勤め、結婚を機に25歳で退職。26歳で第一子を出産し、1歳になる頃、再び保育士として復職した。その1年後、28歳で第二子を出産した。

「その子が4ヶ月になる直前に亡くなったんです。乳幼児突然死症候群でした。元気が良くていつも機嫌がいい赤ちゃんで、当日もみんなで佐野植物公園に遊びに行きました。当時、家業の事務の手伝いをしてたので簿記を覚えるために、夜は子どもたちを寝かしつけた後に勉強をしていました。勉強を終え布団に入ると、いつもおっぱいを探すその子が動かなくて…。手を触ったら冷たくなってたので慌てて救急車を呼んだんですけど亡くなってしまいました。まさかこんなことになるなんてと、想像もしてなかったです。天使みたいな子でしたね。〝子ども何人いるの?〟と聞かれると、昔ならその子の存在を忘れたくないから『4人』って答えていたんです。でももう亡くなって9年経つので、最近では『3人です』って…。最近はその話題に触れることも少なくなったので、今日はその子の話ができてすごく嬉しいんです」。

子を持つ親として、想像を絶する。表情もどんどん豊かになり、日増しに可愛くなる我が子が、この世からいなくなるなんて…言葉にならなかった。「辛い話をさせてごめんね」と言うと「でも、彼が今の自分をここに導いてくれている気がするし、いつも守ってくれてると感じています」と答えてくれた。彼女から滲み出る凛とした強さは、ここから生まれているんだと分かった。

三浦和歌子さん[保育施設園長]

ママたちの困り事を目の当たりにし
一時預かりできる保育施設を

お子さんを亡くした後、気を紛らわすためにも仕事をしようと、様々な職を探した。しかしまだ子どもも小さく、働ける時間が短いのでなかなか条件に合う職が見つからなかった。そんな中、アパレルメーカーのGUでパート勤務できることに。

9ヶ月働いた頃、妊娠が判明。恵まれた職場環境だったが、片道40分以上かかる通勤時間も考慮し出産ギリギリまで働くのは無理だと退職を決めた。

「子どもとの時間も大事にしながら働ける仕事はないかなぁと考えた時、フィッティングルームで試着する、子連れのママたちが困っていたことが頭に浮かんだんです。改めて小さな子どもを連れて買い物するのって大変だよねぇって。だったら、ちょっとの時間誰かに見て欲しいと思った時に利用できる一時預かりを始めよう、と。保育園に勤めていた時に、同僚と『みんなで保育園作りたいね』って話もしてたので、多分ずっと頭に残っていたんだと思います」。

そのアイデアを、自営業を営むご両親に話したところ「商工会議所に相談に行ってみたら? やってみたいことがあるならチャレンジした方がいい!」と背中を押してもらった。そこからトントン拍子で話は進み「周りに言われるがまま、いつの間にか保育施設を建てることになって、後には引けない感じになりました(笑)。でも思ったんです。失った命はどんなに願っても頑張っても取り戻すことはできないけど、それ以外のことだったら失敗してもその後の努力でやり直せる!って。亡くなった子どもが教えてくれたんだと思います」。


妊娠中も出産後も、保育施設建設のために動いた。出産後、小さな赤ちゃんを抱え公園にいるママたちにヒアリングを行った。SNSを使い、リアルな声も拾った。そして、一時預かりのニーズが高いことを確信した。

「実は私自身、一時預かりを利用したことがないんです。というか、利用したくない派だったんです。自分の都合で、子どもを知らない人に預けるのに不安があったんだと思います。だからいろんな工夫を考えました。親子体験をしてもらい、どんな保育環境なのかを知ってもらった上で、安心して利用してもらえるようにしました。開園1年目、なかなか認知もされず経営も正直厳しかったです。でも地道に活動を続けることが大事と、知り合いの小児科の先生からアドバイスをもらい、なんとか踏ん張ってきました」。

出産した1年後、自宅敷地内に保育施設「Mammy Mammy」を開園し、今年の6月で8年目を迎える。園内の可愛らしい空間や、センスのいい手作りの連絡帳、季節ごとの楽しいイベントなど、和歌子さんらしいこだわりを感じる施設となった。

雨が降るから、虹が出る
全ての経験に無駄はない

和歌子さんの1日は早朝5時半からスタート。ランニングマシーンで30分間汗を流し、シャワーを浴びてお弁当と朝食を作り、子どもたちを送り出し、8時半に保育施設をオープンする。仕事が終わると男子2人のバスケへの送迎。休日も子どもたちの用事で埋まり、ほぼ自分の時間はない。

「反抗期もあって、子育ての悩みもたくさんあるけど、保育施設に来る保護者の先輩ママたちに、逆に相談に乗ってもらったりしてます。家に帰れば戦場だけど(笑)保育施設は私にとって癒しの時間でもあります。保育士って、信頼している家族以外で一番最初に蜜に関わる大人だと思うんです。ここを卒園した後に通う保育園や幼稚園でいいスタートが切れるよう、〝親以外にも信頼できる大人がいる〟ということを伝えるために、いつだって楽しい場所でありたいと願っています」。


これからの目標や夢は?「リアルな話になりますが、まずは10年間ローンの返済があるので、その間はここを継続していきたいですね。それが当面の目標です。あと、子どもたちを小学校に通わせ、色んな事を考えるきっかけにもなったので、大事なスタートを切る小学校1年生の子どもたちが楽しく学校に通えるサポートができたらなって、すごくふわっとしてるけど考えてます。流れに乗り導かれて、今がある気がします。人にも恵まれ、本当にいい人生を歩ませてもらえてるなって。これからも、私自身も楽しんで生きていきたいですね」。

和歌子さんの好きな言葉は「No Rain・No Rainbow」。〝雨が降らなければ虹は出ない。雨という試練があってこそ、美しい虹を見ることができる〟というハワイのことわざだった。終始笑い声が絶えなかった取材だったが、この言葉を聞いた瞬間、和歌子さんそのものだ!と、急に目頭が熱くなった。

三浦和歌子さん[保育施設園長]

認可外保育施設「Mammy Mammy」利用の詳細はインスタをご参照ください
https://www.instagram.com/mammymammy913/

この記事のライター:安達博子

人の困り事の中に、商売のヒントがあるといいます。アパレルの仕事を通じて感じた、ママたちの不自由さをどうにかしたいという、リアルなママ目線が保育施設を作るきっかけになったのです。園長だからと肩肘張らず、等身大の自分をさらけ出せる彼女の周りには、いつも子どもたちや保護者の方の笑顔が咲き誇っていると想像できます。辛い話も涙を見せずに話してくれた和歌子さん。その強さもすごくかっこいいと思いました。目には見えないだけで、人それぞれいろんな経験をして今を生きているんだと、改めて感じた今回の取材。ランニングに取り憑かれている者同士、これからも繋がっていたい人です。次は、一緒にマラソン大会に出場しましょう! 私、和歌子さんに猛烈に勧められ、ランニングマシーンの購入も真剣に検討中です(笑)。

こちらの記事もオススメです

page top