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2024.05.21

背筋がすっと伸びる
日常に彩りと潤いを与えられる洋服を

大杉久美子さん[洋裁師]

今回のママ:
大杉久美子さん[洋裁師]
46歳・大分市出身・大分市在住
(高校2年生・中学校3年生・小学校6年生の二男一女の母)

今年の2月、自宅の一角で、洋服のお直し、リフォーム、オーダーメイドを行なう「atelier habillée(アトリエ アビエ)」をオープン。アパレル関係の仕事にも携わり、現在は自身でデザイン・製作したオリジナルの洋服をオンラインで販売するなど精力的に活動している洋裁師の大杉久美子さん。大分のこれからの洋裁業界を担うホープでもある彼女の元には、全国から多くのお直しの依頼が届く。大切なお客様の想いを形に、アトリエに置かれたミシンと日々向き合う毎日だ。

人生に大きな影響を与えた
母手作りの赤いひまわりの洋服

友達と飲んでいる時に「こんなおしゃれな洋服作ってる知り合いがいるんよ」と、あるインスタを見せてもらった。インパクトのある生地で仕立てられたコートや、オケージョンにも使えそうなシンプルで大人っぽいオールインワンデザインの洋服など、掲載されていた写真の洋服全てがセンス良く、とっても素敵だった。しかも3人のお子さんのママだと聞き、早速間を取り持ってもらい、取材をお願いすることに…。

取材は久美子さんのご自宅へおじゃました。閑静な住宅街に建つ瀟洒な一軒家の一室がアトリエだ。数台のミシン、プロが使うアイロン、トルソーに着せられた洋服や洋裁がらみの本など、たくさんのこだわりが詰まった、久美子さんの世界観が広がる空間だった。
 
「実はこのコーナーで取材されたいなってずっと思ってたんです。いつか私のところにも取材がくるぞ!って思ってました(笑)」と久美子さん。取材されたいと思ってもらえるまでに成長したんだ!この仕事を続けてよかったな…と、その言葉がとても嬉しかった。そんな私の興奮もそのままに、話はどんどん盛り上がっていった。


大分市内の小学校・中学校・高校を経て、福岡中村学園短期大学部の家政科で被服を学んだ。「看護師だった母はとても忙しい人だったんですが、私が小3の夏休みの時に一度だけ洋服を手作りしてくれたことがあって。ひまわりがプリントされた生地で作ってくれた洋服でした。その洋服が大好きでずっと着てたんです。これをきっかけに洋裁に目覚めて、母のミシンをこっそり借りてシルバニアファミリーの洋服を自己流で作ったりしていましたね」。見せてくれた写真は、赤いひまわりの洋服を着た、幼い日の久美子さんが誇らしげに微笑んでいた。

大杉久美子さん[洋裁師]

リフォームの現場で8年間の修業を積み
念願の独立へ

大学卒業後はアパレルで働きたいと何社か採用試験を受けるも、就職氷河期時代とあって全社不合格になり、あえなく大分へ。帰省後は、お母さんの勧めもあり、再び被服の学びを深めたいと、当時大分市内にあった田北文化服装学院に入学し、1年間、洋裁の基礎を叩き込んだ。その後、知人を介し名古屋に本社を持つアパレル会社に就職し、マルタン・マルジェラを始めとしたハイブランドを数多く扱う東京のセレクトショップで販売員として勤務。バイヤーを目指し、バイイングにも携わるようになった。3年間働き、25歳の時にお母さんが亡くなったことをきっかけに、再び大分へ戻った。

「母が亡くなったショックで、そこからはあまり記憶がないんですよね。1年ぐらいは働かずにゆっくりしてたかな…。でも、もうそろそろ働かないとなと思っていた時、昔通ってた大分市内のセレクトショップから声がかかり、また販売員として勤務することになりました」。

友人だったご主人と27歳で結婚。それを機に販売員の仕事を辞め、29歳で第一子、31歳で第二子、33歳で第三子を出産。出産後5年間は専業主婦として子育てに専念した。三番目のお子さんが1歳になるタイミングで保育園に預け、仕事を再開することに。「母が忙しい人だったので、私は子育てに向き合う時間を大切にしたいとずっと思っていましたね。3人の子どもたちそれぞれが幼稚園、小学校、保育園に上がるまでは子育ての時間を思い切り楽しみました。入学式などの行事毎には、子どもたちや主人も含め、家族全員の洋服も手作りしました。


子育ても落ち着き、そろそろ仕事を…と思っていた時、たまたま布屋さんでの仕事を見つけ、パートとして働くことに。「全国から入る注文に応じて布をカットして配送するという仕事だったんですけど、いろんな種類の生地を見て触れることができて、すごく面白かったですね」。

娘さんが生まれ、娘さんの洋服作りをきっかけに洋裁を再開していたが、生地屋さんの仕事を経て、さらに洋裁熱に火が着いた。1年間働いたのち、洋服のお直し・リフォームを行っているお店から声がかかり、再就職した。

「約9年ぐらいお世話になりました。お客様の洋服に思い切ってハサミを入れるリフォームの作業などは勇気が必要だし、無理難題の多いオーダーもあったりと、様々なケースのお直しを経験させてもらいすごく鍛えられました。現場は大変だったけど、仕事は楽しくてすごく勉強になりました」。しかし、長男の受験を機に、プライベートが忙しくなると仕事を辞めることに。いつか独立を…と考えていた久美子さんの生活が落ち着きを取り戻し、いよいよ自分のアトリエをオープンさせようと、亡くなったお父様が書斎として使っていた思い出深い部屋に、洋裁に必要なミシンなどを運び入れた。

「一番最初のお仕事は、海上自衛隊の280着分の制服のお直しでした。階級のラインの付け替えの仕事ですごく指示が細かくてとても大変でした。昨年の夏から年末までその仕事に追われていたので、仕事が落ち着いてからアトリエを整えました」。

テーマは"日常におめかしを"
同世代の女性たちがおしゃれを楽しめるように

そして、洋服のお直し、リフォーム、オーダーメイドの3本を柱にした『atelier habillée(アトリエ アビエ)』を今年の2月にオープンした。アビエとは、フランス語で「おめかし』という意味だ。「久美子さんにお直ししてもらったら間違いない!と、インスタを見た全国の方から依頼が舞い込んできました。〝場所じゃないんだね、大分でもこんな素敵な仕事ができるんだね〟と主人ともよく話すんですが本当にありがたいですよね。今はファストファッションが主流になってるけど、一方で、こうやって洋服を大切にする人たちがいるのは嬉しいことですよね」。


アトリエのハンガーに掛かる洋服たちは、日本各地から届いたもの。大好きだったジャケットの裏地を変えて欲しい、お気に入りの洋服を解体して復活させて欲しい、推し活のライブ参戦用の衣装を作って欲しい…などなど、1着1着に大切なストーリーがある、想いのこもった洋服ばかりだ。だからこそのプレッシャーが、久美子さんを奮い立たせている。また、以前布屋さんで働いたいていた繋がりで、ヨーロッパなどのインポート生地も手に入り素敵な生地との出会いもある。それを目の前にすると、製作意欲が一層湧いてくると嬉しそうに話してくれた。

「私が手がける洋服のこだわりは、肩とウエストのラインを絶対に合わせること。だからゴムは使わないんです。背筋がピンと伸びて姿勢が綺麗になるような洋服を目指して、日々の生活に彩りと潤いをプラスできるお手伝いができたら嬉しいですね。〝日常におめかしを〟と言うテーマで洋服を作っているから、子育てが落ち着いた同世代の人たちに、もっとおしゃれを楽しんで欲しいですね。私の原点は母が作ってくれた赤いひまわりの洋服。おしゃれをすること・洋裁に目覚めさせてくれたあの経験があるから、今の私がここにあります。これからの人生もっと楽しくなる気がするので、初心を忘れずにワクワクしていきたいです」。洋服を着ることと合わせ、作ることも楽しんで欲しいと久美子さん。最近、初心者からでも洋裁にチャレンジできる教室を始めた。

物心ついた時から洋服を作るのも、おしゃれも好きだった久美子さん。ブレもない一途な想いを貫抜き、これまでの全ての経験を今に繋げている。「好きこそものの上手なれ」と言うけれど、自分の好きな世界を持っているってすごく羨ましいなと、久美子さんの生き方を見ていてそう思った。

この記事のライター:安達博子

洋服が大好きという想いが溢れ出ていた久美子さん。お母さんが作ってくれた洋服をきっかけに進む道を決めたと考えたら、親の行動って、子どもにとって大きな影響を与える可能性があるんだと、改めて考えさせられたました。おしゃれで仕事もできるかっこいい女性のなのに、サバサバとした一面もあり、飲み過ぎて転倒したり(笑)どこか憎めない人間味溢れるお茶目な部分がまた、とても魅力的なのです。気の合う飲み友達がまた増えちゃった。嬉しい!

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