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2024.08.27

働く人も、お客さんも喜んでくれる
子育て世代に刺さるサロンを目指して

島田由希子さん[美容家]

今回のママ:
島田由希子さん[美容家]
32歳・佐伯市出身・大分市在住
(6歳・4歳・3歳・5ヶ月の四姉妹の母)

「ずっと綺麗でいたい」という願望は、女性にとって永遠のテーマだ。スキンケア、ヘアスタイル、ネイル、ファッション…、挙げるとキリがないが、美を追求するには本当にお金がかかる。高校生になる娘の誕生日プレゼントには脱毛の施術をプレゼントしたし、私もこの年になると介護を見据えた脱毛も必要なのかも…と考えたりする。女性にとって〝脱毛〟というカテゴリーは切っても切れないものなのだ。今回取材に訪れたのは、自宅で脱毛サロンを経営する島田由希子さん。大分市内にあるサロン「VIOTERRACE(ヴィオテラス)」「VIOTERRACE munakata」の2店舗の代表でもあり、認定脱毛士・ビューティコンサルタント・ブロウアーティストという肩書きも持つ。そして、なんと四姉妹の母でもある。元幼稚園の先生からサロン経営者になるという異色の経歴を持つ由希子さん。取材者魂に火をつける要素が盛り沢山だ。

多忙だった幼稚園の先生時代
人に恵まれた3年間

取材に訪れたのは、大分市内にあるサロンを兼ねたご自宅。洗練されたおしゃれなお家の扉を開けると、4人のお子さんがいるとは思えない、生活感を感じないスッキリした空間が。「この状態を保つのは大変でしょ?」と聞くと「毎朝大掃除です!私、意外と完璧主義者で」と由希子さん。お子さんのミルクや生活感のあるものは徹底的に目隠しをし、目に触れないようにしていた。訪れたお客さんの癒しの場所でもありたい…と願う、彼女の気遣いや日々の努力が一瞬で垣間見れた。

佐伯市出身。小・中・高校は地元の学校に通い、福岡の中村学園大学短期大学部の幼児保育学科へ。「昔から小さい子どもが好きだったというのもあって、幼稚園の先生に憧れていました。でも実は、英語が得意だったので、英語の先生にもなりたいと思ってたんです。だけどちょっと無理かな…って高校の時に感じて、諦めたんです。今の私もそうなんですけど、自分に確固たる自信がないと前に進めないタイプ。ピアノも習ってたので、ならばやっぱり幼稚園の先生を目指そうと決めて大学に進学しました。私、こう見えてすごいビビりで保守的なんです。お酒もガンガン飲めそうとか言われるんですけど、実際は飲めないし(笑)見た目とは違うっていつも言われます」。黒い制服にひっ詰めのヘアスタイル。凛として一見とてもクールな雰囲気の由希子さんだが、話していくうちになんだかすごく可愛らしい女性だなと思えてきた。


「大学卒業後は、宮崎の延岡に就職が決まっていた当時の彼氏の近くにいたいと、宮崎の幼稚園の採用試験を受け、合格したんですが、母に『男で将来を決めるな!』と一喝されまして…(お母さんかっこいい!)。結局辞退して地元の佐伯の公立幼稚園に就職したいと公務員試験を受けたんですけど、競争率が高くて落ちちゃって。それで大分市のキリスト系の幼稚園の採用試験を受けて就職が決まりました」。

21歳で念願の幼稚園の先生になった。「人に恵まれた3年間でした。私、朝がとても弱いんです。すっぴんで眉毛もないし、髪も金髪でボサボサ。コンタクトする時間もなくメガネで登園してたんです。心配されそうなそんな姿のまま幼稚園に行ってたのに(笑)、保護者の方は私を可愛がってくれましたね。先生方もすごくいい人ばかりで、主任の先生から『子どもたちがしっかりしてるからその支えあって、あなたは先生ができてるからね!』って言われたこともあって、本当にダメな先生だったみたいです(笑)。でも保護者の方たちからは、子どもたちへの愛情をすごく感じるから応援してた!って言ってもらえて。本当に子どもたちのことが大好きで可愛いくて仕方なかったですね。今ならもう少し、ちゃんとした先生できるかなぁって思いますけど」。

幼稚園での仕事は毎日とても忙しかった。「キリスト教の幼稚園って、することが多いんです。水曜日は仕事終わりに教会で聖書の勉強会、週末は研修、日曜は礼拝…という感じだし、12月のキリストの誕生祭近くになると、ハンドベルの合宿が入ったりと、本当に毎日めまぐるしく、お休みも少なかったんです。プライベートの時間も疎かになってきて、忙しさに負けて3年間で辞めてしまいました」。

今でも同僚の先生たちとつながっていたり、当時の保護者の方がお客さんとして来てくれたりするそう。「忙しかったけど、人に恵まれた充実の3年間でしたね」と当時を振り返った。

島田由希子さん[美容家]

私の存在意義とは?
疎外感を感じた育休の1年間

24歳で幼稚園を辞めた後、仕事がなくなることに不安を感じ、すぐにジュエリーの販売店に転職した。「煌びやかな業界に憧れもあったんです。私、自分のトーク力とコミュ力には自信があって(笑)、高額な商品だけど絶対に売れると思ってたんですけど、現実はそんなに甘くなくて…。ジュエリーの良さって身に着けてみないと分からないから、まずは着けてもらうことが大事。中には、買わされるかもと怪訝な顔になるお客様もいるんですよね。ジュエリーの知識も浅かったし、自信もなかったし、自分の不甲斐なさを感じて半年で辞めました。次に仕事をするなら、向こうから求められる仕事がいい!と思った時見つけたのが、脱毛サロンの仕事だったんです」。

高校時代、少しふくよかだった由希子さんは地味な女子高校生時代を過ごしたと教えてくれた。ギャルメイクや、可愛く制服を着こなす女子たちにずっと憧れを抱いていたため、美容業界への興味もあった。

「その反動から、大学からはバリバリのギャルになって大学デビューを果たしました。在学中はダンスサークルに入っていて、卒業して社会人になってからもダンスチームを組んで、クラブのイベントで踊らせてもらったりしてました。ダンスが好きだったので、その時間が取れなくて幼稚園を辞めてしまった…というのもありましたね」。


その後、24歳で全国チェーンの大手脱毛サロンに就職。持ち前の明るさとコミュ力を発揮し、店長まで昇格した。その頃、友達の知り合いだった現在のご主人と知り合い、同棲後すぐに妊娠が判明。25歳で第一子を出産し、お子さんと3人での結婚式を行った。

「出産後、1年間の育休をいただきました。仕事はパート扱いのない、夜の8時までのフルタイム勤務しか選択できなかったので、産休明けに復職できるかわからないという話をした上で、それでもいいからを育休も取っていいよと言ってくださったんです。店舗では初の育休取得だったんですが、とても理解のある社長さんだったので、ありがたかったですね」。

店長を任され責任のある仕事をこなしていた由希子さんは、育休中に社会から取り残される孤独を感じ、鬱になりかけた辛い時期があったのだそう。「保育士の経験もあるから子育ては余裕だろうと高を括っていたけど、実際は全然違いましたね。赤ちゃんは良く寝る育てやすい子だったので、逆に考える余裕があったのが悪かったのかもしれません。手持ちぶたさもあり、スタッフのグループLINEに送られる業務連絡を見るようになって『私がいなくても大丈夫かなぁ』とすごく気になりだして。そのうち、仕事をしていない自分がどんどん置き去りにされていると思うようになり、LINEを見るたびに追い込まれていきました」。

それに気づいた社長さんが、出産祝いを持ってきてくれた際「気になるだろうからLINEから抜けていいよ」と伝えてくれた。「その時は、私は必要ないと言われたみたいですごくショックだったんですけど、今考えたら追い込まれてる私のことを考えて言ってくれたんだと分かります」。

仕事のLINEをやめ、友達の親子と出かけたり遊んだりすることで気持ちが紛れ、やっと子育てを楽しめるようになった。「自分の存在意義がなくなる恐怖がすごかった。人から認められたい、求められたいという承認欲求がすごい強いので、あの産休中の1年間は、すごく辛かったなぁって思い出しますね」。

産休を明け、職場復帰してからの1ヶ月間は在宅でできる仕事や事務仕事など、サロンの裏方としてスタッフのサポートに徹した。「でも私はやっぱりカウンセリングでお客様に会って話したり、現場の仕事が好きだと気づいたんです。好きな働き方もできず、フルタイム勤務で時間的に難しいのもあり、結局仕事を辞める選択をすることになりました」。

島田由希子さん[美容家]

逆境が私を強くしてくれた
みんなに恩返しするため成功したい!

その後、お子さんを保育園にも預けることができ、仕事場が近かった地元のフランチャイズの脱毛サロンに再就職した。入社して半年で2人目を妊娠。育休を取得して仕事を続けようと思っていたが、雇用保険をかけていなかったことが判明し、育休制度を取得できないことに。「お休み取ると仕事を一旦辞めることになって、保育園にも子どもを預けられなくなる状態に。だからといって休まずに出産後すぐ働けるわけないし、でも働かないと保育園に預けられなくなるし…どうしようと考えてたら、自営業しかない!という考えに行き着いたんです。それで起業することを決めました」。八方塞がりの現状を、起業することで脱出しようと思いついたのが妊娠5ヶ月の時だった。しかし、それが、果ては契約違反と見なされることとなってしまう。ここで詳細はお伝えできないのだが、弁護士を雇うまでのトラブルに発展したが(しかも妊娠中)、結果は示談という形でおさまった。その時、由希子さんの力になってくれたのが、現在も取引のあるメーカーの社長さんと、ご主人だった。「私にそんな悪い出来事は起こらないって勝手に思ってた自分が悪いんですけど…。気が動転して大泣きして主人に話したら『なったものは仕方ない』と超冷静に対応してくれて、本当感謝しかありません。メーカーの社長さんにもたくさん助けていただいて、恩を返すためにも私が成功する姿を見て欲しいと思ってます」。 

島田由希子さん[美容家]

これからの目標は子育てにシフトしていくこと
家族との時間をもっと大切にしていきたい

くじけそうだったが、そこで辞めてはいけないと踏ん張り、どんなことがあっても成功させてやる!という思いが一層強くなった。その後、出産し、トラブルも落ち着き、開業へ踏み出した。「その後も外に出るのが怖かったし、上空をヘリが飛んでたら『見張られてるかも』って被害妄想が強くなったり、カーテンを開けられない日もありました。メンタルはどん底に落ちていましたが、お客様と会うことで気持ちも紛れて仕事に一生懸命打ち込めるようになりましたね。心が安定するまで1年ぐらいはかかったけど、小さいサロンでもいいから、いつか成功してやる!とメラメラ燃えました。他のサロンではできない私らしいサロンってなに?って考えた時、子育てしながら運営できるサロンにしたいという思いが湧いてきて、働いてくれているスタッフは、子育て中のママなんです。子連れのお客さんがリフレッシュできる場所にもしたいからキッズルームを作ったり、無料の託児サービスも採用しました」。


第三子を出産した後、現在の自宅兼サロンをオープン。開業して4年目の昨年2月に宗方店もオープンし、顧客もどんどん増え、経営も順調だ。

「私が産まれた翌日に父が交通事故で亡くなったんです。父の無念さを考えると涙が出ます。そんな状況だったので母もすごく苦労して私たちを育ててくれたと思うと、感謝しかありません。これまで色んな逆境があったけど、亡くなったお父さんが空から私を守ってくれてるなと感じるんです。人生は一度きりだから、やりたいことをやって、志半ばだった父の分も生きたいと思いますね。私についてきてくれるママスタッフのためにも、お客さんのためにも頑張って、子育て世代に刺さるサロンにしていきたいです。35歳までには、私は裏方に回って、子どもがいても安心してしっかりとお金が稼げる場所にしたいです。やっぱりお金は大事ですもんね。どんどん忙しくなって、今は子どもとの充分な時間が取れていないのが現状。だから、これからはそこを逆転させ、子育てにシフトできる環境を整えていきたいです。子どもたちと一緒に過ごせる時間って有限。あっという間ですもんね」。 

島田由希子さん[美容家]

この記事のライター:安達博子

ママのままスタイル史上に残る、波乱万丈の人生を32歳という若さで経験した由希子さん。豪快なようで繊細、猪突猛進なようで石橋を叩いで渡る性格のギャップにすごく魅力を感じるのは、母親目線なのでしょうか…。「好きなものは好き!こうなりたい!」ってストレートに表現できるのも素敵だし、こういう生き方できたらいいなって羨ましく思いました。いろんなトラブルもあったけど、その経験を反骨精神に変え、これからも猛進していきそうです。コミュニケーション力の高さは、亡きお父様から受け継いているようで、きっと空から見守ってくれているんだと思います。「マッチョ大好き~♡」な由希子さんならではの、マッチョさん向けの脱毛プランを作ったり(実はご主人もマッチョでイケメン)、由希子さんらしさをいつも忘れず、でっかい起業家になってくださーい!今度、マッスルバーに連れてってね!

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