MAMA STYLE様々なママの様々なスタイルを
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2025.02.11

日常の中にある、目には見えない
心の中を描けていけたら

日下渚さん

今回のママ:
日下渚さん [劇作家・演出家・劇団主宰]
41歳・大分市出身・大分市在住
(小学校4年生・2年生・幼稚園年中の二男の一女の母)

九州7県を主な活動の場とする劇作家を対象に、才能の発掘・育成や九州の文化芸術の振興を目的とした、九州地域演劇協議会が主催する「九州戯曲賞」。昨年、その戯曲賞で大賞を受賞した日下渚さん。大分市を中心に活動する「劇団水中花」の代表でもあり、劇作家・演出家として意欲的にオリジナル作品を発表している。ママでもあり、劇作家でもあり、劇団の代表として毎日を過ごす渚さん。劇作家の方にお会いするのは初めてだったので、取材の日が待ち遠しかった。

高校で同好会を立ち上げ
演劇の世界へ…

初対面の挨拶は「やっとお会いできましたね」。取材を依頼したのは冬休み前だったが、お子さんの体調不良などで伸び伸びになっていた。その後も連絡を取り続けていたので、自然とそんな挨拶になった。劇作家であり劇団を主催する女性を取材するのは、初めての経験。勝手に、凛とした強い女性のイメージを抱いていたので、ふんわりとした空気を纏った優しい笑顔に、いい意味でのギャップを感じた(これまた勝手に)。



大分市の小学校、中学校を経て大分県立大分舞鶴高等学校へ。入学式で隣に座った女の子の「演劇したい!」という一言で演劇同好会を立ち上げた。小さい頃からミュージカルや舞台の観劇に訪れていた日下さんは、内向的で言葉を発するのが苦手なタイプだったため、舞台のキラキラした世界に憧れを抱いていた。当初は2人からスタートし、5人の部員が集まり同好会になった。

高校卒業後は大分大学へ。大学でも演劇部に属し、演劇の世界にどっぷり浸かった。大学を卒業した後も、臨時職員やアルバイトをしながら演劇に力を注ぎ続けた。「もともと脚本を書くのが好きで、自分の台本で演劇してくれる人を集めていました。親としてみたら、せっかく大学まで行ったのに…という思いもあったと思うんですけど、応援してくれていました」。

2006年、年に1、2回の公演を行う演劇ユニット「水中花」を立ち上げた。「公演のたびに役者を集めるユニットというスタイルだったので、どこか足元が定まらないように感じていて…。集客して公演をして満足している状態に、先に進んでいないというジレンマを感じていて。もっと真剣に演劇に向き合って、役者を育成したり、演劇を観たいという子どもたちの声に応えられる、地元に根付いた活動がしたいと思い、2012年27歳の時に劇団を旗揚げしました」。

日下渚さん

本当に続けていいの?
今があるのは家族のおかげ

仕事をしながら劇団の活動を続け、30歳の時に大学の同級生と結婚。出産を機に子育てに専念するため仕事を辞めた。31歳で第一子、33歳で第二子、36歳の時に第三子を出産した。

「子どもがいる状況で演劇を続けていいの?…という葛藤がずっとありました。母乳育児だったので胸の張りを感じながら、生まれたばかりの長男を親に預けて、2、3時間の稽古に行くことに『ごめんね』という気持ちがずっとあって。これが仕事なら収入を得るためだと理解を得られると思うけど、当時はまだ収入もなく仕事とは言えなかった。10月に長男を出産し、その2ヶ月後に公演を控えていて、出産1ヶ月後で稽古場に復帰していました」。公演本番の日は、長い時間子どもと離れることになり、子どもへの負担を考えると申し訳ない気持ちでいっぱいだった。第二子、第三子を出産後もその気持ちはずっと拭えぬままだった。 



それでも演劇を続けてこられたのは、家族の存在があったから。「昔から私が演劇に打ち込む姿を見てきた主人は、『演劇はあなたにとっての神様だから、神様は絶対にいないといけないし、それがあるだけで生きていけるから辞めたらいけない」と言ってくれました。母も、演劇を辞めるべきかと悩んでいた時に『子育てが終わった時に、あなたが空っぽにならないように続けなさい』と言ってくれた。家族の理解があったからこそ、こうやって今も大好きな演劇を続けていられるんだと思います」。

家族たちに、いい公演だったよと誇りに思ってもらえるように、自分にプレッシャーをかけながら作品を作っていると日下さん。最近では、お子さんも大きくなり、作品を見て感想を言ってくれたり「頑張って!」と応援してくれる一番の応援団だと話してくれた。

日下渚さん

子育てを経て描いた作品で
大賞を受賞

2012年、NHK大分放送局70周年記念テレビドラマ「無垢の島」が放送され、この脚本を担当した。日下さんの人生にとって、かけがえのない経験となった。

宝があると云われる島に迷い込んだ一人の男性が少年と出会い、宝探しをする物語で、島での生活や歴史、人々たちが物語を彩る。大分の作家を探していたプロデューサーさんの目に留まったのが日下さんの存在だった。「私の両親が津久見出身ということもあり、そこにルーツを感じ声をかけてくださったようです。演劇に元々興味のある方で、私が演劇をやっているというのも運命だと…。主演は柄本佑さん。まだ駆け出しの頃の柄本さんを見て、個性的で素敵な俳優さんだなぁと思っていて、キャスティングを考える際に柄本さんの話をしたんです。その意見をプロデューサーさんが汲み取ってくださり採用されました。撮影には何度かおじゃましましたが、まさか私の脚本がNHKでドラマ化されるなんてと、夢のようでした」。ドラマはその後全国で放送され、製作陣のテロップの中に脚本家として名を連ねた。

昨年は「かぼす咲く」という作品で、九州戯曲賞の大賞を受賞。過去にも「あなた、咲いた」「サヨナラ、我が家」「漣ーさざなみー」という3作品で最終候補まで選出されたが、残念ながら大賞には至らなかった。長年苦楽を共にした劇団員達も喜んでくれた。



「3人の子育てを含めた人生経験がそのまま脚本に出てくるなと実感してます。子育てって、想像しなかった自分の感情に触れることもたくさんありますしね。九州戯曲賞に応募し始めて、いろんな先生にコメントをいただいたんですが、『人間の良い面ばかりが描かれている』と言われたことがあって。それがずっとネックだったんです。子育てしながらいろんなことを経験して、一番の幸せを感じられたら、それを失う怖さもわかってきて。母親だからって完璧じゃないことも知ったり。人間っていい人、悪い人がいるわけじゃなくて、みんなに表と裏があって、それを出し引きしながら必死に生きてるのが人間なんだって、子育てを通じて知ることができました。大賞をいただいた作品は、2組の母と子が登場するんです。母だからと言って完璧じゃないし間違ったりもする。それを自分が書けるようになったところが評価してもらえた一つかなと思います。私は日常の中で過ごす、普通の人を描きたいんだと再確認できました」。

かぼすを美味しいと実感したある時、作品のヒントが浮かんだと日下さん。「大人になって、かぼすの美味しさを改めて実感した時、人の成長や親のありがたさを感じたんです。そのかぼすを中心に大分の作品が描けたらと。日常の中でテーマが与えられる瞬間があるんです」。

演じると1時間~2時間の長い公演。構想に半年、脚本を書くのに1ヶ月以上の時間を費やす。「子どもが寝静まった夜が執筆の時間。時間が限られているだけに、書き出すまでにどれだけ構想を固めるかに時間を費やしています。一気に書けるよう、育児や家事をしながら頭の中でずっと妄想して考えて、ノートにメモしてますね」。

日下渚さん

子どもたちに多くの作品を
届けたい

劇団の企画を考えるプロデューサーからのオーダーで、テーマを与えられ脚本を考えることもある。「他業種の団体とのコラボを想定して作ることもありますし、昨年4月の大在東小学校の開校記念に、宇宙をテーマにしたオリジナル作品「星の実物語」を9月に上演しました。これは定番作品として大分の子どもたちに届けたいという思いで作った作品です。想像以上の反応を見せてくれる子どもたちの姿を見て、すごく嬉しかったですね。長男が宇宙が好きだったので、それで書けるかもしれないと思いました。稽古に子どもを連れて行って、感想をもらったりもしましたね」。 



昔から人の顔色を伺うタイプだった。友達を作るのも苦手で、社会に出てからも大人と器用に関わることができなかった。登場人物を描く際、自分の感情に近い人物を入れることで、人間味が表現できるようになったと日下さん。「いろんな個性が認められる多様性の時代になったから、今の自分も認めてもらえている気がする。時代が背中を押してくれてる部分もあるなって感じます。母はそんな私によく『あなたはこの世の中に一人しかいない。あなたにしかできないことがあるから』と言ってくれました。その言葉は、大人になった今でもずっと心にあります。子育てをしているとついつい欲を出してしまいますが、子どもたちを守りながら、伸び伸びと、自分を誇れて楽しめる道を探せるように手助けしてけたらいいなと思います」。



九州戯曲賞という名誉ある大きな賞をもらった今、次の目標を聞いてみた。

「賞をいただいたことで、やっと大分で劇作家を名乗れるようになったかなという段階。脚本家として全国で認められるレベルになれば、おそらく劇団も信頼を得ることができると思うんです。家族に恩返しするためにも、劇団のためにももっと上を目指していきたいです」。

昨年「演劇ギフト」という企画を立ち上げた。演劇を上演してほしいという依頼があった際にスポンサーを募り、演劇を子どもたちにプレゼントするというものだ。現在、放課後デイサービス施設からの上演依頼に取り組んでいる。「子どもたちにはコンスタントに演劇を届けていきたいです。オーダーがあれば1ヶ月で上演できるよう、劇団も底上げしていきたいです」。



途中、諦めかけたことは何度もあった。実際に演劇を辞める人も多い中、それでも日下さんは諦めなかった。「私の尊敬する先生が、続けることが才能だよと言ってくれたんです。自分の才能って自分ではなかなか認められないけど、続けてきた現実は、自分で認めてあげたいです」。

書道家の母からダメ出しが出るかな…とつぶやきながら、好きな言葉を画用紙に書いてくれた。「鏡花水月」。綺麗な言葉だ。「鏡に映る花や、水に浮かぶ月のように、手に取れない形のない幻という意味なんですけど、私はそういう心の中にある目に見えないものを描いていきたいと思ったので、この言葉を選びました」。

水や花が作品のモチーフとすることが好きな日下さん。劇団名の水中花も、そこから名付けられた。人生の中の出会いや出来事には全てに意味があり、そして儚い。だからこそ大切にしたい。「夢は、全国から劇団水中花の公演を観にきてもらうこと」。静かだけど心に響く、日下さんの作品が大分の子どもたちに、そして全国の人たちに届く日はそんなに遠くない気がする。

日下渚さん

この記事のライター:安達博子

劇作家の方を取材し原稿を起こすなんて…とおこがましい気持ちで一杯でしたが、出来上がった原稿を読んで「素敵な文章にまとめてくださり、ありがとうございます」と言ってもらえホッとしました。やはり言葉(セリフ)を紡ぐお仕事なので、発する言葉の一つひとつが綺麗というか、作家の方の表現というか、私自身もすごく勉強になりました。「継続は力なり」。私も大好きな言葉です。才能があるから今の仕事を続けているのではなく、続けて来たから今の仕事があると思っているので、日下さんの話を聞いて頷いてばかりでした。劇作家として、脚本家として劇団水中花の代表として、もっと羽ばたいていく日下さんを見てみたいと思いました。いつか公演、観に行きます!

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