2025.12.23
![豆田ちかのさん[助産師・看護師・保健師・ペリネイタルロス・ケア認定コーチ]](https://mama-no-mama.jp/wp-content/uploads/2025/12/251223_1.jpg)
今回のママ:
豆田ちかのさん
[助産師・看護師・保健師・ペリネイタルロス・ケア認定コーチ]
37歳・大分市出身・由布市在住(10歳・8歳・2歳の一男二女の母)
由布市の静かな住宅地にある「助産院おまめのおうち」。授乳支援や母乳ケア、産後ケア、性教育・育児支援などを行う一方で、流産や死産、周産期に子どもを亡くした家族が、安心して集い、語れる、心を下ろして座れる“居場所”でもある。代表を務めるのが助産師の豆田ちかのさん。ちかのさん自身も辛い経験を経て、当事者に寄り添う活動を続けている。
取材するにあたって、彼女のインスタを開いてみた。可愛らしい名前があまりにもインパクトがありすぎて「本名?」と一瞬疑ってしまう。早速メッセージを送り取材をオファー。湯布院に住んでいるということで、待ち合わせはちかのさんが選んでくれた、由布岳が目の前に広がるカフェへ。久々の湯布院は快晴で、とても気持ちよかった。店の前で初顔合わせ。「こんにちは」と、えくぼが印象的な可愛らしい笑顔で挨拶をしてくれた。凛とした佇まいの、綺麗な女性だった。

大分市中判田の出身。判田小・中学校、大分南高校を経て、大分県立看護科学大学へ進学。2011年、東日本大震災の年に国家試験を受験し、看護師・助産師・保健師の三資格を同時に取得した。「震災を受けて、命の現場の尊さを学生ながらに感じました。国家試験は大変でしたけど、この仕事に向き合う覚悟は最初から強かったと思います」。
ちかのさんが看護職を志したのは、幼少期に弟さんの心臓病を経験したことがきっかけだった。家族として病院に通う中、治療や検査だけではない“支える人”の存在の大きさを肌で感じていった。「小さい頃から病院がすごく身近な場所だったんです。治療をする中で、寄り添ってくれる人の存在が家族にとってどれだけ大きいかを幼いながらに感じていましたね」。
大学卒業後は、大分大学医学部附属病院に就職。助産師として、産婦人科、小児科などで約十年間、さまざまな「命の現場」に向き合ってきた。助産師は、赤ちゃんの誕生の場面だけに関わる仕事ではない。時に、思い描いていた形ではない妊娠・出産に直面するご家族を支えることもある。「嬉しい」だけでは終われない現場もたくさん見てきた。「大学病院は、本当にいろんな“命の場面”があります。生まれる瞬間の喜びも、助けられなかった命の重さも、どちらも日常でした」。それでも医療者として最善を尽くし、目の前の家族に寄り添う。そんな日々の中で、ちかのさん自身も人生の大きな転機を迎える。
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24歳の時に、高校の同級生だったご主人と結婚。実はちかのさん自身も、二度の流産と、一度の死産を経験した。
「医療の知識があっても、当事者になると全く別でした。“分かっている”のに、受け止められないんです」。むしろ、当事者になった瞬間、知識では埋められない「我が子を亡くした悲しみ」が押し寄せた。亡くした我が子への想い、言葉にならない喪失感…。「“また次があるよ”って言われるほど、この子の存在はもう終わったことなの?って思ってしまって」。周囲からの善意の言葉に、かえって苦しさを感じることもあった。

「グリーフケア(死別や別れなど大切な人を失った人の悲しみに寄り添い支援すること)」。高齢化やコロナ渦で必要性は高まったが、実際には、流産や死産といった周産期の喪失を経験した家族が、安心して気持ちを吐き出せる場所はまだまだ少ない。医療者として支える側にいたときには見えにくかった“社会の隙間”が、当事者になったことで痛いほど見えてきた。
悲しみを抱えながら働き続けることの難しさ。そして、目の前の人にもっと寄り添いたいのに、限られた時間や制度のなかでは届かないもどかしさ。そうした感情が積み重なり、ちかのさんは32歳で大学病院を退職した。退職は「逃げ」ではなく、「選び直し」だったとちかのさん。医療者として培ってきた経験を手放すのではなく、“自分の手で必要な場所をつくる”という決断だった。同時に、医療の枠組みの中では十分に届かないケアがあることも痛感していた。「当事者にとっては、話を聞いてもらう時間そのものが支えになる。でも、制度の中では限界があると感じていました」。
退職後、追い打ちをかけるように、実弟さんの死、祖父の死など、身近な喪失体験が重なった。それらの経験がちかのさんの心に大きな影響を与え、大切な命をなくした方のサポートをしたいと、一般社団法人日本ペリネイタル・ロスサポート協会の認定資格を取得。そして2022年3月、流産・死産を経験した家族を支える自助グループ「お空の小さな天使家族のサポート おまめのおうち」を立ち上げ、活動を開始した。
「おまめのおうち」の活動の中心は、当事者が気兼ねなく子どもの話をし、悲しみを語れる「お話会(ピアサポート)」。周りに気を遣って言えなかったこと、家族にも言いづらかったこと、時間が経っても消えない想い。「もう終わったこと」とされやすい喪失の体験を、“確かにそこにあった命”として語れる機会を作った。
「ここでは、元気にならなくていい。泣いてもいいし、黙っていてもいい。子どもの名前を出して話してもいい。ただ話すことで気持ちが楽になったらいいなと思って活動していました」。

いつでも当事者を迎え入れられる居場所ができたら…と、2024年には、自宅敷地内に「助産院おまめのおうち」をオープン。「特別な施設に行かなくても、日常のなかで、そっと話せる場所があっていい」。その想いは、活動の空気感にも表れている。支援される側・する側という線引きではなく、“同じ経験をした人同士が支え合う”ピアサポートの温度…。医療者としての専門性と、当事者としての実感が両方あるちかのさんが迎え入れてくれるからこその安心感が「おまめのおうち」にはある。

また、毎年10月9日から15日に行われる国際的な啓発週間「Baby Loss Awareness Week」に合わせ、今年、大分県で初めてのイベントを行った。シンボルマークでもあるピンク&ブルーリボンのカラーを大分市の城址公園でライトアップしたり、アートプラザでは赤ちゃんとの思い出を展示する記憶展などを開催。多くの人が会場を訪れ、ちかのさんの想いが形になった。
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ちかのさんは三人のお子さんを育てる母でもある。小学生の姉妹と、まだ小さな末っ子。日々の生活は慌ただしく、家族の予定はが重なり、気持ちの余裕がない日もあるはず。子育ての喜びとともに、亡くした子どもへの想いも、今も大切に抱えながらちかのさんは活動を続けている。その中で、ちかのさんが目指すのは「悲しみを抱えたままでも、生きていける」ことを実感できる社会。

育ては、未来へ続く時間。同時に、喪失を経験した人にとっては、“いない子”を想う時間でもある。「誕生日や記念日、ふとした季節の匂い、赤ちゃんの泣き声。何気ない日常の中に、胸が締め付けられる瞬間があります。そうした感覚を、無理に消そうとしない。忘れようとしないでもいい。悲しみを抱えていることを隠さなくていい。話してもいいし、話さなくてもいい。黒い気持ちやモヤモヤもある。でもどんな気持ちも大切…そう思うんです」。ちかのさんの活動の根っこには、その姿勢がある。少しの余白があるだけで、人は少し呼吸がしやすくなる。ちかのさんは、支援という言葉の前に、“人としての居場所”をつくっているのかもしれない。

今後、ちかのさんが力を入れていきたいのが、グリーフケアと性教育(命の授業)をつなげた活動。命は「生まれる」だけではなく「失われる」ことも含めての命。その現実をきちんと知ることが、誰かを傷つけない言葉につながり、当事者が孤立しない社会につながると話す。「流産や死産というテーマは、語りづらさが大きい分、誤解や無理解も生まれやすい領域です。だからこそ、子どもたちや若い世代に向けて、早い段階から“命の多面性”を伝えていく意義は大きいはず」とちかのさん。現在も、地元湯布院の小学校で、命のお話や包括的な性教育の講演活動を行なっている。そのメッセージが、家族の中だけでなく、学校や地域、社会全体へと広がっていく未来…。ちかのさんは、自身の経験と助産師としての専門性を活かしながら、周産期喪失をめぐる空気そのものを、少しずつ変えていこうとしている。

喪失は、時間が経てば消えるものではない。けれど、語れる場所があれば、抱え方は変わる。理解してくれる人がいれば「ひとりじゃない」と、孤独は薄まる。ちかのさんの「おまめのおうち」は、まさにその“支えの輪”をつくる活動だ。誰かが大切な存在を失ったとき、社会ができることは何か…。そして、当事者が自分を責めずに生きていくために必要なことは何か…。「できることを、少しずつ」をモットーに、ちかのさんは静かに、でも確かな強さで問い続けている。
「ここまで来れたのは私一人の力ではありません。あってほしくなかった経験だけど、お空の子たちの存在がたくさんのご縁を繋いでくれたと思います。たくさんのご縁に私自身も助けられ、支えられて『ひとりじゃない』ことを実感してやってきました。感謝の気持ちでいっぱいです。〝ここにいていい〟って思える場所を、これからも守っていきたいです」。
悲しみを抱えたままでも、生きていける―。そんなメッセージが、今日も由布市の小さな居場所から、誰かの心に届いている。
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助産院おまめのおうち
https://omamenoouchi.jimdosite.com/
Instagram
https://www.instagram.com/chikano.mameda/
この記事のライター:安達博子
お子さんの流産や死産、そして弟さんの死。病院勤務の際にもたくさんの別れを経験してきたちかのさん。「どん底に落ちてもいいぐらいの経験をしているのに、前向きに頑張っていられるのはなんで?」と質問した。すると「泣く時は我慢もしないし大泣きもする。悲しみを無くすことはできないから、しっかり向き合って時間をかけて受け入れているんですかね。亡くなった大切な人が小さくなって、その悲しみを小さくして持ち歩いている…そんな感じなんですよね。だからいなくなったけどずっと一緒だなって思うんです」。私も母を亡くして以来、母が側にいてくれると思っていたので、その言葉を聞いて「そうだよね!わかる~!」とすごく共感した。辛い時もそばにいて、家事にも子育てにも協力的なとても優しいご主人と3人の可愛いお子さん、そして、見えなくても大切な存在のお空のお子さんたちや弟さんが、ちかのさんの大きな活力と支えになっていると思います。芯の強い、とても素敵なちかのさん。由布岳バックの写真撮影場所を長時間一緒に探してくれてありがとう! またいつかどこかでお会いできるのを楽しみにしてます。