MAMA STYLE様々なママの様々なスタイルを
ご紹介します

2018.09.14

出産や育児は教科書通りにはならない
だから大丈夫!多くのママに、そう伝えたい

永野由香さん

今回のママ:
永野由香さん・41歳・大分市出身・大分市在住
(4歳・2歳の・7ヶ月の三児の母)

看護師、助産師の資格を持ち、その知識を誰かのために使いたいと「子育てと女性のサポーター・てとてと助産所」を立ち上げた永野さん。「ま、いいんじゃない?大丈夫だよ」と伝えて安心させられる存在になりたいと、産前産後のママの体のケアや、育児講座、スリング教室などを出張で行う活動を2年前に開始した。今秋、新たに開院する産婦人科病院(いしい産婦人科醫院)で助産師復帰を果たす予定で、仕事をしながらも地道に活動を続ける新しい働き方を現在模索中だ。

大分で自分らしく生きるママたちのこれまでを綴るインタビューシリーズ。
今回は、専門家として、また育児経験者として、多くのママたちをサポートしたいと活動する助産師・永野由香さんのストーリー。

妊活を機に辞めた、助産師の仕事

産まれて半年の末っ子君をスリングに包み、取材先に現れた永野さん。スリングの中でスヤスヤと寝息を立てる姿を見て「さぞかし気持ちいいんだろうなぁ…」と、赤ちゃんを羨ましく思う自分もどうかとは思ったが…そのくらい気持ち良さそうな寝顔だった。「歩き出すまでは、背中を丸めた姿勢が赤ちゃんにとっては自然なんです。スリングは布一枚だから、常に『気持ち悪くない?』って赤ちゃんの様子を伺って、それがコミュニケーションにも繋がるんですよ」。すべてをふわりと優しく包み込み、まるで菩薩のような人だなぁ…というのが永野さんの第一印象だった。

高校の進路を決めるにあたり、看護師の道を目指そう!と中学生の頃から決めていた永野さん。「親戚に助産師の資格を持った人がいて、その人の話も聞いていたし、祖母の介護で、お風呂に入れるため毎週病院に通う母の手伝いをしていたこともあって、看護師や助産師に憧れる気持ちが芽生えていたんだと思います。何より、ちゃんとした資格を取って、手に職を持ちたいという思いは強かったですね」。

高校卒業後、国立別府病院附属大学中央看護学校に入学し、看護師の免許を取得。その後、国立小倉病院附属看護助産学校で助産師の免許を取得し、看護師・助産師の資格を得た。学校卒業後、22歳から34歳まで大分大学医学部附属病院で働いた。看護師さん、助産師さんの仕事って大変だろうなぁと思う反面、とてもやりがいのある仕事だと側から見ていても想像できる。その現場を34歳で離れた理由はなんだったのだろう。

「妊活をするためです。32歳で結婚をして、33歳、34歳と立て続けに流産を経験しました。それで病院に勤めながら不妊治療に通っていたのですが、治療と仕事の両立が難しくなってきて…。体外受精になると、採卵が必要になり、その採卵周期の予測日には仕事を休んで採卵に行かなくてはいけないんです。でも、病院勤務のシフトは1ヶ月前に決まり、急に休むわけにもいかず、それがストレスになってきたんです。だから思い切って、妊活に励もう!と、仕事を辞めました」。

その甲斐もあり、36歳で長男、38歳で長女を妊娠、出産した。「採卵した卵がまだ残ってるけど、どうする? でも2人に恵まれたからいいよね、って主人と話をしてた時、3人目の自然妊娠がわかったんです。40歳で出産しました」。

実は私も不妊治療の経験者だ。幸いにも内視鏡での手術後に自然に妊娠し、1人の子どもに恵まれた。長年不妊治療に通っている人、何度チャンレンジしても赤ちゃんを授かれない人…。病院の待合室を埋め尽くす、そんな女性たちを見てきたので、それを思うと私は本当に幸運だったと思う。

妊娠検査薬の結果を見て、何度がっかりしただろう。痛みにも耐えただろう。経済的にも大変だっただろう。40歳の出産も勇気が必要だっただろう。永野さんのそんな姿を思い描いた。多くは語らないけれど、まるで何事もなかったかのようにさらりと話をしてくれる永野さんの、人間としての強さを感じた。

永野由香さん

どんなに知識や技術があっても
母親になった時は不安だらけだった

「大分市に、子育て支援サークル『ワクワクピース』という民間の学童保育を行なってる場所があって、1人目を出産した後、そこで子育てサポーターの講座に参加させてもらってたんです。私の中で、看護師や助産師の知識があるのは当たり前のことだったんですけど『それは当たり前じゃなくて特別なこと。誰かの役に立つよ!』と言われて、それで私が持っている知識や技術を誰かの役に立てたいと思い、立ち上げたのが『てとてと助産所』です。2年前に設立して、おっぱいマッサージや相談、骨盤など産前産後の体のケアやベビーマッサージ、スリング指導、育児相談などを出張で行っています。この活動の中で、私が一番伝えたいのは『教科書通りにはいかないよ』ということ。病院勤務してる時は、私、教科書通りのことを言ってました(笑)。でも自分が母親になって『そんなにうまくいくわけないじゃん!無理!』ってわかりました。私が持っている専門的な知識や技術を生かしつつ、だからこそ『ま、これでいいんじゃない?大丈夫だよ』って伝えてあげたいんです。自分の得意分野を生かしながら、私の子育ての実体験も踏まえて、これだったら役立つかな? こんな考え方してみたら? これ便利だよ! という情報を伝えてあげたいです。情報過多の時代だからこそ迷ったり悩んだりしているママに『これでいいんだよ』と優しく背中を押す存在になりたいです」。

とにかく伝えたくて、教えてあげたくて仕方ないと永野さん。自分のやるべきこと、進むべき道がこんなにもクリアだと、毎日が本当に楽しいだろうな…と永野さんを見ていて思う。私はどう?と自分に置き換えてみたら、なんて薄っぺらい人生なんだ…と自信がなくなってしまうほどだ。

現在は、3人のお母さんでもある永野さん。ご自身の子育てはスムーズですか?

「いいえー!とんでもない(笑)。毎日叫んでるし、キーっ!ってなることだらけで、ストレスもたまりますよ。でも、みんなと喋ったり、パソコンで講座用の資料を作ったりして、それが私のストレス解消法になってます。出産や育児に関しての知識も技術もあったけど、第一子の時は、出産後も不安だらけで、涙がよく出てましたね。おっぱいの出もよくなくて、乳腺炎になりかけて、乳首の先は切れるし、飲ませるたびに痛くて…。その上、睡眠不足で、若干、産後うつ状態でした。実は長男は言葉が上手に喋れなくて、1歳半検診の時に発達障がいかもと言われ、現在、療育(障がいのあるお子さんが、社会的に自立できるように取り組む治療と教育)に通っています。障がいを認めたなくて、なかなか療育に進めない方もいらっしゃると聞きますが、早い段階から外部のプロの方にお手伝いしてもらった方がいいし、悩むくらいならとりあえずやってみよう!と。常にそんな感じです。自分にとってもいい経験になるし、いつかこの経験が誰かの役に立つなら、この人で色々経験させてもらおう!って思っています」。

こまでも前向きな永野さん。やっぱりこの人は、しなやかで強い人だと、その思いが確信に変わった。

永野由香さん

どこで働いても、この経験を活かしたい
同じ思いで悩むママたちの支えになれたら

夢は、将来自宅で助産院を開くこと。自宅出産などを行なう助産院もあるようだが、永野さんは今までやってきた活動の延長線上にある、産前産後のママたちをサポートする場所を作りたいそう。現在、マイホームを建設中で、ご主人には「リビングを将来助産院にさせてもらうね」とお願いしたそうだ。3人のお子さんを育てながらマイホームを手に入れるためには、やっぱりお金が必要だ。

「だから、私も働いて稼がないと!というのが現実です。実は、今年の秋から病院で働くことが決まっていて、これまでとは働き方が変わってくると思っています。『てとてと助産所』の活動はいったんお休みして、病院での勤務が落ち着いたら、月に何日かでも細々と育児講座や各種教室をやっていきたいなと思っています。本当は、妊婦さんの時に伝えたいことがたくさんあって…。妊娠中からの体のメンテナンスのことや、メンタル面のことなど、赤ちゃんが産まれる前に教えてあげたいことがたくさんあるんです。今、病院の立ち上げにも関わらせてもらっているので、母親学級の中で、それをうまく伝えていけたらな…と思っています。私自身も、悩んで不安で仕方なかった時期は、同じ助産師の双子の妹(双子で助産師って、すごい!)に相談しながら乗り越えてこられたから、私と同じ思いをしているママたちの力になってあげたいです」。

日々思う。経験する全てに、一切の無駄はないと。永野さんが目指した助産師・看護師。そして不妊治療、発達障がいのお子さんの育児、ママたちをサポートする活動、そして新天地での復職。「ケ・セラ・セラ=なるようになるさ」とは、人生に流されることではなく、精一杯生きてきた人たちが、あとは自然の流れに身を委ねて逆らうことなく人生の変化を楽しむ、ということなのではないかと思う。新たに完成する病院(いしい産婦人科醫院)で、多くの妊婦さんたちの頼れる助産師さんになっている、永野さんの姿が目に浮かぶ。

永野由香さん

この記事のライター:安達博子

「看護師と助産師の資格を持っているので専門知識も技術も豊富。それが根底にあるからこそ『それでいいんじゃない?大丈夫!』という言葉にも説得力があるし、安心感があるんです。出産入院後の退院の際、訳も分からないまま赤ちゃんと共に世に放り出される不安感、自宅に帰って新生児の現実を知る魔の1週間。2週間検診、1ヶ月検診までの、とてつもなく不安で孤独な毎日…。支えてくれる人が周りにはたくさんいるのに、なんであんなに盲目だったんだろうと、今は不思議でなりません。そんな不安な気持ちに寄り添える場所になりたい…と永野さんは言ってました。永野さんがあの時の私に手を差し伸べてくれていたら…、スリングも上手に使いこなせていたら…。タラレバな妄想をする私でした。生むが易しと、人生の逆境をまるで楽しんでいるかのような永野さん(永野さんにとってはもはや逆境ではないのかもしれないけれど)。こういう生き方、私、かっこいいと思います!」

こちらの記事もオススメです

page top