MAMA STYLE様々なママの様々なスタイルを
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2018.12.11

ママたちが再就職先に「議員」を選ぶ
そんな時代がいつか来て欲しいです

こうのみかさん

今回のママ:
こうのみかさん・36歳・速見郡日出町在住
(5歳・3歳の二児の母)

昨年3月に日出町の議会議員選挙に立候補し、当選。リアルな子育て世代の声を町政に反映したいと、子育て支援の充実を唱えながら日出町議会議員として働いているこうのさん。県内でも(全国でも)珍しい、ママの議員だ。高校時代は公務員を目指していたがあえなく断念し、23歳で大分航空ターミナルに就職し、グランドスタッフとして従事する。その後、29歳で高校の同級生だったご主人と結婚し千葉へ。出産を前に家族で日出町にUターン帰郷。30歳で第一子、32歳で第二子を出産し、現在は一男一女の母でもある。

大分で自分らしく生きるママたちのこれまでを綴るインタビューシリーズ。
今回は、会社員を経て、結婚を機に専業主婦となり、現在は日出町議会議員として働く、こうのみかさんのストーリー。

暗闇から抜け出せなかった
千葉での生活、そして引きこもり育児

こうのさんの名前は漢字では「河野美華」と書く。昨年の春、日出町の議会議員選挙に立候補した際も、名前はひらがなで表示された。「覚えやすいし書きやすいから、今回もひらがなでお願いします」。一人でも多くの人に名前を知ってほしいという、こうのさんの思いが伝わってきた。

彼女と初めて出会ったのは、本サイト「ママのままプロジェクト」のキックオフイベントだった。参加者の方にイベントの感想を聞きたいと、たまたま取材させてもらったのがこうのさんだった。イベントに参加し、えらく感動してくれていた彼女に「お仕事はされていますか?」と聞くと「町議会議員です」と言い、名刺を差し出してくれた。華奢で可憐なイメージの彼女からは全く想像もつかず「ママの町議会議員が大分にいるんだ!」と、感動にも似た驚きを覚えた。ママ議員のこうのさんに興味が湧き、いつか取材をお願いしたいと思っていた。



小・中学校を日出町で過ごし、杵築の高校へ進学。高校3年生から夜間の公務員予備校に通い公務員を目指すが、試験に落ち公務員への道は断念した。「元々、公務員志望じゃなかったんです。小さい頃から父に公務員になれと言われていたこともあって…。それに、特にやりたいことも、夢もなかったんで」。何をしたいのか? 何を目指すのか? 答えを見出せない悶々とした時間を過ごしながら仕事を転々とし、23歳で搭乗手続きや搭乗案内をする空港のグランドスタッフの仕事に就き、6年間勤務。高校の同級だった現在のご主人と居酒屋で偶然再会し、29歳で結婚。仕事を辞め、ご主人の勤務地でもある千葉に移り住むことになった。幸せな新婚生活が待っているはずだったが、現実は違っていた。

「主人は仕事が忙しかったので帰りも遅く、知り合いもいないし、道も分からないから外出できないしで、次第に家に引きこもるようになってしまいました。ちょうど妊娠も判明し『ここで子育てはできない、地元に帰りたい!』という気持ちが次第に強くなりました。主人は、退職したら地元に戻って暮すという人生計画を立てていたみたいなんですが…。あの時、もっと自分からアクションを起こしておけば状況は変わったのかも…と思うこともあるけど、自律神経が乱れ、いろんな病気になって、あの時の私にはそれは無理だったんだと思います。ならばと覚悟を決め、大分で再就職先を探してくれていた主人の仕事がタイミング良く決まったこともあって、日出町に帰ってくることになったんです」。

帰郷後、日出町で2人のお子さんを出産し、その後は専業主婦として過ごしたこうのさん。「私の親や親戚は田舎の人たちなので、子育てに関しても昔ながらの考え方。その考え方が私にも根付いていたので、子どもが3歳になるまでは子育てに専念したいというこだわりが強かったんです。だけど、子どもと家にこもりっきりの日々を過ごしていくと、イライラしたり辛くなることも。外に出たい!イライラするくらいなら働いた方がいいのでは?と迷ったこともありました」。そこにあるのは、私たちと同じ悩みを持つ、等身大のママの姿だった。近くには実家もあり、こうのさんのご両親が暮らしている。実母は病気療養中のため、母親のケアをすることもあった。それに加え、長女との親子関係もうまくいかず悩み、子育てにも行き詰っていた。ストレスも限界に達したある時、自分の体に異変が起こる。原因不明の大腸の病気になり、現在も定期的に検査をしている。

「心も体もボロボロで、正直、辛かったですね。もしかしたら私死ぬのかな…と考えたこともあって、死を覚悟したことも。人間っていつ、どうなるのかわからないと実感しました。だから、悔いなくやりたいことをやるぞ!という思いが生まれました。今考えたら、選挙に立候補した要因の一つに、病気を経験したこともあるかもしれませんね」。今のままじゃいけない!ネガティブ思考になっている自分を何とかしたい! 負の力を、踏み出す勇気に変え、日出町議会議員選挙に立候補することになろうとは、この頃のこうのさんにはまだ想像もつかないだろう。

こうのみかさん

大好きな日出町
だからこそ、声を上げていこう

「なんで町議会議員になろうと思ったの?」。彼女に一番に聞きたかったことを質問してみた。

「私、日出町が大好きなんです。桜と海が一度に見渡せる中学校から見る春の景色や、飲料水も湧き水で美味しいし、自然も豊かで子育てがしやすい恵まれた環境だと思うんです。町の規模もコンパクトで日常生活に不便なことはないし、大分市までは電車で30分ちょっとだし。実際、日出町は子育て世代に人気で、ベッドタウンとしても栄えています。町の人口も減少していないですしね。だけど、自分がリアルな子育て世代になって暮らしていたら「あれ?どうして?」と思うところが出てきたんです」。

4年前に日出町にできた複合施設「交流ひろばHiCaLi」の施設内で、子どもの一時預かりを行う町営の託児事業が始まり、それを利用することになったこうのさん。美容院に行きたいと、2人の子どもを3時間預けることに。1時間500円の利用で、託児料は合計3000円になり、美容院代と合わせるとかなり高額になった。「高いなぁ…これじゃ気軽に利用できないな」と感じていた時、たまたまイベント会場で出会った副町長に、無理を承知で直談判した。すると、半年後に利用料金が100円値下げされたのだ。

「一人の利用者の声で変わることもあるんだ!と実感しました。だから、変わってほしいと思うことがあれば変わるのを待つんじゃなくて、声を上げようと思ったんです。当時、日出町の議員は16名で、その内15名が50代以上の男性でした。これでは、子育て世代の、しかも女性の声は届かないと思いました。この出来事が立候補の直接的なきっかけになった訳ではないんですけど、私が初めて町政を意識し始めたきっかけになったのかもしれません」。

こうのみかさん

大切な存在が再確認できた選挙
チャレンジする大切さを子どもにも伝えたい

「あと5、6ヶ月後には町議会選挙だなぁ…」。ふと選挙のことを考えたこうのさん。奇しくも、選挙の1ヶ月前に下の子が3歳の誕生日を迎えること、そして、議員の仕事は個人活動が多く、実はママが働く仕事の一つの選択肢になるのでは?という思いが芽生え、こうのさんの中で選挙に立候補することが現実味を増していった。そして「このタイミングを逃したら4年後。だから、今しかない!」と選挙に立候補することを決意。その時の周りの反応が気になるところだ…。

「反対されると思ってた主人と、主人の両親に話したら、一瞬びっくりはしてましたけど『あなたがやりたいなら、やってみたら?』って言ってくれ、応援してくれたんです。本当に嬉しかったですね。主人に関しては『向いてるんじゃない?』とも言ってくれて(笑)。私の母は病気を患っているので、選挙で忙しくなった時の子どものお世話はお願いできない。なのでお義母さんに負担がかかるので申し訳ないと思っていたんですけど全面的に協力してくれ、子どもたちを見てくれました。うちの実父は当初は『無理だ!』と反対していましたけど、『やるとなったら勝たないと!』と、最終的には町内を走り回りサポートしてくれました。今回の選挙で、本当に大事な存在が誰かを再確認できた機会にもなりました」。

保守的だった両親に育てられ、こうのさん自身も石橋を叩き、割れるまで叩き続け、結局橋を渡れなくなってしまうタイプだったと振り返る。しかし今回の選挙を経験し、子どもが何かに挑戦する時、無理だと分かっていても応援してあげられる存在でいたいと痛感したという。

「『子どもも小さくて一番大変な時なのに、なんで今なの? もっと子育てが落ち着いてからでもいいんじゃない?』と言う人もいました。でも、じゃあ、4年後、8年後だったら子育ては落ち着いているのかというと、多分子どもが成長したとしてもずっと大変さは変わらないと思うんですよね。そのタイミングを待ってたら、踏み出せない。私のタイミングは今だったんだと思います!」。人生は選択の連続だ。誰かから背中をポンと押されるように迷いなく突き進める時がある。その直感を信じて、こうのさんは選挙に立候補することを決めたのだ。やらずに後悔するよりも、やって後悔する方がいいと私は常に思っている。勇気を出して、議員という道を選択した自分を誇りに思う日がきっといつか来るだろう。

こうのみかさん

自信もないし不安だらけの毎日
でも、未来の子どもたちのために!

議員になって、半年以上が過ぎた。6月・9月に行なわれた議会での一般質問では、町民の代表として意見を呈した。資料や数字、材料を添え、3週間缶詰状態で役場からいかに前向きな答弁を引き出せるか、原稿作りに集中した。議会の期間以外は、所属する委員会に出席し、それ以外の時間は個人活動を行う。こうのさんは子育て支援の現状を知りたいと、この取材の後も、放課後児童クラブの視察に赴くと言っていた。

「終わりのない仕事なので、もっと勉強しないといけないと思ってスケジュールを詰め込んで、講演会を聞きに行ったり、視察に行ったりしています。年に4回議会があるのでその時は事前に勉強や質問準備などでてんやわんや。人の評価が大事な仕事でもあるので、早く結果を出せるよう仕事をたくさん詰め込めば、今度は子どもが寂しがってないかと気になって…。ワークライフバランスが取れてない!って、自分を責めたり。どこかでリセットしないとと思ってるんですけど、まだそのバランスが分からず日々試行錯誤しています」と悩みの尽きない日々を送っている。そんな中でも町政への熱い想いは絶やさない。

「大好きな日出町がもっと暮らしやすい町になればと思います。子育て世代の人たちの声を吸い上げて、その世代の人たちが住みやすいと感じる日出町を作っていくことが大事なんじゃないかって。子育て支援って一過性のものではなく、今の子どもたちが大人になった時、一旦は町を出ても、最終的にここに戻ってきたいと思う町になって繋がっていくことだと思うんです。若い人たちがいないと町は衰退していくから、子育て支援は、地域活性化につながると信じています。だから、子育て支援は本当に大事。リアルな子育ての声をこれからも町政に届けられる存在でありたいですね」。



今後、日出町でやってみたいことがあるという。それは、年齢問わず誰もが楽しめるイベント「チャンバラ合戦IKUSA」を開催すること。スポンジの刀を使い、相手の腕についた命(ボール)を落とし合う、大人数参加型のアクティビティで、地域活性化事業として取り入れている地域もあるそうだ。「ベットタウンとして新しい人がたくさん入ってきている地域でもある日出町で、こういった参加型のイベントを開催すれば、地域の繋がりも深くなると思うんです。資金集めや、実際にどうやったら実行できるのかなどまだまだ勉強不足ですが、いつか実現できたらいいなと思っています!」。

時間の使い方を自分で考えることができる議員の仕事は、子育て中のママたちに向いている職業なのでは?と、こうのさん。「まだまだ自信もないし、時間の使い方や仕事の仕方に不安ばかり。難しいことをたくさん勉強しないといけないし、自分の課題は山積みなんですけどね。だけど、自分たちが住む町のことをたくさん知ることができる仕事でもあります。再就職を考えているママがいたら、その一つとして“議員”と言う選択肢が入るといいなと思います。そしていつの日か、ママ議員が誕生すると嬉しいです」。

まだまだ未熟で、手探りで議員の仕事に向き合っているという、こうのさん。だけど、その行動力と日出町を愛する気持ちは、誰にも負けない強みだと感じました。ママ議員という未踏の地に踏み出した先駆者として、未来の子どもたちのために胸を張って突き進んで欲しいと、心から思いました。

こうのみかさん

こうのみか
https://www.kohnomika.com/

この記事のライター:安達博子

「『私のこと知っている友達の中には『えー!みかちゃんが?』って驚いている人も多かったんですよ』とこうのさん。しっかりしている人なんだろうなと思いきや、実際は、ゆる~くてホンワカした自称“まてえ(鈍臭い)”性格なのだとか。ネガティブな今の自分を打破したい!と、勇気を持って選挙に立候補した姿はとても勇敢で、きっと多くのママに勇気を与えてくれることでしょう。町政を動かすのは、ひと筋縄ではいかないと、素人の私でも想像できます。でも、一人のママ議員のリアルな声が、いつか芽を出し、花を咲かせる日が来ると信じています。未来の子どもたちのため、ママである今の自分を信じて、頑張ってください。こうのさんを先頭に、いつの日かママ議員が増えていくことを夢見て!」

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