難病と診断され
強いられた食事制限
母親として、成長真っ盛りの子どもには安心安全な食べ物を食べさせたいと常々思っている。しかし、それを徹底するのはなかなか難しい。少しでもその理想に近づけたら…と、私自身、数年前からグリーンコープさんのお世話になっている。厳しい審査をクリアした生鮮食品、加工品、日用品などが届けられ、とても助かっている。
今回、グリーンコープおおいた始まって以来、初の女性センター長に就任した伊美さんの元へ取材に伺った。産休を取得したのも初めてで、その後復職したキャリアウーマンという前情報もあり、同じ働く女性として聞きたいことも山積みだ。職場がある津久見市の県南センターの敷地内には、リスのキャラクターが描かれた配送車が並んでいた。事務所をノックすると、電話の対応に追われ忙しそうな伊美さんの姿があった。
地元の県立中津南高等学校卒業後、県立芸術文化短期大学の情報コミュニケーション学科に入学し、同郷の友人とルームシェアをして市内で大学生活を開始。同じものを食べているはずの同居人に変化はないのに、伊美さんだけが日増しにどんどん痩せていった。
「何にもしないのに体重が落ちていくわーって、ちょっと嬉しい気持ちもあったんです。でも次第に体調に異変が起こってきて。どの病院で検査しても原因が分からなくて…。最終的に名古屋にある消化器系の有名な病院を尋ねたら、クローン病という病気に侵されていることが判明したんです」。
病名が判明した時には、栄養失調と貧血も併発し、体重も10キロ落ちていた。原因がわかるまでは入退院を繰り返しながら大学に通っていた。きっと不安に押しつぶされそうな辛い日々だっただろう。クローン病とは、大腸や小腸の粘膜に慢性の炎症や潰瘍を引き起こす原因不明の疾患で、難病にも指定されている。
「退院後は生活が一変しました。食事制限があり、腸に負担をかけぬよう3食のうちの1、2食は味気ない飲むだけの医療食でした。食べたいものも自由に食べることができない、そんな青春時代でした」。
就職活動が盛んになるちょうど夏の時期も入院していた伊美さん。仕方ないとはいえ、周りの友達の就職先が次々と決まっていく中で焦りも感じていた。「退院して学校に戻ると、就職先が決まった人がたくさんいて…。就職氷河期と言われてる時代だったので、このまま就職できないかもと気持ちは焦りました。そんな時、たまたまグリーンコープの応募を見つけたんです。病気を経験して食の大切さを実感していたので、不思議な縁を感じました」。
その後、無事に就職が決まり、入社以来14年間勤め続けている。近年、クローン病治療の様々な薬が開発されたおかげで、今では通常の食生活が送れるようになったそうだ。とはいえ「これからも長い付き合いが続きます」と伊美さん。病気に直面し、食べることの大切さを実感したからこそ「食べることは生きる上でとても大事なこと」という言葉に説得力と重みを感じた。
「みんながこぼしたものを拾う役目を」
上司が教えてくれた、自分の使命
就職してから約2年間は、グリーンコープの仕事の基本でもある宅配業務に徹した。「各ご家庭に商品をお届けする仕事なので、幸せそうな家庭を見ることが多くて。可愛い赤ちゃんを見るたび『私も早く結婚したいなぁ…』って思うようになっちゃうんですよね(笑)」。
仕事を通じ、結婚に憧れを抱いでいた伊美さんの目の前に現れたのは、宅配業務に就いていた現在の旦那さん。23歳で結婚し、24歳で第一子を出産した。しかし、男性の多い職場だったため、それまで産休を取得した職員はいなかった。
「男性社会だったので、正直大変でした。ちょうど第一子を出産する時、グリーンコープの組合員数はピークに達していて業績が右肩上がりの時期でした。目標を達成させるため残業は当たり前、土日も出勤するという感じでした。組織としても成長期だったので仕方なかったと思います。だから、そんな時期に育休を取るのはかなり大変でしたね」。
育休取得者第一号として、道無き道を切り拓いた伊美さん。なんとか1年間の産休を取得。復職後は、早々に主任を任されることになった。「時短勤務を希望してたのですが、まず無理でした。17時に片付く仕事内容ではなかったし、パートさんと上司の間に挟まれて悪循環になって仕事がうまく運ばず…。そんな時、当時の直属の男性上司が『今の状況、きついやろ?』って声をかけてくれたんです。『みんなが突っ走っている時だからこそ、そこからこぼれ落ちていくものを拾える役目になってほしい』と言ってくれ、事務職に異動してくれたんです。あの言葉は当時の私を救ってくれましたね」。
それからは時短勤務になり、より働きやすい環境になった。その後、出産してからも仕事を続ける女性職員が伊美さんの後に続いた。「子どもが小さい頃は突然熱を出したりするので、いつ休むことになるかわからない。だから、私がお休みして周りが困らないよう、仕事内容が共有できるよう引き継ぎノートを作りました。あの経験で、仕事を整理・管理する力がついたと思いますね」。
県南センターのセンター長として、経営を含めた全体の総括を任されている伊美さん。出勤時間は朝7時10分。大分市の自宅から職場まで、毎日片道50分を要するため、お子さんよりも早く家を出る。その後は、ご主人がお子さんを小学校に送り出し、自身も出勤している。
「子育ても家事も、主人が協力してくれるので助かっています。洗濯物は主人の担当。下手に手を出すと『たたみ方が悪い』と怒られるので(笑)完全に任せています。私の制服も綺麗に洗ってくれるし、月曜日に『体操服いる?』って子どもに聞いてるのは主人ですね(笑)。夕方18時に仕事を終え、家に帰り着くのは19時過ぎ。それからは、自社の冷凍野菜や食材を使って、できるだけまな板を使わず洗い物を増やさず、30分くらいでパパッと晩御飯を作ります。グリーンコープで紹介している時短レシピが誕生することもありますね」。
責任ある仕事と家事育児をこなす毎日は、一日があっという間。特に2人のお子さんがともに3歳、1歳の時はどうやって日々こなしていたのか、あまり記憶がない…と伊美さんは言う。「子どもが小さかった頃に比べると、今は随分に楽になりました。息子は野球、娘も地域の公民館で教えてくれる茶道や華道を習ってますが、それぞれの成長が垣間見えた時は嬉しいですね。休みの日も、習い事の送迎など子ども中心になるけど、毎日が充実しています」。
生産者の思いを届けたい
いろんな出会いに感謝
仕事を続けてきた中で‘今まで頑張ってきてよかった’と思うエピソードを聞いてみた。
「私が今までこうやって仕事を続けてこられたのは、いろんな人との出会いがあったからだと思います。一番心に残っているのは、22歳の時に訪れたフィリピンのネグロス島。グリーンコープで販売しているバナナの生産の様子を見に行ったんです。1980年代、国際的な砂糖価格の暴落があり、15万人ともいわれる子どもたちが飢餓に陥った島です。現地では学校に行けない子どもたちがバナナの栽培、出荷の仕事で、働いてお金を貯めて2、3年後に学校に行くんだと言っていました。そのバナナが私たちの手元に届いていることがとても貴重に感じて、このバナナを売っていかなきゃいけない!と思いました。食を通じて世界情勢を考えるきっかけになったあの出会いは、とても衝撃的でした。日本でも、生産者の方に会うと様々な苦労や努力を知ることができて、その商品を預けていただいているという責任感を感じます。配達先で「ありがとう』と言っていただける出会いも、私にとっては大切なものです。本当にたくさんいい経験をさせていただいてますね」。
女性職員が少ないという職場で、女性として、母としての経験が何よりの自信につながっていると伊美さん。会議に出席すると「なんでこんなサンプルを選んだんですか?」「どうしてこんなセットを作るんですか?」と、一喝してしまう場面もあるそう。「この仕事には、主婦目線がとても大事だと思うんです。初の女性センター長ということで期待していただいている部分も感じます。自分の意見がテーブルに上がらなくて悶々とした時期もありましたが、今は、仕事も、そして母親としての経験を積み、お客様により近いリアリティのある新しい提案ができるのではと思っています。現場での様々な経験を経て仕事面では成長できていると思うので、自分自身も、もっとステップアップしていきたいです」。
この記事のライター:安達博子
「彼女を語る上で欠かせない言葉は‘継続は力なり’。多くの困難に真正面から逃げずに立ち向かった人、そして諦めなかった人。難病と向き合いながら、仕事と子育てに追われた日々…。もし、そこで諦めていたら、今の伊美さんはいないはずです。責任感を持って一歩一歩地道に前進してきたからこそ、周囲からの信頼を獲得し、そして今のセンター長という重要なポストを任されているんだと思います。しっかりと地に根を張り、軸のブレない生き様は、私より10歳以上も若いのに尊敬に値します。グリーンコープさんのリアルな主婦目線の商品展開、今後が楽しみです。あ、あと、時短レシピもまた教えてくださーい!」