2025.07.29
今回のママ:
工藤暢子さん [大分発達支援室代表・巻き爪補正店大分店店長]
39歳・九重町出身・大分市在住
(小学一年生・幼稚園年長の一男の一女の母)
作業療法士として小児の発達支援に関わる仕事に就き、「大分発達支援室」を立ち上げた工藤暢子さん。現在はご主人と一緒に、大分市中央町で巻き爪補正の専門店を切り盛りしている。今年の夏にはスポーツ教室もオープンし、日々やることが山積み。小柄な体からは想像できないほどエネルギッシュに多方面で活躍している暢子さん。そのエネルギーの源はどこにあるのか?
知人と一緒に人気のカフェでお茶をしていた時「おー!のぶこ!」と知人が手を挙げた。どうやら長年の友人らしく、一緒にお茶する流れになった。小さな男の子を連れた、小動物系の可愛らしい女性だった。話が盛り上がる中、私が以前勤めていた会社の後輩だと知り一気に距離感が縮まった。作業療法士、発達障害支援の活動、巻き爪の専門店…と彼女に関する気になる情報が話しの中で出てきた。暢子さんのこれまでの人生が知りたい…、と取材をお願いした。日を改め、約束の場所に現れたのは、仕事着を着た凛とした姿の暢子さんだった。
九重町生まれ。小中高と地元の学校を経て、立命館アジア太平洋大学へ。アジア太平洋学部でアジア太平洋地域を中心とした社会学や政治学などを学んだ。「昔から子どもが大好きだったので保育士になりたかったんですけど親から反対されて。じゃあどうしようって進路に迷っていた時、進路室にあったAPUのパンフレットにダブルダッチサークルの紹介記事が載っていて『これをやりたい!』と思ったんです。英語が好きだったこともありAPUへの進学を決めました」。
入学後、ダブルダッチのサークルに入部。大学4年間はダブルダッチ漬けの毎日だった。「ご存知だとは思いますが、ダンスやアクロバットなどいろんな動きを組み合わせ、2本の縄を使って行う競技です。日本の大学のダブルダッチサークルは世界的にもすごくレベルが高く、私たちも本気で世界を目指して毎日体育館で8時間ぐらい練習してましたね。周りの学生たちは海外に交換留学に行ったりしている中、ひたすらダブルダッチをしまくった4年間でした。最後まで燃え尽きました」。
しかし就職のことも考えなければいけない…。次々と東京での就職が決まる同級生たちに感化され、3ヶ月ほど東京で就活をした。しかし満員電車で押しつぶされそうになる毎日に疲弊し、地元での就職先を探すことになり大分のタウン情報誌を出版する会社への就職が決まった。営業部署に配属されるが体調を崩し、1年後24歳の時にやむを得ず退職。「飛び込み営業など、あの時は必死で仕事をしましたね。1年間と短かったけど、度胸もついて、あの時の経験は自分を強くしてくれたなと思っています」。
退職後、現実逃避をするかのごとく長野県の白馬村へ。理由はスノーボードが上手になりたかったから…。「無性にスノボが滑れるようになりたい!と思って、白馬で住み込みで働ける場所がないか片っ端から電話したんです。あるホテルに電話したら、そこに嫁いだ方が大分出身で『うちにおいで!』と言ってくださったんです」。
白馬村のホテルで住み込みで働くようになり、働きながらスノボの練習に打ち込んだ。バイト終わりに、ひたすら一人で4時間ほどスノボの練習をした。結果、上級者コースを滑れるようになり、ジャンプ台も飛べるまでになった。「やるならとことん極めたいタイプなんです(笑)。小さい頃の習い事といえば、大分だと野球とかサッカーとかじゃないですか。でも向こうはスキーの上手さがヒエラルキーの要素になってて、スキーが絶対なんです。だって学校のグラウンドがスキー場になってたりするんですよ。文化の違いが新鮮すぎて、とにかく楽しく充実した2年間でした」。
親からの帰れコールで(笑)、後ろ髪を引かれながらも長野を後にし、大分へ戻ってきた。27歳の時だった。
その後、28歳の時に作業療法士を目指し豊後大野市の藤華医療技術専門学校へ入学。「この流れで、なんで作業療法士?」と思わず質問した。しかしそこには深い理由があった。「APU時代に遡るんですけど…。当時の私はダブルダッチに明け暮れて海外へ留学とかできなかったんです。そこにやっぱり心残りがあって、ずっとJICA(ジャイカ/日本政府の方針のもと、開発途上国の発展を支援する国際協力機関)に行きたいと思っていたんです。募集要項を見たら、子どもたちの発達支援に関して作業療法士での募集があったので、作業療法士の資格を取得することにしました」。
そこから猛勉強をし、30歳で作業療法士の資格を取得。博愛病院の児童発達支援センターに就職した。「JICAに行くことはできなかったけど、希望していた小児の発達支援の仕事に就くことができました。自閉症、学習障害、ADHDなど、これらは脳機能の発達に関する障害なんです。そういった発達障害のお子さんの支援をする仕事で、感覚遊びを入れたり、脳に刺激を与えるアプローチのプログラムなどを取り入れた療育を行なっていました」。勤務した3年間はとても充実していたと暢子さん。「仕事はすごくハードだったけど、子どもが大好きなのですごく楽しい時間でしたね」。
就職と同時期に結婚。32歳で第一子、34歳で第二子を出産した。育休を取得しながら働き続け、第二子の育休明けに退職した。その間、個人事業主として「大分発達支援室」を立ち上げ、オンラインで赤ちゃん塾や親子塾を開講し、0歳児からの関わり方の大切さを伝えていった。
現在はご主人と一緒に、巻き爪専門のサロンを経営している。「病院で治療できないと言われた症例の方が多く訪れてくださっています。ここで巻き爪が治ったと喜んでくれるお客様の笑顔を見ると、やりがいを感じますね」。
今年の夏には、3歳から大人までのスポーツ教室「JPCスポーツ教室」を大分市の古国府にオープンする予定で、現在、その準備に追われている。全国で約100ヶ所ほどある店舗で大分には初出店。「またなんでスポーツ教室なの?」という疑問がわく(いつも予想を超えてくるので笑)。
「主人とも同じ気持ちなんですけど、大分の人を健康にしたい!という思いがあります。体を動かすことは脳の発達にもすごく影響するんです。運動やスポーツをして、視覚、聴覚、触覚など様々な感覚を子どもの頃からしっかり体に取り入れることが脳の発達を促し、成長に必要な土台をきちんと作ってくれるんです。今は、家に帰ったらゲームや動画を見たり、外で遊ぶことが少なくなりました。その影響もあるのか、子どもたちの体幹も弱くなって、運動ができない子どもも多い。だから強制的に教室に来てもらって、一緒に運動する場所が必要だと感じているんです。子どもたちの強い土台を築いてあげられる場所になっていきたいです」。
教室の中では「大分発達支援室」の活動も続けていきたいと暢子さん。0歳児から小学校低学年までの子どもたちの発達に関する専門知識をママたちに伝えていきたいと、意気込みを話してくれた。
これまでの自分を振り返って、どんな人生だった?と投げかけた。「その瞬間瞬間で、自分のやりたいことを全力でやる!という人生でしたね。でも、これからもそれは変わらないと思います。当面の目標はスポーツ教室で、子どもたちの心と体を育てていきたいです。これまでいろんな経験をして来たから、ママたちの力にもなれたら嬉しいですね」。
子どもが大好きで、子どもに関わる仕事をしたいとずっと思っていた。一旦は諦めた保育士の道だったが、巡り巡って、今、子どもの発達支援やスポーツ教室に関わることとなった。巡り合わせとは不思議なもの。好きなものがずっと根底にあると自然と導かれていくんだ…と、暢子さんの人生を見ていて思った。
この記事のライター:安達博子
美人さんでとーっても愛らしい暢子さん(私はもうのぶちゃんと呼んている)。ほんわかとした笑顔で、一見か弱い女性かと思いきや、全然違う(笑)。そのギャップにやられました。ダブルダッチから白馬村での住み込み仕事、作業療法士、発達支援の活動、現在はスポーツ教室開講に向け多忙な毎日と、直感のまま一直線に進む猪突猛進の人。次から次へと新しいステージに挑み続けるエネルギッシュな女性だったのです。かっこいいぞ!感服だー!。子育てに関しては「子どもたちをいかに笑わせるか」がモットーだとか(笑)。のぶちゃんらしいなと思いました。今後とも、パワー全開なのぶちゃんでいてください。末長くおつきあいよろしく!